高校時代の黒歴史SNSを遡ったら大切なことに気づいた
過去の自分のSNS投稿を遡って、●にたくなったなった経験はないだろうか。
私は先日、インスタグラムのストーリーズアーカイブを開いてしまった。
軽くノスタルジーに浸るつもりが、そこは直視に耐えない黒歴史の宝庫と化していた。
例えばこんな投稿たちだ。
①高1の冬。部活帰りの学バスの中でアップロードしたと思われる1枚。

②せいぜい親しい友人へのLINEくらいに留めておけばいいものを、わざわざ全世界に向けて発信している1枚。

③こちらも全世界に向けてハゲ比べをする私(右)と友人(左)。

まだ載せられるものだけを抜粋したが、ほかにも容赦ない変顔、テスト勉強への愚痴、推しアイドルへの大騒ぎなど、枚挙にいとまがない。黒歴史すぎる。
====
そんな私のインスタに転機が訪れたのは、「オシャレ大学」などと揶揄されるところに足を踏み入れた時だった。 周りを見渡せば、噂の通りオシャレで洗練された子ばかり。「インスタ交換しよ〜」のノリで繋がったみんなのストーリーズは、美術館やカフェ、ハイセンスなファッションの写真で溢れていた。
当然、焦る。
この子たちに、私の投稿はとても見せられない。
新しいコミュニティで「イケてる大学生」のポジションを確立したいという気持ちが働く一方で、高校までの友達に「あいつ大学行ってスカし始めたな」「つまんなくなったな」などと思われるのも嫌だった。
結果的に、私のインスタグラムの方向性は「まあ無難」という安全地帯に落ち着いた。
現在の投稿欄には、よく撮れた美しいものたちがぎゅうっと詰め込まれている。旅先の街角、美味しいご飯、海、山、花、友人や彼氏との楽しい瞬間たち。
どれも載せたいと思うから載せているし、綺麗な写真を撮るのも好きだ。
もうストーリーズでハゲ比べもしない。
けれど、あの頃の痛々しいストーリーを久しぶりに見返して、ハッとした。
当時の投稿は確かに黒歴史だ。
でも、人目を気にして無難にまとまっている今の私より、自分の「好き!」や「面白い!」というパッションを何も恐れることなく全世界へ投下していたあの頃の私が、なんか眩しくも見えた。
「JKは無敵」という言葉が頭をよぎる。
人目も評価も華麗にスルーして、「これが私だ!」と無防備に自分をさらけ出せる強さ。
「どう見られるか」より「これを見せたい」という自由さ。
もうああいう風にはなれないのだろうか。
「これ載せようかな…でもちょっと野暮ったいな…」と、アップロードを踏みとどまることがある。
でもそういう1枚にこそ、私の個性が表れているはずなのだ。
もっと感じたことを素直に発信していいし、「私はこういう人間だ」と胸を張って生きていいはずだ。
心にあの頃のJKを飼って生きていこうと思う。
出してけ、個性。
