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花を活かすこと、歌を活かすこと ~裕泉堂いけばな体験~

三鷹古典サロン裕泉堂 吉田裕子さんのいけばな体験レッスンを受けてきました!


いけばな(華道)にもいろいろな考え方があるそうですが、
裕子さんは小原流という流派を選択なさったそうです。

実際に手を動かして活ける前に、いけばなの歴史やそれぞれの流派の考え方などのレクチャーを受けましたが、
「小原流はナチュラルメイク」という喩え。うーん、わかりやすい!
その植物のその植物らしさ・・・・・・・を最大限活かすため、必要と見れば大胆に枝や葉を落としてゆくのだそうです。

ナチュラルメイクには手がかかりますからね。
好感度の高いナチュラルメイクにどれだけ時間や手間がかかっているか、経験のない者にはわかるまい……。

豊かな自然・・・・・に憧れて田舎移住を羨む都会人にも、
「あなたの憧れる自然はどの自然? 手をかける人のいなくなって荒れ果てた、自然豊かな・・・・・過疎の田舎にいらっしゃる? 」
という気持ちになる部分が、田舎出身者として、なきにしもあらず。


その植物のその植物らしさを最大限活かすために必要な手を加える、という考え方、私の歌に対する考え方と同じです。

その歌題や歌材の最も活きる歌の形を選択すべきなのであって、
「私はこんなふうに詠みたい」
「私はこの花に対してこんな思い出がある」
といった自我の声は邪魔でしかないので黙らせる意外の選択肢がない。

あなた個人の思いにどれだけの価値があると思っているの???

そのストロングスタイルだと添削や評をするうえでだいたいの相手を悲しい気持ちにさせてしまうので、ある程度の社会性は発揮するようにしていますが、
あくまで本心ではそう考えています。


「いやいや、あなたの傾倒する京極派歌人は歌題や歌材の本意ほいに囚われず、『心のままに』歌を詠んだじゃないか」

歌題や歌材の本意ほいやその他和歌的な常識を血肉にした、そのうえで「私の目には、本当には、どう映っているか」を詠もうとした京極派には、
「歌題や歌材の本意ほいを血肉にした」という前提があるのです。残念~。

加えて、京極派歌人には卑小な自我の粉々に打ち砕かれた経験があります。前期の歌人には正安の政変が、後期の歌人には元弘の乱が。
それでも「我が心」を詠もうとした歌人の「心」は、自我の声に曇った「心」と別次元。並列するのも恥ずかしいぐらいの別物です。
そうした経験を持たない歌人が仮に京極派歌論を選択したとして、京極派和歌は詠めません(岩佐美代子『京極派歌人の研究』(Amazonアソシエイト))
それは鎌倉・南北朝時代でも、現代であっても、です。

それらの前提のない現代人が自我の声を無邪気に信用し表現することには、基本的に価値を見出だせません。私には、ね……。
価値を見出だしてくれる優しめの先生もいると思うので、ご希望であればそちらへどうぞ。


いけばなから自分の分野に引きつけて語ってしまいましたが、
初めての分野でああでもない、こうでもないと試行錯誤したり、共通点を見つけたりする時間、とても楽しかったです。

裕泉堂いけばな体験会の本格始動が楽しみですね!


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この記事を書いた人

photo by ミカアンドロイド

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