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一度限りの覚悟ある出逢い「一期一会」 #229

人は一人で成長することはできません。
必ず誰かとの出会いによって、何らかの成長機会を得るのだと思います。

茶道の祖である千利休の言葉です。
「常の茶の湯なりとも、路地へ入るより出るまで、一期に一度の会のように亭主を敬畏すべし」

これは、どれほど慣れた場であっても、その一席は二度と訪れない唯一の時間であるということ。
茶室へ足を踏み入れた瞬間から去るまで、
すべてが「一生に一度」のつもりで向き合うという覚悟こそが、もてなしの本質だという教えです。

「一期一会」

ここから、二度と繰り返せない今この瞬間を尊び、出会う相手へ誠意と敬意を尽くす心構えを意味します。


■ 禅に通じる「今ここ」に生きる姿勢

この「一期一会」の精神は、禅の根幹にも通じています。
ただ一つの行いに没頭し、その瞬間にすべてを委ねる。
「今ここ」に完全に浸りきることが、悟りへと至る道だとされています。

単なる“二度と会えないかもしれない”という意味にとどまりません。

そこには、この瞬間をどう生きるかという、深い問いが込められています。

仏教において「縁」とは、無数の巡り合わせの中で生まれる奇跡のようなものとされています。

人の出会いも別れにも偶然ではなく、すべて意味を持つ流れの中にあります。
そして、その一つひとつの縁と真摯に向き合うことが、やがて自分自身を形づくって行くというのです。

だからこそ、決して大袈裟ではなく、
今この出逢いは、もう二度と訪れないかもしれないと瞬間なのだと覚悟すべきです。


■ 人生が動いた、ひとつの出会い


私にとって人生が動いた出逢いは、中学時代の部活動の恩師でした。

当時、圧倒的にセンスのある同級生がいました。
私が1週間かけてようやく身につける動きも、彼は1時間で習得してしまいます。
練習量では負けていませんでしたが、結果は追いつけませんでした

——正直、自分の不器用さに嫌気がさしました。

そんなある日、尊敬する恩師に言われました。

「お前は不器用だから、人より時間がかかる。」
「でも、お前は諦めずにやるだろ。」
「それは素質なんだ。」

そして、最後の一言です。

「不器用で良かったな。」

その言葉を聞いたとき、初めて自分を否定しなくていいと思えた。
“できない自分”ではなく、“続けられる自分”を信じていいのだと。

その後、高校で何度か、その同級生と対戦する機会がありました。
結果は、すべて圧倒して勝つことができました。

あのときの恩師と出会い、その言葉がなければ、私は何事も「不器用」を言い訳に途中で諦めるような人間になっていたと思います。

■ 出会いを避けるか、活かすか

自分の人生を変えられるのは、自分だけです。
裏切られることを恐れて、新しい出会いを避けてしまえば、やがて孤立していきます。

ある歌の詩です。
「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つく方がいい」

ここまでの覚悟も必要なのかもしれません。
それだけ出会いには価値があると私は思います。
だからこそ、自ら誠実な人と出会う機会をつくり、その縁を活かせるかどうかが問われます。

そして、誰かが支えてくれることはあっても、最後まで背負い続けてくれる人はいません。

人と支え合うことは大切ですが、依存しすぎてはなりません。
最終的に自分を救えるのは、自分自身でしかないことも覚悟しなければなりません。


■ 出会いに意味を与えるのは自分自身

ただ漠然と出会うだけでは、それは単なるすれ違いに過ぎません。
向き合わなかった出会いは、最初から存在しなかったのと同じです。

いつ、どこで、誰と、どのように向き合うのか。
その一つひとつの姿勢が、出会いの価値を変えていくのだと思います。

出会いから何を生み出せるかによって、
その出会いの意義が初めて浮かび上がるのだと思います。

すべての出逢いは、一度きり。
だからこそ、その一瞬に心を尽くしたい。

一期一会とは、過去でも未来でもなく、
「今」をどう生きるかという問いなのだから。

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