【連結経理課・和服ちゃん】(PMI編16営業日)静かな告白
内国法人の提出した確定申告書に記載された各事業年度の所得の金額が当該事業年度の課税標準とされるべき所得の金額を超え、かつ、その超える金額のうちに事実を仮装して経理したところに基づくものがある場合において、税務署長が当該事業年度の所得に対する法人税につき更正をしたときは、当該事業年度の所得に対する法人税として納付された金額で政令で定めるもののうち当該更正により減少する部分の金額でその仮装して経理した金額に係るものは、次項、第三項又は第七項の規定の適用がある場合のこれらの規定による還付金の額を除き、還付しない。
(法人税法135条)
取締役会があった二日後、会議室のドアには「使用中・関係者以外立入禁止」の紙が貼られた。
営業2課を中心に、主任以上の社員が一人、また一人と立入禁止の部屋へ呼び出されていた。
営業2課の主任、佐藤は朝からの外回りから帰って来たばかりだった。普段なら活気のある営業部の部屋がいつもと違ったように見えた。会社に帰ってくるなり経理課の山口主任から「張り紙のある会議室へ行くように」と言われた。数日ぶりに見た伊原課長と目が合ったが、何も言わず頷いただけだ。
会議室のドアを開くと三人の男が座っていた。三名とも見慣れない顔だ。空気はどこか張りつめている。三人のうち、一番年配の男が奥にある椅子に座るように言った。
「いきなり呼び出してすみません。私達は、アーサー&マーク・アドバイザリーという会社の者です。実は今、この会社の売上についてエコペンテックと東集商事から依頼を受けて、調べています。営業2課主任の佐藤さんにはぜひご協力をいただきたい」
低く、どこか落ち着いた声だった。
隣に座っていた若い男が一つの資料を渡してきた。資料の表紙には「ARAハイテック」と書かれている。受注入力を頼まれた記憶はあるが、それ以上は知らない会社だ。少なくとも、自分と伊原課長を除き知っている人間はほとんどいないだろう。そんな相手先の営業情報を知っているとなると……ここは観念した方がよさそうだ。
*
四半期を意識する時期になった。取締役会が終わり一週間程で四半期決算の準備はかなり進んだ。それにこれまで残業続きだったこともあり、毎日定時帰りをしている。四半期決算前のちょっとしたご褒美気分が嬉しい。
ここ数日重苦しかった会社の雰囲気も、今日は明るくなった気がする。
そんな中、調査をしていたアーサー&マーク・アドバイザリーからの報告会があるので山口主任と私も同席するように、と神谷監査役からメールがあった。
今度の報告書は何ページあるのだろうか。私は添付されているファイルを開いた。
ファイルに目を通していると、経理課の部屋のドアを叩く音がした。経理課はいつもドアを開けているのでドアを叩く音を聞いたのは初めてだった。部屋にいた私と藤川さんが入り口へ目をやると、そこには伊原さんが立っていた。少し窶れただろうか、いつもの陽気さはなかった。
「和服ちゃん、ちょっと時間ある?」
伊原さんの声はいつもより小さかった。私は無言で頷き、伊原さんの少し後ろをついて行った。後ろから見た伊原さんの背中は、初めてこの会社を案内してくれた時よりも少し小さく見える気がする。
着いた先は休憩室だった。慣れた手つきで伊原さんがコーヒーを淹れる。
「ほら、ミルクたっぷりの甘めのコーヒーがいいんだろ?」
いつの間に私の好みを知っているのだろう。驚いた顔をしている私の目の前に、紙コップのコーヒーを置いた。
「……ありがとうございます、いただきます」
伊原さんは穏やかな目をしている。私がコーヒーを口にし始めると、伊原さんはゆっくり口を開いた。
「外部調査、終わったらしいね。俺以外は全員シロって結果だったんだろ。実際、俺は他の奴らにこんなヤバいヤマ踏ませてないからな。
……そう、俺だけでいいんだよ。バカなことやってたのは」
まだ、報告書見ている最中だった。けれど社内での着地も見据え、退職を口にした伊原さんに責任を集中させたのかもしれない。
「あのヤマで一番大きな穴があったのは契約書が無かったことだ。だから、俺が徹夜で作った。飲んでいた田端部長に言い含めた後にね。辛い作業だったけど、明け方に全部できたときは『これで大丈夫。東集の人間に、この会社は壊させやしない』ってどこか思ったよ」
私は何も言わず、ただ静かにうなずいた。
「でも、違った。最初から間違っていたんだ。
それに君はウチを壊すためじゃない、守るために来たんだってことが今ならわかる」
伊原さんはそう言い終わると、私をまっすぐ見て、背筋を伸ばし直立した。
そして深く、頭を下げた。
「三和さん、本当にすまなかった。俺の自己満足かもしれないけども、謝らせてほしい」
私は動けないでいた。かろうじて一つ言葉が出ただけだった。
「―—伊原さん」
私の言葉を聞いて、伊原さんはゆっくり頭を上げた。いつものおどけた笑顔ではなく、穏やかな顔をしていた。
伊原さんは、「ありがとう」と短く言ってゆっくりと休憩室を後にした。
遠ざかる足音が完全に消えた後、私は手に持ったぬるくなったコーヒーを見つめながら小さくつぶやいた。
「……伊原さん、私にとって忘れられない出来事でした。でも、どうかお元気で」
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