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『悩む僕、桜舞う』第2話:追撃タックル中学生


無気力な小学生
🔻
偏差値50未満HSP大学生▶財閥系内定の25卒

【"ナヤサク"の構成】
第1話:天邪鬼な瞬足小学生 🤛前回
第2話:追撃タックル中学生 👈今回
第3話:不屈の"F"高校生
第4話:裏の成績優秀大学生
第5話:邪道の就活

※話の中で登場する曲名を押すと、その曲が流れる

登場する人物名・地名・団体名は、ほぼ架空のものです 






赤アルマジロになる決意


「ラグビーは怪我する危険なスポーツや。覚悟がいるぞー」
増井顧問は、仮入部最終日の集合でそう伝えた。

【邪南中学ラグビー部[Red Armadillos]】
10数年前、不良が多かった邪南中で、増井先生が立ち上げた部活。のちに全国高校ラグビー(花園)で活躍した選手も輩出。

母は反対したが、僕は入部した。
よく喧嘩や先生に反抗していた立原もいた。




怒られる練習の裏でトッサン誕生


アルマジロスの同級生は皆、初心者。
仮入部と違って、怒られてばかりだった。
 
1年生は準備と片付けをする。僕はスクイズボトルに水を入れることが多かった。冬はかじかむ手に必死で息を吹きかけた。

キャプテン勝見先輩のスパイクを持って行ったある日。
コマネチポーズで「トッサン」と言わせた。このギャグ以降、僕は"トッサン"になった。勝見先輩の悪の手だと思った。

一方、小柄で器用な小弓は、なぜかソフトボール部。挨拶のようすから明らかにゴリゴリの縦社会にいた。




【合宿前の練習】
●主な練習は何往復も走る「ランパス」
●走らない間は「ワッセイ」と掛け声を出す
→声が小さいと全員集合し顧問から怒られる

初の熱狂合宿4泊5日


バスの車内で「やねはちや」のキツネのロゴを見た先輩たちは、「うわー」とそろってため息がもれた。
合宿の空気はどこか異様だった。波の丘中学(なみちゅう)のサングラスをかけた顧問が、2階テラスから指示を送っていた。妙な威圧感があった。

起床は朝5時。
約30分の山道走の後、朝食と昼食を挟んで、ランパス中心の練習。

夕食前の最後はランメニュー。
制限タイムに間に合わなかった人は、小屋に連行されてランジジャンプ。サボるとすぐ、サングラス顧問の怒号が飛んでくる。
瞬足だった僕は助かったが、理不尽だと思っていた。


練習後の入浴を終えて夕食中。
勝見先輩から牛乳を鼻に詰められ、気分が悪かった。だが、"トッサン"という役割を与えたことは悪の手ではなく、救いの手だった。極度の人見知りの僕がチームに溶け込めたから。

3つの鎖(神経質・ネガティブ・不器用)のうち、神経質の鎖が緩まり、鎖を引きずる自分に慣れた感覚だった。

1年生は手洗いで、必死に絞った。だが、練習着から水滴が垂れて先輩に怒られた。2校合同"大部屋"はまるで冷蔵庫で、寝るのに苦戦した。


4日目の夕食は焼肉。仲間と囲むその雰囲気が、ほぼ水の麦茶さえも美味しくしていた。

最終日は学校対抗の試合。
試合中、鐘尾先輩が脳震盪を起こした。タックルしたとき、頭の位置が悪かったのが原因だった。
搬送前には意識もあり、搬送後も大きな問題はなかった。
それでも、ドクターヘリが近づいてくると、合宿場は張りつめた空気に包まれた。




1年生の僕は、先輩を応援しながら怪我と隣り合わせの殺伐とした空気を感じていた。
その分、チームの勝利は大きく感じた。

黄金世代の勇姿と別れ


秋のトーナメント戦で負けると引退が決まる。スピードとパワーで圧倒する勝見先輩たちを、僕は黄金世代だと思っていた。
しかし、敗退した先輩たちは、あぐらをかき、涙を浮かべながら話していた。砂まみれの姿でも、その輪は美しく輝いて見えた

その後、勝見キャプテンは「応援ありがとうございました。うちの代は強くなくて……」と語り、保護者や先生に思いを伝えた。
最後も伝統の低音挨拶「あ〜とーございました」で三年生は引退した。

春になり、増井顧問が運河の先にある東長屋中学(とんなが)へ異動になった。

怒ると顔が赤くなるため、裏でだるまと呼ばれていた泉顧問が指導の中心になった。




同級生半減コンタクト


2つ上の先輩が引退後、1つ上の赤石先輩による厳しい指導が始まった。一時期、同級生の半分が練習に来なくなった。
僕も「練習終わった後、部室裏に来い」と脅された。だが、赤石先輩の厳しさは、将来の不安に比べれば大したことではなかった。 

その後、練習や試合を重ねて、強く低いタックルで、大きな相手も倒せるようになった。コンタクト(体を当てる)練習で赤石先輩に力負けしなくなった。衝撃的な体験だった。




仲間でフル円陣


そして、2年の僕は3年生に混じって円陣に入った。
右足を前に出して、肩を組み、声を合わせて回る。最後はそろってしゃがみ込み、声を円の中心に集めた。

キャプテンの一言と「邪南!いくぞ」で
円陣が始まる。
「エイサ、エイサ、エイサ
シャ、シャ、シャ、シャーー!」

キャプテン「いったれ!」
「えーい」

フルバージョン

試合では、キックオフのボールやパスを落とし赤石先輩に激怒された。平川先輩が「気にするなよ」と声をかけてくれた。
トライを取られたときは、「取り返すぞ」と声を掛け合い、チームが一つになっていた

 試合後、川にかかる歩道橋のスロープを自転車で下ると、風とともに戦いの余韻が駆け抜けた。




桜の戦士がラグビー史を変えた影響


以前から練習前に、”浣腸ポーズ"をしてから、ボールを蹴る赤石先輩の姿があった。

2015年ラグビーW杯、「五郎丸ポーズ」が流行し、初めて理解できた。

その直後、練習着姿の僕は「ラグビー頑張って」と知らない人に声をかけられ、驚いた。



全てを賭けた一蹴


中学ラグビーは12人制。負ければ引退の試合では、一つ上の3年生13人が一丸となって戦っていた。

その試合終了間際、同点トライが決まった後のコンバージョンキック。もし外せば勝敗はジャンケンで決まる場面。

副キャプテンの北田先輩は、いつも通りセットし、ゆっくりと大股で助走位置に着いた。シンプルなフォームで、静かに蹴り出す。
ボールは綺麗な放物線を描きながら、縦に回転して飛んでいく。Hポールの間を通過し、地面に落ちた瞬間、ホイッスルが響いた。

見ていた僕は、鳥肌が立った。泉顧問も興奮し、北田先輩と握手を交わしていた。




橋で叫ぶ上級生の余裕


先輩が引退し、キャプテンは立原になった。

ある部活帰りの夕方、橋の上であだ名やペット名を叫び合っていた。操り人形として進化した"トッサン"が主犯格だった。
邪南中の隣には交番がある。警察と先生が向かってくるのを見て、みんな慌てて逃げ出した。

一方、小弓はサードから一塁へノーバウンド送球していた。プレー以外でもチームを支えていた。
接点がなくても伝わっていた。




僕らの代から上下関係をゆるめた。

ユニフォームに託された正義


試合前日は、コンタクト練習の後、いつも通り制服に着替えて集合する。そして、背番号順に名前が呼ばれユニホームが渡される。

出場する後輩の兼ね合いで、僕はあらゆる背番号を背負った。先輩が戦ってきたユニフォームを身にまとい、思いも込めて試合相手に本気でぶつかることができた。

6番が僕

「思いが強ければ何とかなる」と教えてくれたラグビーが、僕の情熱に火をつけた。左犬歯の一部が欠けても、その熱は消えなかった。

学校生活の正義は「きれいに決まった物事を要領よく進めること」にある。
ラグビーの正義は「恐怖や理不尽に正面から泥臭くぶつかること」にある。

正義を悟った頃には、未経験のポジションでも動じない自分がいた。



修学旅行の帰りのバス。
寝るはずが『信長協奏曲』に釘付けになり
『足音 〜Be Strong』が流れて旅を締めくくった。

追撃タックルの"トッサン"


俊足とタックルを武器にした僕は、フルバックに定着した。

【フルバック(FB)】
五郎丸選手で知られるポジション。
チーム最後尾に位置する最後の砦。
ハイパント処理や判断力、正確なキック力が求められる。

僕はあえてキック練習をしなかった。楕円球をドリブルでトライまで決めてしまう立原がいたからだ。

そして僕は、相手を外に走らせ、フェイント範囲を狭めて仕留める"追撃タックル"を完成させた。

僕は長野先輩から"各代で1番の瞬足Tシャツ"を受け継いでいた。だから、邪南中ディフェンスを抜け、勢いよく突っ込んでくる相手も、1対1なら必ず止められた

だが攻撃でトライを決めても、トッサンは表情を変えなかった。





Hポールを背に、再びタータンへ


立原の一言で、同級生みんな坊主で挑んだ引退試合。トーナメント序盤で"とんなが"と対戦し、あっさり負けた。

その後、保護者たちから「ラグビー続けないの?」と聞かれた。僕と立原は、黒瀬実業高校から名刺をもらっていた。

【黒瀬実業高校ラグビー部(くろじつ)】
公立校ながら全国屈指の強豪。20数年前に髙田監督が就任し、無名校を名門校へと育て上げた。日本代表選手も輩出する名将のもと、高いチーム力を誇る。

しかし、僕は地元に進学することにした。

カワチACで一緒だった麻山の特集番組を見たとき、太陽で焦げたタータンの匂い、4×100mリレーを走る爽快感が蘇っていた。




ALL5を呼んだ雨漏り塾


アルマジロスを引退した後、受験が控えていた。

僕は月謝が安く、雨漏りする個人塾「妙楽舎」に通っていた。
数学の授業は、単元解説後に渡されるプリントを全問正解するまで帰れなかった。22時半を過ぎると、別日に補習が行われた。
井原先生は寝ている生徒にチョークを投げるなど、昭和風の指導だった。

おかげで、3年最後の成績は最高評価"ALL5"。通知表を見た母から「おかしい」と言われた。





交わした最後の沈黙


私立校の入試会場に着くと、深緑の制服が目に入った。席の近くに、小弓がいた。

終わった後、わざと支度を遅くして外へ向かうと、小弓が待っていた。
そして、別々の折りたたみ傘をさして
最寄り駅まで歩いた。

小弓「テスト大丈夫やったかな?」
    僕「いや、大丈夫だよ」
          ……
小弓「公立はどこ受けるん?」
    僕「船手高校」
          ……

 電車を待つときも、乗っているときも
僕は思いつかなかった。
「お疲れ様、バイバーイ」だけして別れた。
改札を出て後悔に苛まれた。




その後、船高を受験した。
苦手な英語は、ほぼ解かなかった。英作文を書いた後、残りは直感に頼った。
募集人数が減り、倍率は1.5を超えていた。

未完成の思い、舞い散る


結果待ちで迎えた卒業式。僕ら3年4組は『SAKURA』に包まれながら体育館を退場した。
その後、アルマジロスの同級生と写真を撮った。

目の前にある矢形公園では、卒業生が自分のスマホで写真を撮っていた。だが、僕はスマホを持っていなかった。母の撮影で校門前に立ったあと、僕はすぐに帰宅した。

僕の中では桜が咲いていた。




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