『「和歌所」の鎌倉時代』覚え書き ~和歌の読書記録~
図書館で『「和歌所」の鎌倉時代』を発見。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 8, 2025
皇室系図に「光厳97(代天皇)、光明北1(=北朝初代天皇)」と書いてあり好印象!
そうですよ。光厳院は正式な手続きを踏んで践祚、即位した第97代天皇であり、北朝は光明天皇(=光厳院政)以降と考えるべき。https://t.co/rXQqQ2E9xO#和歌の読書記録
買わなければ。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 8, 2025
買いました。
『「和歌所」の鎌倉時代: 勅撰集はいかに編纂され、なぜ続いたか (NHKブックス 1285)』小川 剛生
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 15, 2025
気になっていた本を図書館で見つけ、目次を読んでこれはと思い、購入。
冒頭の系図に「光厳97(代天皇)、光明北1(=北朝初代天皇)」という…#読書メーター #和歌の読書記録https://t.co/X6fgLavE8b
図書館でたまたま見つけたところから始まり、数ページ読んだ時点で購入。
専門の研究者の先生の筆ですが、比較的読みやすいほうかと思います。積ん読することもなく読み切ることができました。
鎌倉時代の和歌だけでなく、その時代感などを把握するにも適切な一冊かと思います。
『「和歌所」の鎌倉時代』覚え書き ~和歌の読書記録~
図書館で『「和歌所」の鎌倉時代』を発見。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 8, 2025
皇室系図に「光厳97(代天皇)、光明北1(=北朝初代天皇)」と書いてあり好印象!
そうですよ。光厳院は正式な手続きを踏んで践祚、即位した第97代天皇であり、北朝は光明天皇(=光厳院政)以降と考えるべき。https://t.co/rXQqQ2E9xO#和歌の読書記録
買わなければ。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 8, 2025
「平安時代の勅撰和歌集にはそこまでの権威はなかった」
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 8, 2025
「勅撰和歌集の権威が確立するのはむしろ鎌倉時代である」p13
たしかにその印象はある。
「「撰」とは、「選」と同義であるが、自分の好むところを集めて何かを主張する、という義がより重要である」
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 8, 2025
「「撰ぶ」ことは「詠む」「作る」ことと同義であったとしてさしつかえない」p14
それはたしかにそう……。
昔は「天皇や上皇が編ませたものは『撰』、それ以外が自分の意志で編んだものは『選』なのかな」ぐらいに捉えていましたが、実際にはそうでもないようですね。
「作品と作者はいくら別であるといっても、十三代集の歌人は知名度がないから、その和歌に親しみを持てと言っても難しい。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 8, 2025
無名の作者の優れた作品も交じっているのだが、それを見出すほどに現代人は時間もないし忍耐強くもない」p15
「忍耐強くもない」それな。
いま書いている本の本文には
「多忙であるだけでなく怠惰、かつ無知であり、そのような無知な自分でもインスタントに消費できる楽しみのみを受け入れ、その味読に多少の努力を要する芸術作品については『なんか小難しくて嫌だ』と払いのける傲慢な現代人」
と書きました。
「(十三代集の編まれた鎌倉時代以降の)現実の社会や生活が汚泥にまみれ転変極まりないからこそ、題詠の伝統に参入することは歌人には大きな喜びであった」p16
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 8, 2025
私が短歌に飽き足らず和歌によってこそ救われた理由もこの文脈で説明できる。https://t.co/1Jw1PNdZO4
「鎌倉時代の和歌で直接元寇を詠んだものはほとんどない。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 8, 2025
歌人の視野狭窄を非難しがちであるが、対外の脅威は確実に内面の変動をもたらし、(略)
それは勅撰集の神祇の巻に鮮明に反映されている」p17
それは逆に読み手の視野狭窄を非難すべきでは?
お門違いも甚だしい。
藤原道兼に「みちかぬ」とルビがある。最近の研究ではそうなのかな。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 8, 2025
京極為兼については同時代人の書いたものに「ためかぬ」のかな書きしたものがあるので「ためかぬ」読みが正しいと思われる。
しかし未だに「ためかね」とする本や講義もあるので、定着はしていないのかも。
×「「ためかぬ」のかな書きしたものが」
○「「ためかぬ」とかな書きしたものが」
「みちかぬ」読みは初めて見ました。
平安時代については不案内なので、詳しい方に聞きたい。
「厳格な上下関係がなく、特定の技藝に秀でた者が抜擢され、かつしばしば宿直で寝食を共にするからか、「所」の職員間ではある種の仲間意識も醸成されやすかった」p20
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 12, 2025
合宿多めの文化系サークルみたいなイメージかしら。楽しそう。実際は楽しいばかりでもないでしょうが。#和歌の読書記録
「(後撰和歌集の)現存する本文も藤原定家の時代にすでに不審が多く、未定稿を疑う説もある」p23
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 12, 2025
三代集三代集ともてはやした初期のころの人たち、実はそのものを読んでいなかったとかありそう。
万葉集を読まない近代以降の人たちが万葉集をもてはやすように。
『万葉集』を読まない、または『万葉集』を読んでいると自称はするが読んでいるととても言えない近代以降の人たち。
後拾遺和歌集の成立は院政期に当たるのか。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 12, 2025
下命者は天皇だったころの白河院だけど、これもその時代の特色を考えると「院政期」に入れて考えてよいのかな。
「院御所の構成員は、内裏程の身分上の制約がない」p34
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 12, 2025
天皇家家長である天皇が院政期以降なにかと譲位したがった理由のひとつが、ここからも察せられる。
(天皇家家長でない天皇についてはそのかぎりでない)
天皇家家長でない天皇が譲位するかしないかは、天皇家家長の意志の働くところが大きいはず。
もちろん、時代が下り幕府の力が強まると、天皇家家長に対して幕府の意志が影響するわけなのだが。
「このような懸詞(秀句)はこの新古今時代の流行であり、家長はとくに好んだ」p40
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 13, 2025
家長の和歌の特徴ってそういえばあまり知らないな。
初学者やあまり実力のない者ほど技術的なところに走る、という面もあるのだろうか。#和歌の読書記録
初学者の技巧はだいたい見ればわかる。こなれていないのでわかる。
「(新古今集で)撰者名注記がある和歌は、原則として建仁三年四月以前の作」p50
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 13, 2025
数字や年号が苦手なので覚えられないが、これはなんとか覚えておきたい情報。
しかし覚えられない。これを読み返すまで忘れていた。
「撰者たちは「撰歌」に自作を載せなかった。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 13, 2025
定家の新古今集入集歌四十六首のうち、建仁三年四月以前の作は四十一首、それはすべて他人が撰んだことになる。
ただし定家はこれに強い不満を覚えていた。
「自詠は入るべき歌も入らず。思ひかけざる歌も入れり。自撰せざる故なり」(略)」p50
「続けて家隆の歌はよいものが入っているのは自分が撰んだからだ、とあるのは苦笑させられる。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 13, 2025
ものの分からぬ他人から濫りに評価されたくない、という矜持であろう」p50
わかる。やはり定家くん、他人とは思えない。
やはり定家くんは心の友。
「八月二十二日、家長が定家を讒言し、院が不快に思っているとの伝聞を明月記に記す。(略)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 14, 2025
もっとも定家は日記では誰に対しても敵愾心を抱くので、こう書いたからといって実際の人間関係が悪化したわけではない」p53-54
それな!!!#和歌の読書記録
社会性!
「通具は撰歌自体に問題があった上、詞書を書けば要領を得ず、雑歌三巻をチェックして彼の担当はすべて書き直した。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 14, 2025
有家もあまり役に立たなかった。(略)作業を見ているだけだったのである」p56-57
こういう人いる……。
ホモ・サピエンスって変わりませんね。
元久二年三月六日以降になって「三月中に新古今の竟宴するよ。今年は古今集成立から300年、古今仮名序は四月十八日付けだからね」と言い出すのマジ後鳥羽院。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 18, 2025
元久二年三月が古今集成立から300年であることは昔から決まっていたわけで、それに合わせて竟宴をするなら早く言って……。#和歌の読書記録
国家公務員はつらい。
「「竟宴」は、平安時代、史書が完成したり、漢籍の講義が完了したりした時に、朝廷で開催される宴会であった。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 18, 2025
勅撰和歌集では前例がないが、撰国史所の事例を念頭に置いていたとすれば、「竟宴」の開催は一応合理的である」p58
「しかし、定家は不満を隠さない。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 18, 2025
竟宴の形式では院の親撰であるとの宣言となり、撰者の名誉は半減する」p58-59
なるほど。それはたしかに定家くんかわいそう。
国家公務員はつらい……。
しかし定家くんは後年『新勅撰集』を単独撰集するので、良かった……のかな。
判明するかぎり最後の修訂は、「翌(承元)四年九月ら春上の大伴家持の歌が切り出されたこと」(p60)だそうで、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 18, 2025
小川剛生先生も、新古今の成立は家長本の健保四年とは考えないお立場。
従来家長本の健保四年が最後の修正と言われていたけれど、さすがにこれはもう学会の多数に否定されている感じなのかな。
「同じ議政官、また羽林家の家格といっても、参議と中納言とでは雲泥の差がある(中納言と大納言の差より大きい)」p72
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 2, 2025
このあたり、実感を伴って理解できないのが悔しいな。#和歌の読書記録
「家長は善意で知らせたのであろうが、定家は「ただ弁士の下端か(口先の同情か)」と嫌な気持ちになる」p72
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 2, 2025
定家くん、そういうとこ……。
心の友だが、友達にはなれない(矛盾)
「新古今集での苦い経験もあり、所詮、歌集の完成は形式に過ぎない、と割り切っている定家は、十月二日、仮名序と目録(略)だけを奏覧した。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 2, 2025
二日後に天皇は譲位、皇太子が二歳で践祚して四条天皇となる。
内容は何もできていないが、集名は「新勅撰和歌集」であった」p75
大人の対応。
「北村季吟の新勅撰和歌集口実が推測したように、八代集までの伝統とは訣別して、新しい伝統を作るのだ、という気概を見ることは一応可能であろう。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 4, 2025
ただし、そういう考え方は一面では現代的であり、必ずしも定家にはあてはまらない」p79#和歌の読書記録
誰とは言わないが、最低限の勉強で和歌についてものを言おうとする人が陥りがちなやつですね。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 4, 2025
あなたが言及しようとするその人たち、現代人ではないのよ。
現代を生きる自分たちに引き付けすぎた解釈は、和歌にかぎらず様々な場で散見される。
徳川家康が民衆の平和のために戦った……わけがないだろう。
「この集名はそもそも普通名詞的な用法であったのではないか。(略)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 4, 2025
奏覧は内々のものである。まずは「新勅撰和歌集」としておけば、正式な書名の決定は披露の直前でよいのである」p79-80
興味深い。
この集名への違和感はずっとあったけれど、私は「新御所」や「新国史」の例を知らなかったので、引用で省いた箇所に書かれているように考えることができなかった。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 4, 2025
「知らないことはググればいい、ChatGPTに聞けばいい」とはいうけれど、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 4, 2025
そもそもその結論を導くために必要な思いがけない分野の知識がない場合、ない以上それが必要と気づくこともできず「教えて」とも言えないわけで。
知識を持つことの意味はなくならないと思う。
「素性」とあるのを「ソセイ」と誤読。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 4, 2025
「スジョウ」です。
良経の子息で道家の異母弟に当たる人(基家)に「好まれる歌風に賛成できないので入集はお断りする」と明確に伝えているそう。(p84)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 4, 2025
定家から見たら九条家は主家筋だと思うのだけど、基家は後鳥羽院と連絡を取っているとはいえ、そんなにはっきり断れるものなんだ?
為家の代に御子左家の家格がかなり上がったのだと認識しているけれど、
定家の晩年にはそこそこ上がっていた、またはその兆しがあったのかな?
源具親、「北条義時の前妻比企氏(朝時・重時らの母)と再婚し(p89)」ていたのか。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 4, 2025
定家くん、日記に「後鳥羽」と「後堀河」の意味で「北朝」「南朝」と書いているらしい。おもしろい。#和歌の読書記録
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 23, 2025
「(順徳)院は自身が(新勅撰集に)入集する可能性があることを知っており、定家の立場を慮ったのか、入集することを望んでいない、とわざわざ述べた」p91
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 23, 2025
順徳院って定家にそんなに優しい感じなの?
「過去の人である三院がいやがおうでも目立ってしまうのは、当代の後堀河院歌壇があまりに貧弱だからであった」p92
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 23, 2025
な、なるほど。
「精緻な排列を誇る勅撰集で、一割もの歌が削除されればダメージは免れないはずだが、定家がこれに抵抗したようすはない。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 23, 2025
思うに後堀河院防御の衝撃が大きく、その「原因」となった三院の詠があってはならないと考えたのではないか」p94
定家にもこういう面があるのか。
「(新勅撰集)雑四は七十五首、すべて地名を詠んだ和歌(名所歌)」p98
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) April 23, 2025
「歌枕が乏しい地方(北陸道・山陰道)もあるが」p99
と来てp100で示される一覧によると山陰道の唯一の歌枕が「石見の川」!!! (私の地元)
ちょっとうれしい(それだけ)
しばらく間を空けて第三章「創られる伝統ーー続後撰和歌集」。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 29, 2025
四位以下の官人の経歴は公卿補任に載らないのか。
外記局が管理したらしい。(p103)#和歌の読書記録
為家が権大納言となった約半年後に定家死去。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 29, 2025
家としての悲願の達成を見届けて亡くなった、という解釈が自然とできてしまうなあ。(p104)
「後鳥羽はすでに「顕徳院」という諡号を奉られていた。都を離れて死んだ天皇の諡号は「徳」の字を入れるのが例であった。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 29, 2025
しかし、後嵯峨践祚後すぐ、もはや怨霊となる理由はないということで、現在の後鳥羽院に改められた」p106
もう諡号が付いているのに、「顕徳院」のままではダメだったのかな。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 29, 2025
「徳」の付く諡号は、付けずに済むならば付けないほうがよい、という惜しむべきものだったのか??
忠成でなく邦仁が践祚した時点で、権力は九条道家から西園寺実氏に移っていた、ということでいいのかな。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 29, 2025
久仁(後深草)の誕生、西園寺姞子(大宮院)の入内の翌年ってほぼ最短ですね。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 29, 2025
しかし異母兄宗尊親王はその前年誕生、それより上の異母兄(僧籍)もいるということなので、日の当たる立場になる前でもそれはそれで、そうですよね。
西園寺家が関東申次になるのは、宮騒動のあとか。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 29, 2025
「権大納言に昇進する家格を得て、当主と嗣子は摂関家への家令関係を止めたらしい。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 29, 2025
かわって次男以下の庶流が摂関・大臣に奉仕するが(略)」p107
ここか!!!
なぜ為家の娘が摂関家と婚姻し正妻になれたのだろう、とある時期までそこそこ疑問だった。
藤原為家の息女為子(後嵯峨院大納言典侍)は二条道良の正室です。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 29, 2025
その娘、九条左大臣女は前期京極派歌人として活躍します。
為家が権大納言になった直後に定家が亡くなっているので、
やはり、御子左家(の当主と嗣子)が九条家への家令関係をやめたのは、定家の『新勅撰集』撰集より後だよなあ。
基家は道家の異母弟なので、そのあたりが関係あるのか?
「宝治年間に入ると、院政も安定し、後嵯峨の御幸・遊宴・寺院造営が旺盛となった。(略)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 30, 2025
後鳥羽院を髣髴とさせる振る舞いは、自身がその正統を継ぐとアピールする目的があったとされる」p108#和歌の読書記録
「詞書に明示される限りでは、承久以後の後鳥羽院関係者の詠は(『続後撰集』に)採っていない」p115
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 30, 2025
「承久の乱は存在しなかった」ということにしようとした、とまで読むとさすがに穿ちすぎ?
「続後撰集は中世を通じ最高の評価を受けた。「花実相兼」という賛辞が贈られる」p118
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 1, 2025
そうなの!?#和歌の読書記録
「為家あるいは続後撰集の歌風は「平淡美」と言うこともある。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 1, 2025
(略)華麗で情熱的な唐詩に対して、いかにも温和で無味な宋詩を形容するもの。(略)
まずは華麗さを尽くして後に初めて到達できる詩境でもある」p119
「以後の歌道師範は為家の経歴を理想としており、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 1, 2025
その為家が一人で干渉されずに撰べたこと、という外部状況に懸かることが大きく、
花実相兼と言われる集の内容についての研究はこれからであろう」p120
納得。
「百人秀歌を改訂した者として為家の名が挙がることもあった。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 2, 2025
ただし、為家の立場であれば、後嵯峨の父土御門をこそ顕彰すべきである」p123
たしかに。
「百人一首」には土御門院ではなく順徳院の詠が入っている。
(「百人一首」に関心がなすぎるので、それについて考えることもなく、考えればすぐにわかるこのくらいのことさえ指摘されてから気づき納得する)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 2, 2025
『続古今和歌集』の集名の決定は、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 2, 2025
『新古今集』竟宴から満六十年、『新古今集』の三百年前の『古今集』から見ても乙丑の干支が一致するから(p130)、か。
続なんとか集、新なんとか集、新続なんとか集の諸々は和歌が専門の私にも記憶が困難である。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 2, 2025
だからといって正岡子規には同意しないが。
「(続古今集への宗尊の入集数は)当初は三十首であったのが、最終的には六十七首の多きに及び、集中第一位となった(略)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 3, 2025
勅撰集初入集者は十首以下に抑えるのが通例であり、(略)」p132
ひゃあ……。
いや、もちろん宗尊が歌の上手であることが前提ではあるのだが。だが。#和歌の読書記録
「九月十七日に宗尊は一品に叙され、中務卿に任じられた。この時期は俗体の親王が稀少であり、「中務卿親王(略)」の出現は二百年ぶりのことである」p132
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 3, 2025
たしかに、○○法親王とか入道親王とかばかり見る気がする。
「続古今集の詞書・出典の誤りは、雲葉集(つまり基家の進覧本の)の誤りをそのまま継承している例が多いという。(略)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 4, 2025
新古今集では、定家が愚痴を言いつつも他人の撰歌の不備は相当に訂正していた。
しかし、為家は泥をかぶろうとはしなかったし、そんな余裕もなかった」p142#和歌の読書記録
愚痴を言いながらもきっちり仕事する定家さん。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 4, 2025
定家くん、文句を言いつつも仕事はしてくれてありがとう。
石田吉貞『藤原定家の研究』で定家の息子とされた覚源は、津守国平弟で、定家の猶子として出家させた、と考えられるのか。(p149-150)#和歌の読書記録
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 7, 2025
「「亀」は為氏の寵童と考えて構わないと思われる。(略)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 7, 2025
物語の世界ではあるが、光源氏にも薫にも小君という若者が侍っていた。
このような寵童を引き連れるのは、やはり為氏の地位の高まり、交際圏の広がりを示す指標であったようにも思える」p154
「少なくとも祖父定家の身辺にこのような者はいなかった」p154
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 7, 2025
御子左家の家格が為家の代でうんと変化したこと、もう少しきちんと把握したほうがよさそうだな。
なんとなく定家のころの感覚で為家や為氏を見てしまうと、大いに誤りそうだ。
「為氏卿記には、和歌に関する記事は意外に乏しい。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 7, 2025
ここに見えるのは、院や天皇の信任厚い、朝廷の重鎮の姿である。
御子左家の当主がかかる存在となった時、和歌に割く情熱が単純に小さくなるとは言えないが、少なくとも俊成や定家の時代のようにはいかないことも道理である」p154-155
「とりわけ勅撰集の編纂などには、経営者としての顔を前面に出すことが求められるーシステマティックなやり方へと舵を切らざるを得ないであろう。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 7, 2025
そのために身分は大して高くない、歌才も必ずしも「堪能」とは言えない、忠実な家人を擁した、組織としての御子左家を構築する必要があろう」p155
「(なまじ、歌才や身分があると野心を持たれて面倒なのである)」p155
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 7, 2025
こわい。おとなのせかいこわい。
この御子左家(二条家)に、為教はわからないが少なくとも為兼は絶対に飽き足らないだろうな……そりゃ反発もし、新風を立てもするだろうな……。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 7, 2025
私が為兼でも反発するわ……。
「為氏は二条家の祖と言われる。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 8, 2025
為世の邸が二条万里小路にあったことは確かで、その家系・流派が「二条」を称するためであるが、
為氏自身は「二条」と呼ばれていない」p156
そうなんだ!#和歌の読書記録
為兼のルビが「ためかぬ」になっているの、好印象!
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 8, 2025
令和の京極派としてはとてもうれしい。
「惟康親王」と呼び慣わしている方は、将軍在職中の大半を「源惟康」として、源氏将軍として過ごしていたのか。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 8, 2025
『「和歌所」の鎌倉時代』には「源惟康」とのみ書いてあったので、気になってざっと調べた結果。惟康王→源惟康→惟康親王、らしい。
「親王将軍」としばしばひとくくりにするけれど、厳密には惟康親王は親王将軍であった期間より源氏将軍であった期間のほうが長い……のか。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 8, 2025
「為氏の「私曲」に対し、寂恵は「公平」であるというが、これは武家が公家に干渉する時に見られる論法であった」p171-172#和歌の読書記録
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 9, 2025
「寂恵の背後には京極為教・為兼父子がいたのである。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 9, 2025
両者は連携して、続拾遺集を非難したのである。
為教の異議申し立ては、無謀なように見えるが、寂恵にも写しを渡して鎌倉にも働きかけをしていたのであった」p176
「勅撰和歌集は、下命を受けて初めて撰歌に着手することが建前である。(略)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 10, 2025
しかし現実的な問題として、限られた期間で奏覧に漕ぎ着けるためには、私撰集をーそれもできれば複数ー準備しておくことが必要であり、そうしたものが「打聞」と称されたのではないか」p186#和歌の読書記録
「それは(略)一門出身の歌僧で父や兄に忠実な者に編纂させるのが、万一のトラブルが生じた時のためにも賢明であろう。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 10, 2025
この後、為氏直系の子孫、つまり二条家による勅撰集にはほとんど、打聞に相当する私撰集があったことを確認できる。
事情は他家でも同じではないか」p186
大人の事情、処世術。
「そもそも後深草・伏見父子には院政の実務に堪える人材が乏しかった。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 10, 2025
亀山・後宇多父子が有能な伝奏・評定衆を擁していたのと異なる」p198
例えば現在の立憲民主党に政権が任せられない事情と似ている。
善し悪しは別として、自民党には人材がいる。
(特定の政党を支持する思想はありません)
(個人的には持明院統が好きですが、公正に見てこういう面は確実にあったよねと指摘できる)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 10, 2025
持明院統が好きだからこそ、持明院統について勉強し、その結果、持明院統が幕府に信用されなかった理由もよくよくわかるようになってしまう。
「新後撰集は、多方面に配慮して怨恨を買わないように努めたふしがあるが、これは同時に勅撰集入集のハードルを一気に下げることになった」p204
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 11, 2025
勅撰集の価値!!!#和歌の読書記録
自分の主人が禁じたので勅撰集入集希望が出せず、主人の没後、その次の勅撰集(玉葉集)の成立後に遡って前の勅撰集の撰者に「入れて」と願ったら、『新後撰集』奏覧から十余年経っていたのに撰者みずからの筆で修正、安東重綱は入集を果たしたそうです(p207)……おとなのじじょうこわい。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 11, 2025
勅撰和歌集は、「良い歌を集めたアンソロジー」では決してないのだなあ……ということがこのあたりからもよくわかる。
その時の治天である亀山が二条家と結んでおり、歌論の相容れなさから京極家(為兼)が持明院統に近づいた、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2025
というより、
そもそも財産の問題で亀山が二条家に有利な裁定を下したため、京極・冷泉両家が持明院統に接近した面があるのか。(p214)#和歌の読書記録
因果は無数にあるし、本人が自覚したり記録したりするものはごく一部なので、「これだけが唯一の原因」ということはそもそもないのだろうけれども。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2025
あ、しかし、二条家と冷泉家で争った播磨国細川荘の、地頭職はともかく領家職については「最終的に弘安九年(略)の亀山院の院宣により為氏の勝訴」とされていたのか。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2025
弘安九年は為兼が煕仁(伏見)に接近して久しいので、「最終的に弘安九年(始まりはもっと前)」と読めばよいのかな。
「これはこの時代の思想の現れなのである。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2025
訴陳を重ねることで、論点を集約し、理非に基づいた判決を下すという訴陳の手続きこそ、公家政権、治天の君が最も重視したからである」p218-219
為世「庶子で撰者になった者はいない。嫡子が大事」
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2025
為兼「有家、寂蓮は? あと定家と為家は次子です。家督は嫡庶ではなく才学で決まる」
為世「成家は系譜上は定家の兄でも器量その他問題外で庶子」
えっ為世さん自分で器量優先と言っちゃった?
これを為世がどう取り繕ったのか、大変気になる。
「持明院統の治天の君は総じて優柔不断で、しかもしばしば読みを誤ることがある」
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2025
う、うん……。
「(玉葉集には)序はない。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2025
革新的な集であり、成立まで紆余曲折も経たので、あってしかるべきとする向きもあったが、
為兼が漢学の才能を欠くために果たさなかったという」p226
!!! 理由!!!#和歌の読書記録
「(皇太子は勅撰集に入集できないので、尊治親王は(入集数)零である)」p227
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2025
そうなんだ! ほかに出典が欲しいな。
「為家、為氏、為世が顧みなかった古歌が、為兼(あるいは伏見院)に見出され、巻頭だけではなく、要所要所にその思想・主張を象徴するように置かれている。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2025
このあたり、同じく古歌が目立つといっても続古今集とは違う。
古歌の発見と再生は玉葉集を読む醍醐味の一つであろう」p233
「たとえば清新な叙景歌は、万葉集に近いと言われるが、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2025
為兼の主張は、単純な写生叙景ではなく、
自然の微妙な動きをいったん観念の世界でとらえ直してから、言葉に出すものなので、
単に俗語を厭わないとか、古歌を慕うといった単純な手法とは次元を異にする」p236
写生第一主義の人に語られる京極派ほど本質から離れたものはなかなかないわけで。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2025
この小田剛生先生のように、特に京極派について語る趣旨の図書でなくともこのように正確に捉えて書かれたものを見ると、安心します。
「そもそも、歌論とは、よい歌はどうすれば詠めるか、優れた歌は何が違うのかを説く文学論の一つである。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2025
しかし古来の歌論は、人が歌を詠むときの心の動きについては正面から説こうとはしなかった。(略)
為兼は、(略)歌を詠む心の動きを初めて突っ込んで考えた歌人であった」p236
全体は部分の集合だが、部分を集合させれば全体になるわけではないので、「こうすればよい歌が詠める」と述べることはそもそも難しいのだよな。
その条件をすべてクリアしたとてつぎはぎになることはある。しかし、良い歌を分解すると確かにその条件を満たしていることが多い。という。
「このように、続千載集は、四季部六巻と、恋部・雑部などを分離し、二段階で完成させる方式を初めて明確に採用している」p246#和歌の読書記録
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 13, 2025
「勅撰集が、群小歌人の入集を許容するようになっても、それは恋部・雑部に限られ、とくに初入集の場合は、四季部への入集は見られない。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 13, 2025
四季部こそ集のオモテ(晴)なのである」p246-247
おもしろい。
四季部こそオモテというのは、私の感覚とも一致する。
「和歌所では、二つのグループに分かれてそれぞれ(続千載集の)修訂作業を進めたが、その結果が遂に統合されることなく終わったことを意味する」p250
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 13, 2025
……。
おとなのじじょうこわい。
「為世は歌合の判者をしたこともあるし、歌論書もあるが、ともに零細貧弱なもの、少なくとも熱量は感じない。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 13, 2025
(略)歌道師範の権威は確立しており、もはやみずからこのような仕事をする必要がないのである。
そんなことは傍流や庶子がすることで、求められれば優秀な門弟にかわりにさせればよい」p250
私が為兼でも反発するagain
「歌風の低調ばかりが非難される十三代集であるが、もし撰集を一つの有機体として見るならば、大きな破綻はないと言える。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 14, 2025
文藝的に高い価値があるとして数多くの研究者の関心を惹き付け、さまざまな角度から分析されている恵まれた集とて、事情は同じであろう」p277-278#和歌の読書記録
「このようなことは文学とは関係ない事柄であると無視し、後世末流のこととして取り上げない傾向は、非生産的で危険なことではないかと思う。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 14, 2025
知り得ることは当時の人の知っていたことの何十分の一であるとしても、それを追尋復原する試みは続けるべきであろう」p278
「凡才は天才を越えられず、恨みは深い。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 14, 2025
後鳥羽院や京極為兼の個性は際立って鮮やかであり、そういう天才が手を下した撰歌は実に見事であった。
ただ、それはやはり一回かぎりの奇跡である」p284
為家の営みにこの現象を踏まえたものがあった、という文章を以前読んだな。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 14, 2025
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 14, 2025
「それはやはり一回かぎりの奇跡である。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 14, 2025
中世の勅撰集とは、押し寄せる歌人の、歌道への情熱を吸収し、ともかく余計な波瀾を起こさず、確実に続けなければならない事業である」p285
たしかに、毎回為兼のような個性爆発マンが撰者を務めたとしたら、国家事業として継続不可能だったかもしれない。
勅撰集は、決して、良い歌を集めたアンソロジーではない、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 14, 2025
少なくともそうでないように性質を変化させてきたのだな。
(それでも百人一首を読むよりは良い歌に出会える可能性が高いと思うけれど)
(あと玉葉集風雅集はいいぞ)
どう考えても絶体絶命な末期のオスマン帝国にムスタファ・ケマルが現れ、オスマン帝国はともかくトルコ共和国としてはなんとかした、ああいう現象を、
ほかの組織や国家が腐敗して崩れようとする時に期待することは、できないわけで。
「勅撰和歌集の歴史の上で、続後拾遺集と風雅集の間には、見えないが深い断絶があった。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 14, 2025
これがどのようにして再生するのか、あるいは新しい伝統が生まれるのかは続編で記すことにしたい」p286
待機_( ˙꒳˙ _ )チョコン
続後拾遺集まで綴られたところで終わりの雰囲気が出たので「なぜ!? 風雅集wktkしていたのに! 」と思ったのだけど、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 14, 2025
よく見たらこの本の題は『「和歌所」の鎌倉時代』だった。
風雅集は南北朝時代の成立でした。
とてもおもしろかった。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 14, 2025
十三代集のうち、玉葉集以外の鎌倉時代のもの、どれがどれやら状態だったけれど、前より少しは頭に入ったかもしれない。
それぞれにきちんと由来があるのだ。覚えにくいことに変わりはないけれど、覚えにくくともその由来には敬意を払いたい。
あと絶対に覚え間違わないので玉葉集はおすすめです。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 14, 2025
新古今、新勅撰のあたり、もう一度読み直そう。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 14, 2025
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