和歌の効用を語らない
最近、数秘占いなどをする友人に
「和歌さんは数秘的に言語化能力が高いから、解説や指導に向いているよね」
と言われました。
言語化能力というか、言語部分の強さは私も自覚するとおりです。
現行の形以外でその能力を活かすとしたら……という話の流れで
「みんなが知ってる和歌でも、和歌さんの観点で『私はこんなふうに活かしてるよー』と伝えるとかすると、どうだろう」
と言われたのですが、そこでいささか引っ掛かるところがありましたのでシェアします。
彼女に悪意は決してないし、私も彼女のことは好きだし、「そのような捉え方をする人がいるのは自然なことだよね」ということは大前提として、
このエピソードから、私の美学やスタンスのご紹介ができたらと思いました。
そう、ちょうど先日の京極派スペースでも話したこと。
「和歌を、特に京極派を真剣にやれば、もちろん人生に影響するというか、影響しないほうが不自然。
けれども、
『京極派をやると人生良くなるよ』
『こんなふうに活かせるよ』
という言い方は絶対にしたくない」
という旨のことを話したばかりでした。
(近日中に(?)テキスト版も公開します。それまでは音声でお楽しみください)
前期京極派歌人のなかでも異色の九条左大臣女についてご紹介しました。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 11, 2026
骨太で、重厚で、どこか油絵のようなおもむきもある彼女の歌の魅力が少しでも伝わったらうれしいです。#京極派https://t.co/WMotSuStke
深井龍之介さんもコテンラジオ初期の番外編で言っていました。
ビジネスに活かそうとして人文知を学ぶのは違う、それは人文知の本質からずれている、と。
その放送の、その発言に賛同する旨のコメントが、私のコテンラジオへの初めてのコメントです。
吉田裕子さんの放送からお邪魔いたしまして、初めの放送から順に聴いております。
「孔子はビジネスの上位概念」
私も和歌を生涯の取り組みとしておりまして、ジャンルは異なりますが同じことを考えております。
私の愛する京極派和歌は、その特性上真剣に取り組むと人格を磨くことにもつながりやすい、ただし人格を磨くために京極派和歌があるわけではない、和歌は手段ではないのだ、
と考えております。
世界史には疎いところも多く、今後も様々学ばせていただけましたら幸いです。
清少納言の漢文の知識を紫式部が非難していますが、
その理由のひとつとして、清少納言たちの漢文知識はオシャレな会話のための道具に過ぎず、例えばその詩、例えばその故事の本質を彼女らがまったく捉えていないことが挙げられていますね。
経営のためにリベラルアーツを……という人たちの使い方と清少納言たちのライトでオシャレな漢文知識には、似たところがあったのかもしれません。
(清少納言は清少納言で偉大ですが)
(いずれもその放送に書き込んだ私のコメントです)
人文知が仕事や人生に活きるのは結果論であって、
「こんなふうに役に立ちますよ」という打ち出し方をした瞬間、それは価値を失う。
少なくとも、その打ち出し方をした人の口から発せられるそれに、本来の価値はない。
私はそう考えます。
そもそも人文知とはそういうものだと思う。
目的のための手段として利用するものではない。
それを持っていると、そして深めてゆくと人生の役に立ちはするが、役に立てるために学ぶものではない――それが人文知です。
例えば、あれはもう10年以上前だと思いますが、
私には喘息を発症し、ガテンバイトをやめ、個人事業のみで生活していた時期が8ヶ月ほどあります。
働けば確実にそのぶんのお給料の入るアルバイトをやめ、軌道に乗っているとはお世辞にも言えない個人事業一本で生きる。
不安がある、とかいうレベルではなかったのですが、
気づけば8ヶ月、東京でのひとり暮らしがなんとかかんとか成り立っていました。
どういう収入があったのか、いまとなってはなにも思い出せません。とにかく奇跡的なことがたくさんありました。
なぜかわからないがなんとかなっている。
喘息もほとんど症状が出なくなったし、働き方に気をつけつつまたガテンバイトに戻ろうか。
生活上の必要からではなく、今度は純粋な楽しみとして……。
そんなことを考え始めたタイミングだったと思いますが、ふと『新古今和歌集』の冒頭を改めて眺めたとき、
かきくらし猶ふるさとの雪のうちに跡こそ見えね春は来にけり
という歌が目に入り、はっとしたんです。
その有名な歌はもちろんとうに知って、暗誦していたくらいですが、
そのときまさしく私のために目の前に表れたかのように見えた。
先が見えなくても、春の兆しが見えなくても、
雪の下に春は訪れていて、時が来れば必ずそれは目に見える形になる、なにも恐れなくていいよ、
そんなふうに言われた気がしたんです。800年も前の和歌に。
その歌に励まされながら、私はガテンバイトに復帰し、
アルバイトを楽しみながら和歌にも変わらず取り組み、東京での生活を続けました。
このエピソード、たぶんそこそこ力を持っているんですよ。
やろうと思えば
「私は800年も昔の宮内卿の詠んだ和歌に励まされ、こんなふうに前に進めたんです。和歌ってこんな力を持っているんです! 」
と言えるし、
「だからあなたも」
と誘うことだってできる。
しかし、その語り方は果たして本質的だろうか?
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