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『凍れる美学』覚え書き ~和歌の読書記録~


専門外と自称しながら古今東西の詩歌に通じた沓掛良彦氏による和歌エッセイ(という概念を超えた読みもの)。

実は私が和歌の世界に入るきっかけとなった最初の本が、沓掛良彦氏の式子内親王についての本でした。
もちろん友人はそんなことも知らず、Amazonウィッシュリストからこの本を選び、贈ってくれたのでしたが……大変おもしろく読みました。良書です。和歌に関心のあるすべての方に大いにおすすめしたい本です。

ただし万葉集至上主義に毒されてフェアな眼で文章の読めない方にはおすすめする意味もないかもしれない(毒されていない万葉好きさんにはおすすめします)




『凍れる美学』覚え書き ~和歌の読書記録~


「個人的にはこちらが好きだが、好きでないそちらについてもフェアに見たところ、高く評価せざるを得ないので、好きでないからと貶める風潮に流されずひと言申し上げたい」という強さ。
この公正さと冷静さ、また言語化能力を持ち合わせた人は少ない。貴重な図書だと思います。


短歌の評の仕事を頂くことがあるのですが、
「日記のつもりならこれでいいのですが……」とコメントすることがあります。
時々、いや、しばしば?



×古人こふるびたことば
○古人のふるびたことば
タイプミスです。すみません。



×詩作はの
○詩作への
重ね重ね、タイプミスすみません。








なので凡人はやらないのが安全なのだが、
そもそも生まれながらの天才などひと握りしかいないわけなので、

現在自分が凡人であり凡作しか生み出せていないということを自覚しつつ、その羞恥心に耐えうる強さを持ち、
いずれはなにほどかの歌も残せよう、その時のためにいま腕を磨くのだ、そのためにいま凡作を大量生産しているのだ、
と研鑽してゆく人であれば、凡人であっても本歌取りに挑んでよいのだと思う。

絶対に失敗しないために最も確実な方法はなにも挑戦しないこと、ですからね。
失敗しない代わりに成功も成長もしない。







凡作でしかない本歌取り、失敗と評せざるを得ない本歌取りはあるが、それをもって「本歌取りには意味がない」とするのはおかしい。
意味があるかどうかは、成功した本歌取りを見て論ずべきこと。


ただし、現在この世にそれが存在しなくとも、観念として「(本歌取りを成り立たせ得る)歌壇」は存在するので、私はその観念上の歌壇において太刀打ちできる本歌取り、評価され得る本歌取りをめざし続けている。
令和の世において評価される本歌取りなど、そもそも評価しうる歌壇が存在しない以上、めざすものではない。

努力の方向性を誤ってはいけない。この世での評価が欲しくて努力するのか、真実たましいの喜びとなるなにかにまっすぐ突き進むのか。
前者も否定はしないが、その場合、私以外の和歌詠みさんに助言を求めたほうが話が合いそうです。


えっ、別に誰のこととか言っていないですよ!
なぜ怒るのでしょう? なにか心当たりでもあるのでしょうか???



×試作
○詩作
申し訳ないです。


そもそも為兼や前期京極派が異常なのであって、
歌論をものする多くの歌人はだいたい定家方式でその歌論に至っている。きっと和歌以外でもほとんどはそう。






プチ講座とはこちらのことです。ご参考までに。




新古今のこの部分を強く継承したのが為家であり、二条派なのだろう。
京極派は、天才とはいわないが、センスある教養人以外を無言で振り落とす厳しい歌論を選択した。それでは、和歌は大勢のものにならず消えてしまう。そのスタートラインに立てる者はわずかで、しかもその努力のできる者はほんのひと握りだから。
彼らにとってはそれで良かったが実際京極派は70年弱で絶え、二条派はまったく異なるところに重きを置いていたため元来教養から遠かった武家層にもリーチした。
(個人的には京極派が好きです)


大歌人先生ともなればそのような態度でも仕事になるのですねえ。さすがですねえ(白目。







別にキリスト教勢力の駆逐などめざしていなかったサラディンに対し「十字軍国家勢力が一部彼の地に残ったのは良くなかったよね」と評するのがお門違いであるのと似ている。
(そういう学術書があるらしい。直接は未確認ですが「コテンラジオ」にて言及されていました





「好悪の感情を離れて積極的に評価すべき」だと私も心底思う。
同時に、ホモ・サピエンスに「好悪の感情を離れて」なにかを公正に評価することを求めるのは、なかなか難しいとも思う。
ストーリーを挟まずにものごとを理解することは、ホモ・サピエンスの脳に、大いにコストをかけるから。
沓掛氏のように公正な眼でものごとを見ようと己を鍛えられる人は、大変少ない。

「少ないから/難しいから、しなくてよい」ということではまったくないのだけど。





先にも書いたとおり、京極派は自分たちに大変な努力を要求するので、広く伝わり永く残るということがそもそも難しかった。そこに価値を見ていなかっただろう、とも思う。
しかし、その大変な努力の結果花開いたものは、そこそこの努力でなんとかなる道に咲いた花より美しく、時代を超えて愛されている。







これについてのChatGPTとの会話の一部。


以上です。ありがとうございました。
ご興味を抱かれた方は、ぜひ本文をお楽しみください。


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