『乱世の天皇――観応の擾乱から応仁の乱まで』覚え書き ~和歌の読書記録~
ウィッシュリストにも入れていなかった、しかしタイトルと目次を見るかぎりドンピシャの図書が、どなたかから届きました……サンタさん!?
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) December 19, 2025
ありがとうございます。しっかり読み、血肉にしてゆきます。
観応の擾乱理解が進みそう!
乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで https://t.co/AN0t85XAn3
『乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで』
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 8, 2026
読者様からのプレゼント。
後花園天皇やその直前あたりについては私の史実把握が甘いので、良い勉強になった。
完全にこちらの問題だが、...#読書メーター #和歌の読書記録https://t.co/Xna8ZumIWS
読者様からのクリスマスプレゼント。どなたかわかりませんが、本当にありがとうございました。
後花園天皇のイメージが変わりましたし、一度読んだだけでは難しいものの、当該期間の歴史的事象をざっくりと把握することができました。
『乱世の天皇――観応の擾乱から応仁の乱まで』覚え書き ~和歌の読書記録~
ウィッシュリストにも入れていなかった、しかしタイトルと目次を見るかぎりドンピシャの図書が、どなたかから届きました……サンタさん!?
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) December 19, 2025
ありがとうございます。しっかり読み、血肉にしてゆきます。
観応の擾乱理解が進みそう!
乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで https://t.co/AN0t85XAn3
感謝。
「漢詩という高尚な方法で為政者を叱責する天皇とはどういう存在なのか。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 7, 2026
天皇自身が為政者ではない、という点が重要である。
眼前の飢饉に対して政治的責任を問われない存在であるからこそ、為政者を叱責し、そのことによって尊敬されるのである(続く)」
「(続き)政治的実権を失っても、いや、失ったからこそ浮上した天皇の権威とは何だろうか」p18#和歌の読書記録
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 7, 2026
実家にいたころよく読んでいた本郷和人先生の本など連想しながら読みました。
光厳院の行列に矢を射掛けた土岐頼遠、その死後『新千載和歌集』『新拾遺和歌集』『新後拾遺和歌集』に入集……! (p19)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 7, 2026
知らなかった……。
歴史学のほうでは、やはり今谷明氏は折々参照・言及される存在なのだなあ。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 7, 2026
国文学のほうでは、ミネルヴァ書房の『京極為兼』に事実誤認があると各所から指摘されているけれど。
「あとがき」でも
私にとって自らの学問を進めるためには大きくそびえ立つ今谷説に全力でぶつかるしかなかった。
いまなお今谷説は大きくそびえ立ち、研究を進める原動力となり続けている。
とある。
実在性の疑われる天皇を除くと、後花園天皇の在位が推古天皇を超えて最長(当時)! (p21-22)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 7, 2026
「問題は……というところが問題となるだろう(p20)」
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 7, 2026
「皇太子に……を皇太子に据えた(p23)」
など、ちょっと気になる。
『乱世の天皇』筆者の秦野裕介先生も、崇光院の曾孫後花園天皇の践祚について「あくまでも後小松の猶子として登極したのであり、崇光皇統が復活したわけではなかった」(p23-24)というお立場。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 7, 2026
このあたりは昨年読んだ『北朝天皇研究の最前線』や『北朝の天皇』でも学んだ記憶がある。
管見のかぎりに過ぎないけれど、このあたり専門家で「崇光皇統が復活した」とされる方は見たことがない。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 7, 2026
こちら(後花園は後光厳皇統として践祚・即位した、本人の認識も周囲の認識もそうであった)が定説ということでいいのかな。
そうか。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 7, 2026
院政と太上天皇制は異なる概念なのか。
院政は上皇(太上天皇)としての権限ではなく、天皇家の家督者としての権限で国政に関わること、か。(p25)
「後嵯峨は自らの後継者を鎌倉幕府に委ねることにして鎌倉幕府への恩返しとしたのであろう」p31
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 7, 2026
自分が決めたところでそれが幕府の意に沿わなければ覆されるから、決めても無駄だからはじめから幕府に委ねた、
というような考え方を私は複数から聞いてきたけれど、こういう考え方もあるのか。
富仁(花園)践祚のタイミングで後宇多が嫡孫邦良ではなく尊治(後醍醐)を立太子させた理由は、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 8, 2026
持明院統との皇位争いという状況で年少の皇太子では不利になるからだと思っていたけれど、
尊治践祚後邦良を立太子させ皇位継承を大覚寺統で独占するため、という見方もあるのか。#和歌の読書記録
「文保の和談」は明確な合意はなく、話し合いのみがなされた、というのが近年の通説φ(..)メモメモ
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 8, 2026
(P37)
正中の変は持明院統が後醍醐退位を促すため仕掛けた(でっち上げた)もの、という説があるのか。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 8, 2026
河内祥輔先生、呉座勇一先生、著者の秦野裕介先生はこの立場だそう。
持明院統には政治センスがちょっといまいちなところがあるので、そんな陰謀するかなというのが直感的なところだけど、
逆に、政治センスがいまいちだからこそそんな陰謀を仕掛けた、という考え方も成り立つか?
「ここで後醍醐の言い分を完全に受け入れると、今度は持明院統の伏見らを捕縛せざるを得ない」p41
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 8, 2026
この時点で伏見は亡くなっているので、「後伏見」の誤植かな。
誤植、いくつかありました。
「伏見」と「後伏見」はよく間違われるから、ある程度は仕方ないのだけど。
「『誡太子書』は、学問に長じた花園が来たるべき戦乱を予見していたとして有名な史料であるが、花園自身は将来戦乱がやって来るとは思っていなかっただろう。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 8, 2026
彼は(続く)」
「(続き)彼はアジア地域において普遍的な天人相関思想に基づき、君徳が欠ければ天命が革まり、戦乱が起こるという革命思想を通じて君徳涵養の必要性を説いていたにすぎない」p43
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 8, 2026
私もそう思う。
北畠親房でしたっけ、違ったかな、「日本は万世一系だから良くない(意訳)」と述べていると聞きますが(きちんと読んだことはない)、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 8, 2026
花園院も「万世一系だから、外国のように徳によって王位の変わることがないのはすばらしいこと、ではない(意訳)」と考えるんだな。
「万世一系論に基づく日本の特殊性を一刀両断に斬って捨てている(略)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 8, 2026
彼(花園)はむしろ、アジアにおいて普遍的な思惟様式に基づいて自らの思想を打ち立てていたのである」p43
ということは、やはり万世一系すばらしいという考えのほうが日本(朝廷周辺)では一般的だったのか??
正中の変は持明院統の謀略とする説だと、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 8, 2026
後醍醐が倒幕を考え始めたのは、邦良が早世、持明院統の量仁が立太子し、その次の皇太子は邦良遺児康仁と確定した時点である、
自身の子孫への皇位継承を実現するには皇位継承に介入してくる幕府を潰すしかない、とそこで考えるに至った、
と考えるのかな。
「皇太子富仁親王が践祚(花園天皇)すると、後伏見の院政が始まり、後伏見の下命を受けた勅撰和歌集『玉葉和歌集』が編纂された」p55
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 10, 2026
いずれも後伏見ではなく伏見です。これは諸説ありません。100パーセント伏見です。
この本での伏見と後伏見の誤植、3箇所目なり……。#和歌の読書記録
京極派の民なので、さすがに気づいてしまう。
北条仲時や光厳天皇らを番場で囲んだ野伏たちが「亀山天皇の皇子の五辻宮守良親王を擁立」していたというのは、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 11, 2026
チャッピーいわく、正統性のため親王を担ぎはしたものの、必ずしも戦場に連れて来たということを意味しないらしい。
このころ親王は約52歳(チャッピー談)#和歌の読書記録
わからないところはチャッピーに尋ねながら読み進めるので、読むスピードは本当に遅くなっている。
そのぶん理解が深まっているといいな。
後伏見の出家した時点でも、花園の出家した時点でも、光厳さんは出家しなかったんだよなあ……。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 11, 2026
その彼の出家のタイミングが、自身の関与しない弥仁(後光厳)践祚を知ったあと、というのがまたせつない。
光厳の出家は、弥仁(後光厳)践祚後ではなく、践祚直前か。(p67)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 13, 2026
観応の擾乱で、京を離れるにあたり南朝に降伏する際、直義のように両統迭立にこだわらず南朝への統一を認める内容で講和を進めたのは、尊氏ではなく義詮なのか。#和歌の読書記録
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 12, 2026
同時代の洞院公賢が書き留めているらしい(p60)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 12, 2026
光厳の矜恃と、光明の線の弱さ(優しさの裏返し? )と……この兄弟の関係性について詳しく研究されたものなどあるのかな。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 12, 2026
太上天皇号を贈られた日に落飾した光明の、落飾に至るほどの衝撃もわからないではないし、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 12, 2026
花園の薫陶を受け持明院統そして北朝を守ろうとしてきた光厳がそれを「「御迷惑(戸惑い)」と批判した」というのもわからないではないし。
研究も読みたいし、小説化されたらそれもぜひ読んでみたい。
「義詮は京都から近江国に逃亡した。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 12, 2026
その時、義詮は朝廷のことをそれほど気にかけなかった。
鎌倉で長く育ってきた義詮にとっては、朝廷の持つ意味合いが切実にはわからなかったのであろう。
彼は三上皇と直仁親王の身柄の安全を確保せず、南朝の中に放置し、自分だけ逃れ出たのである」p62
仕方ないけど……仕方ないけど……けど……。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 12, 2026
後光厳を擁立した義詮にとって、光厳や崇光の帰京は想定より早く、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 13, 2026
「後光厳にとって大きな打撃となった」「幕府は後光厳とその子孫の「正統」の地位を確立するためになりふり構わぬ動きをする」ことにつながるものだった、と考えるのか。(p66)#和歌の読書記録
光厳目線で歴史を見る私としては、長く先の見えない拉致生活だったと感じられるけれど、俯瞰するとそう見えるのね。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 13, 2026
私たちはつい、結果から遡って歴史的事象を見てしまうので、本当に気をつけたい。
あと私はどうしても光厳目線で見てしまうので。
光厳にとって「出家する」ことと「禅衣を受ける」ことは意味が異なるというか、異なるのだと受け取ったほうがいいのか。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 13, 2026
(記憶を頼りに深津睦夫著『光厳天皇』の当該箇所を再読)
光厳の考えと無関係に践祚した後光厳は、のちに持明院統嫡流の受け継いできた琵琶の習得を光厳に許されたが、熱心に学ばず、足利氏の芸である笙を選び足利氏に同化しようとした……か。(p70)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 13, 2026
笙というと、武田信玄を呪い○す寿桂尼おばば様を召喚した氏真ぼったまの笙……を連想するのは私だけではあるまい。#井戸の底からこんにちは
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 13, 2026
「おんな城主 直虎」が好きです。
「延文四年(一三五九)四月二十八日、(略)『新千載和歌集』が完成した。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 13, 2026
近衛道嗣はこの日の『新千載和歌集』の完成の記事の中で、光厳が『新千載和歌集』への入集を拒否した、という記事を書き留めている(『後深心院関白記』)」p71
実際には入集しているらしいけれども。
入集拒否というと、光厳の祖母のような存在である永福門院(光厳の祖父の妻)の「二条派勅撰集には絶対に資料提供するな」という、二条派ブチ切れ案件からの京極派仲間への厳命を連想する。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 13, 2026
「ここ(康安元年の南朝による京都攻撃)で注目すべきは、光厳の動向が一切出てこないことである。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 17, 2026
もはや南朝にとっても北朝にとっても、光厳は「過去の人」であり、
その身柄は守護する価値も、ましてや奪取する価値もなかったのだろう」p73
安全なのは有難いが、せつない。#和歌の読書記録
これは大昔聞いた話で裏も取っていないので、誤りがあったらご容赦いただきたいのだけど、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 17, 2026
ナチスが「同性愛者」を迫害したとき、レズビアンは対象にならなかったと聞く。
男はともかく女が男を愛そうが女を愛そうが政権にも社会にもなんの影響もない、という扱いだったのだと私は解釈している。
「(光厳隠棲の地は)京都市中からは自動車で一時間以上かかる場所である。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 17, 2026
山をいくつも越えていかなければならない場所であり、現代でこそ便利になったが、天皇の住む場所にしては極めて不便なところである」p75
現代でもバスや車で大変でした。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 17, 2026
あのくねくね山道を行くと、「本当に、本当に、この先で人生を終える覚悟での旅路だったのだな」と思われます……。
私はそれでもバスや車でしたが、病に蝕まれた光厳さんが登場交通手段であの山々を越えられたと思うと……。
×登場
○当時の
崇光や栄仁には渋川幸子や斯波義将の支持があったのか。(p76)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 17, 2026
「光厳の正統を継承するのは後光厳」という意味での追号「後光厳院」なのか……。(p77)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 17, 2026
「南朝に対する室町幕府の扱いについて、我々が常に意識しなければならないのは、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 20, 2026
南朝に厳しい政策を主導しているのは北朝朝廷であって、室町幕府ではない、ということである」p83#和歌の読書記録
「後亀山に太上天皇尊号を宣下する時の後小松の詔勅には
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 20, 2026
「先例はないが、特別に尊号を奉り、太上天皇とする」としている。
この場合の「先例(準的の旧蹤)」とは二世王に太上天皇号を与える、ということである。
つまり後小松は後亀山を後醍醐の孫の諸王として扱ったのである(略)」p84
貞成の親王宣下は、後円融院三十三回忌の法会に写経を要請され阿弥陀経を担当した貞成のほうから、「無品のままではのちの記録に格好がつかない」として望んだこと、か。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 23, 2026
後小松の猶子になったのも同じタイミングか。(p117)#和歌の読書記録
貞成と第二子伏見若宮(後花園)は、そこそこ歳の離れた親子だったのだな。(p118)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 27, 2026
後小松が伏見若宮を猶子とすることを唯一の条件としたことについて
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 27, 2026
「猶子にせずに崇光皇統から天皇に立てることも理屈上可能だったのか? 」と疑問に思いチャッピーに尋ねたところ、
理屈上は可能だった、だからこそ後小松はそれを恐れた、とのことらしい。#和歌の読書記録
「この頃の幕府は敵対するものすべてに鎌倉公方との通謀の疑いをかけている(略)
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 27, 2026
自分への批判勢力のバックに自分の敵視する大きな勢力を無理やりに見出す作戦は、今日に至るまで数多く見られる」p133
作戦というより態度とか姿勢とかかなという気はするものの、同意。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) January 27, 2026
「(義教のころ)足利将軍家にとっては、天皇と並ぶ地位に立つことで権威を示そうとした時代は遠くに過ぎ去り、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) February 1, 2026
地に堕ちた天皇権威を再生させることで、自らの権威をも示す時代になっていたのである」p145#和歌の読書記録
後花園が後小松に親しみを感じ、後小松も後花園を可愛がっていたからこそ、後小松の死後後花園は実父の貞成に太上天皇尊号を贈ろうとしなかった説、いろいろと考えさせられる。#和歌の読書記録
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) February 12, 2026
明石中宮にとって心許せる母は血のつながらない紫上だったんだよな……。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) February 12, 2026
「『新後拾遺和歌集』の撰者の二条為遠は酒に溺れて完成させることができず」
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) February 14, 2026
「『新後拾遺和歌集』を完成させた庶流の二条為重が二条家を代表するようになるが、子の為右が義満に仕える明人の女性と密通し(略)」
「あながち後小松と義持の怠慢というわけでもなさそうである」p174#和歌の読書記録
た、大変だな……二条家も天皇家も。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) February 14, 2026
『誡太子書』は貞成から後花園天皇に贈られているのか。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) February 14, 2026
「『誡太子書』が貞成から後花園に進上されたのは、持明院統に伝わった記録類の多くが崇光皇統こと伏見宮家に伝来きたことと関係があるだろう」p180
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) February 14, 2026
×伝来きた
○伝来した
「逆に言えば、後光厳皇統には『誡太子書』すら伝来していなかったほど、学問をする環境は貧弱だったのだろう」p181#和歌の読書記録
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) February 17, 2026
「最終的に後亀山上皇の例に倣って父親ではない皇族への太上天皇尊号という形での妥協案を(万里小路時房は)出す。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) February 24, 2026
貞成への尊号宣下を後光厳皇統断絶に繋げないように論理を構成してやむなし、という結論を出したのである」p223
その論理が考案される前の時点で貞成への太上天皇尊号宣下が現実的になっていた、ということのほうが不思議。#和歌の読書記録
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) February 24, 2026
「後花園にそのような素質があったこと、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) February 27, 2026
そしてその衒いや自己顕示欲の強さ、また相手の弱みにつけこんでくるような意地の悪さも含めて
貞成譲りであったことは間違いがないだろう」p233
断定!#和歌の読書記録
「これを、仮にその暗愚ぶりで足利義満や義持らの手を焼かせていた後円融や後小松や称光が行ったとしても、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) February 27, 2026
諷諫とは受け取られなかったのではないだろうか」p233
琉球の尚泰久について、p240では尚巴志の五男 、p242では尚巴志の七男と書いてある。#和歌の読書記録
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 1, 2026
「この一連の義政の動き、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 2, 2026
つまりお気に入りの言いなりになって自らの権力を振りかざすが、少しでも反発を食らうと手のひらを返し、今まで引き立てた人間をいとも簡単に見捨てる、
というのは、このあとも繰り返され、取り返しのつかない惨禍を招くことになる」p269
後継者問題とか?#和歌の読書記録
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 2, 2026
義尚誕生後、義政も富子も義視を将軍職後継者としていた、とする見方のほうが、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 2, 2026
富子が義尚の将軍職継承を求めた説より、現在は多数なのか。
山名宗全と細川勝元って一時は連携していた仲なのか。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 2, 2026
20年以上同盟していたのね!
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 2, 2026
あの時代の史実把握に弱いと、どうしても、「応仁の乱で敵対したよね」ぐらいの認識しかないので……。
「後深草天皇と亀山天皇による皇統分裂以来、分裂を重ねてきた皇統を一本化する後花園の戦いの最後のターゲットは(応仁の乱)西軍が擁立した後南朝であった。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 3, 2026
本当に南朝の皇胤かもわからない勢力であっても、後花園が作り上げた体制にとっては不倶戴天の敵であった」p291#和歌の読書記録
P307「後花園に勅撰和歌集の仮名を行わせ(略)た六代将軍足利義教」は「勅撰和歌集の下命」の誤変換では。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 3, 2026
「「禁中並公家諸法度」の「天子諸芸能の事、第一は御学問也」という条文は、もともと鎌倉時代の順徳上皇が著した『禁秘抄』の一節である。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 3, 2026
これは徳川氏の押しつけなどではなく、天皇家にずっと受け継がれてきたものであった」p308
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