『人と思想 イエス』覚え書き ~和歌の読書記録~
ここしばらく、学生時代に愛読しいつの間にか手放していた八木誠一『イエス』が気になっていたので、改めて調べてみたら、八木先生は1932年生まれで、ご存命なのか!
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) December 22, 2025
2017年のご著書が最新?
『イエス』以外にも読んでみたい本がたくさん。どれから手に取ろうかしら。まずは『イエス』を買い直そう。 https://t.co/QOoI17olEK
『人と思想 7 イエス』八木 誠一
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 13, 2026
学生時代に繰り返し読んだが、いつの間にか手放していたようで、最近書い直した。
イエスを人間として、合理的に考えるのを助けてくれた3冊のうちの1冊(残りはエルネスト・ルナンと遠藤周作)。...#読書メーター #和歌の読書記録https://t.co/Lw4xe42A2J
社会経験が増え、人生経験の幅が広がり、学生時代より意味のある形で受け取れました。
『人と思想 イエス』覚え書き ~和歌の読書記録~
ここしばらく、学生時代に愛読しいつの間にか手放していた八木誠一『イエス』が気になっていたので、改めて調べてみたら、八木先生は1932年生まれで、ご存命なのか!
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) December 22, 2025
2017年のご著書が最新?
『イエス』以外にも読んでみたい本がたくさん。どれから手に取ろうかしら。まずは『イエス』を買い直そう。 https://t.co/QOoI17olEK
宗教やキリスト教そのものについては複雑な気持ちのある立場です。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) December 22, 2025
学生時代、八木誠一や遠藤周作、エルネスト・ルナンなどの影響を受け、思想家としてのイエスを現在も尊敬しています。
光厳院に対しては理性的信仰を持っていますが、超越的絶対的な存在として信仰するということはありません。
×理性的信仰
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 13, 2026
○倫理的信仰
八木誠一『イエス』ぽちなう。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) December 22, 2025
八木誠一『イエス』再読なう。https://t.co/ya3o0Drr5C#Amazonアソシエイト #和歌の読書記録
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 2, 2026
マカベア戦争についての書き方は、現在の定説と少し異なる書き方になっているらしい。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 2, 2026
ヨナタンのあと指揮を取った「シモン」が、ヨナタンの子であるように読めるが、
定説ではマタテヤの子でありヨナタンの兄弟である「シモン」らしい。
民族的にはユダヤ人でないはずの人たちが割礼し律法を受け入れることで「ユダヤ人」になった、ということについて、チャッピーとの議論が興味深かった。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 2, 2026
理論と感情、建前と本音。
ホモ・サピエンス。 pic.twitter.com/sQThfRwree
サマリアについて、なるほど。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 2, 2026
「信仰において、どちらが本物か」の対立なのね。
イドマヤ人については「彼らは本当に仲間と見なせるのか」という感じか。 pic.twitter.com/tE3mTj6mXO
ヘロデ大王についての記述を読みながら、「暴君のイメージがあるが、民には配慮していた」ということで武則天を連想したので、チャッピーに尋ねていた。#和歌の読書記録 pic.twitter.com/vVdWY9WzhH
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 6, 2026
歴史上のことも現在の政治判断も、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 9, 2026
主義主張だけでなく、「割に合うか、合わないか」という合理の部分も見るようにしないといけないな。#和歌の読書記録 pic.twitter.com/gQbMH4SAOO
「統治コストが高いか低いか」
「割に合うか合わないか」
の概念は私もここ数年で習得したので、実際の事象にそれを当てはめて考えるにはまだまだ訓練が要る。
「伝承が原始教団という特定の場で定型化され伝えられてきたなら、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 9, 2026
それは当然原始教団特有の関心や神学を反映しているはずであり、
実際そうだと(様式史的研究では)考えられるのである。
そうすると(続く)」
「(続き)そうすると原始教団のイエス伝承は、全体として原始教団のキリスト理解を語っているのであって、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 9, 2026
「歴史のイエス」の姿に関する客観的な報告ではないということになる」p56
それはそう。
「ブルトマンによれば、われわれがとにもかくにも再構成できるのは、イエスの思想だけなのである」p57
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 9, 2026
「伝承をいわば素材として、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 9, 2026
かれら(福音書作者ら)が本質的だと考えるものを、すなわち過去ではなくかれら当時の人々にとって意味があると考えたことを、
描き出したのである」p60
「イエスの言葉は突如としてそのような壁にもかかわらずーーいや、壁を作ることができるというそのことが、本来人間同志(原文ママ)の間に存立するかかわりを示しているのだーー」p62#和歌の読書記録
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 10, 2026
「伝承はまた単なる伝達ではあり得なかった。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 10, 2026
人は「イエスの言葉」に托して自分が把握したことを言い表わそうとしたのである」p63
私も永福門院や光厳院のなさったことをそのまま伝えることはできず、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 10, 2026
必ず「私が私の人生をとおして把握したことを、永福門院や光厳院の言動に照らして理解を深め解釈し、その形で伝える」ことをしている。
「だからそれ(イエスを直接見たわけでない記者による福音書)を手がかりにして「イエス」を尋ねよう、「イエス」像を描こうとするのは、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 10, 2026
たとえてみれば、富士山を一度も見たことのない人が、何枚かの富士山の画を見つめ、そこにおのずと定着した自らの富士のイメージを描き出すようなもの」p66
和歌の歌枕や歌ことばですね。
「もしこういう思い違いが起こったため奇蹟物語ができたのだとしたら、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 10, 2026
たいせつなのは偶然の思い違いそのものではなくて、繰り返しそういう思い違いを起こさせる要因があった、ということなのだ」p74
「イエスの誕生の年を西歴(原文ママ)元年としたのだから、イエスの誕生は西歴元年に決まっている
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 10, 2026
と考えられるけれども、キリスト紀元元年を定めた六世紀の教会に計算違いがあったようである」p84
あらまあ。
「今、ここに、私の目の前に、私のとなりに、ひとりの人がいるということを、私たちはどれほど痛切に受け取っているだろう。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 11, 2026
実際目の前の人が紙片か木か石ほどの現実性さえ持っていないという状態があるのだ」p92#和歌の読書記録
「かかわりの中にあるということは、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 11, 2026
私は私であって決して他の人ではないが、しかし他の人なしに私は私でありえないということなのである」p93
「私と同様、すべての人がかかわりの中に置かれているなら、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 11, 2026
かかわりの中でこそ真実に自己自身であるなら、
私たちひとりひとりを超えた規定が私たちひとりひとりの中で働き、そうして私たちを互いにかかわりの中にあらしめている」p94
「クリスチャンは、個人を超えてその中に働く規定、人と人とをかかわりの中に置く根源的な規定を認めて、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 11, 2026
これを「神の意志」と言い、この中に「神の語りかけ」を聞くのである。(略)
それは(続く)」
「(続き)それは強制や必然どはなく、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 11, 2026
かえって私たちは真に自由であるとき、すなわち自己の深い規定に根ざしているときに、この「語りかけ」に聴従するからだ。
ここで自由と服従はひとつである」p95
「神」という言葉を使わないだけで、私の光厳院への倫理的信仰もだいたい同じように説明できる。
×必然どは
○必然では
「宗教というと、現代の私たちはとかく荒唐無稽の神話か、現代の科学的知識に反する過去の迷信だと思ってしまう。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 11, 2026
そう思わせる責任の一端は確かに宗教者の側にあるのだが、しかし(続く)」
「(続き)しかし現代人が(略)自分が自分であるという一見あたりまえのような事実の底にある深い現実に対して盲目になっていることも見のがしてはならない。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 11, 2026
宗教思想は、否定することのできない現実に根ざしている」p96
そこに「神」という語や概念を入れずにそれを説明するならば、現代人にもここまで忌避されないのでは、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 11, 2026
というのが私の率直な気持ちかな……。
実際この本の結論部分には私も賛同している。
それにもかかわらず、この著者様が優れた学者でありながら信仰者でもある、というところはたいへん興味深い。
「宗教の問題は、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 11, 2026
人間が事実あるものに対して盲目になっている、というような状況であり、
また宗教自身が自ら編み出したまゆの中に閉じこもって、かえって盲目になっているという状況なのである」p97
私は近代人要素強めの現代人なので、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 11, 2026
福音書でイエスがどんなに立派なことを語っても、「その前に、なぜその状況が発生したの? 」ということのほうが気になってしまう。
これは食事前に手を浄めなかった弟子たちについての「なぜ」。 pic.twitter.com/x1WP6GhR7P
「近代の科学をまたなくても、すでにイエスの時代に、ヌミノーゼ感情が後退して、しばしばレビ記的な規定の意味が不可解になっていたのである」p98
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 20, 2026
なるほど。
「弟子たちが元々ガリラヤの漁師などだから」以前に、ヌミノーゼ感情の後退がユダヤ社会に存在したのか。#和歌の読書記録
「イエスは澄んだ目を持っていた。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 20, 2026
だからイエスは伝統的権威に目隠しされた当時の律法学者と衝突せざるをえなかったのである。
イエスは、聖書になんと書いてあろうとも、聖書に書いてあるからほんとうだというのではなく、事実だから事実なのだと言い切った」p99
学生のころは、こういう純粋で極端な考えに感動したもので、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 20, 2026
社会に出てから「それでは生きてゆけない」と思い知り、いろいろな保身の技を「生きるためには仕方ない」と身につけた。
その後光厳院に出逢い、「それでも、人として美しいほう、正しそうなほうをできるかぎり選ぶ」と切り替えた。
昔よりは、社会のなかでハレーションを起こさず、かつ美しく正しそうなものを選ぶことができていると思う。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 20, 2026
人生経験ってだいじだよ。
「このような言い方では、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 24, 2026
アガペーは愛する価値のないものを愛してやるのだ、
というふうに誤解されやすい。
アガペーとは、人間同志(ママ)は本来かかわりの中にあるという事実に即した対人行動のことであって、
従って相手の「価値」とは無関係なのであり、」p103#和歌の読書記録
「実際、どんな人にも好意を持つ人があるので、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) June 24, 2026
そういう人は相手の長所・都合よさを「好き」、それゆえに「愛」するのではなくて、逆なのである。
どんな人をも愛しているから、どんな人でも好きになれるのである」p103
「愛は集中的ではあるが、その対象を常に特定の一人だけに限りはしない」p105#和歌の読書記録
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 3, 2026
「アガペーがエロースを否定するのは、エロースの方向と相反するからではなく、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 3, 2026
エロースはその対象を限定し固定して、アガペーに対して盲目にするからだ」p106
「赦しということは、単に善意や好意ではない。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 11, 2026
善意や好意がかかわりを作り出すのではない。逆である」p111#和歌の読書記録
「善人にもあくにんにも、神は人同志(ママ)をかかわりの中に置くものとして、働きかけている。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 11, 2026
それが知られようと知られまいと、働きかけている。
この事実に目ざめた者が「神の子」なのである(続く)」
「(続き)神の子は隣人を愛し、赦す。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 11, 2026
それはかれが、現実あるがままの規定に目ざめ、それに聴き従うことなのであって、
修養や克己の産物なのではない」p111-112
×あくにん
○悪人
「自分の目的に固執し、自分を守り、目的を実現させようとする人、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 11, 2026
このような営みがすべてになってしまったような人は、
当然隣人を愛することはできない」p115
「人生の意義に対する絶望やニヒルは、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 11, 2026
そもそも出発点からあった、何かの欠除が、しばらくは隠されていたものの、やがて表面化してきた結果にほかならない」p116
「それによって自分を立てようとしていたいっさいから手を放したとき、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 20, 2026
かえって自分が立つのである。
自分に死んだとき、真の自己が生きるのだ。
そのとき、(続く)」
「(続き)そのとき、今まで、これが自分だと思っていた自分がひとたび消え失せて、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 20, 2026
自分の手で立てたのでない自分、かえって「自分で」ということを可能にする自己が発見され、自覚される」p117#和歌の読書記録
私はこれを何度も、人生で、体験しましたよ。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 20, 2026
だからといってキリスト教信仰を持つ根拠にはなりませんでしたし、しませんでしたが。
私が和歌を選んだ理由もこれである程度説明できる。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 20, 2026
近代西洋思想と不可分な流れを持つ短歌は、「自分で自分を立てようとする」試み。
だから私は苦しかった。
和歌にその姿勢は不要であるどころか害悪ですらある。
私に和歌がなかったら、もっとずっと長いあいだ迷走していたと思う。
「自分の思いや計画や努力や所有や価値の実現や創造やに先だって、かえってこれらを可能にするような自分があることの発見だ
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 20, 2026
と言ってよい」p117
「意識的な自我は、より深い自己の自覚的な機能、いわば舵取りだと言ってよい。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 20, 2026
それは船長ではない」p118
「自分が一度消滅したところに真の自己が見いだされるなら、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 20, 2026
意識的な自我は、常に内に否定を含んだものとして立てられる。
換言すれば、
ここに立てずとも立っている自己から、立てようとあくせくしている自己を客観視してみる余裕が生じるわけである」p118
×生じる
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 22, 2026
○生ずる
唯識と同じだとは言わないが、少なくとも通ずる。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 20, 2026
伏見院は正安の政変を経てこの「消滅」を経験した。
京極派和歌の普遍性は、「立てようとあくせくしている自己を客観視」する自己がその感動や感情を描こうとするからこそ存在する。#京極派
「衣食住や地位や職業はもとより必要である。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 20, 2026
しかし結局はなんのために必要なのかが見えていない限り、衣食住などが自己目的になるという倒錯が起こるのだ」p121
衣食住は必要ですって、和歌ちゃん。#衣食住も比較的軽視しがちで和歌にのめり込む系歌人
「下層民に近づくイエスは常にスターにされ、かつぎ上げられ、祭り上げられ、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 22, 2026
下層民の利益を代表して、かれらのために富と権力を奪取すべき希望の星と目される。
そして、(続く)」
「(続き)そして、イエスが与えようとするものが、(略)人間存在の基盤から切り離された富や権力それ自身ではなく、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 22, 2026
むしろまず第一に「神の国」であることが明瞭になるにつれて、
イエスへの歓呼は失望と怒号に変わるだろう」p127-128#和歌の読書記録
遠藤周作『イエスの生涯』でも見たやつですね。
『イエスの生涯』読書記録はここにまとめてあります。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) July 22, 2026
『イエスの生涯』覚え書き ~和歌の読書記録~|梶間和歌(令和の京極派)https://t.co/rwufTZfM8m
「自らこれが自己と思いなし、立てようとしていた自我に死に、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 11, 2026
そこでかえって自己の実存を自覚するときに、
同時に自己を成り立たせ、かかわりの中に置く規定が自覚される。
そして意識的な自我は、自己の一機能として自覚されるわけである」p129
「人間の真のあり方は、自分に死んでよみがえったあり方であり、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 11, 2026
それは同時に他者とのかかわりにおけるあり方につらなる。
(略)自分に死んだ者が隣人を愛するのであり、隣人を愛する者は自己に死んでいるのである。
両者は区別されるが、つながり合っているのである」p129-130
いまコテンラジオ帝政ローマ編をやっているけれど、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 11, 2026
「ウェスパシアヌスってたしかユダヤ戦争時の司令官で、皇帝の死でローマに呼び戻されて皇帝になるって八木誠一『イエス』に書いてあった……? 」
と結びついたのをなんとなくそのままにしていたのですが、
『イエス』の冒頭を読み返したら、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 11, 2026
やはりウェスパシアヌスはユダヤ戦争の将軍で、ネロ死去の翌年に帝位に就いた人だった。
コテンラジオいわく、実際にはネロの自死からウェスパシアヌスの皇帝即位までに3人の短命の皇帝がいたそうで。
「律法によって立て、作り出そうとしていた自己は、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 11, 2026
実はその努力以前に実在し、その努力自身がかえって真の自己によって可能となり、立てられているのだ。(略)(続く)」
「(続き)ひとたび律法に対して死んだ自己にとってこそーー逆説的であるがーー
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 11, 2026
「殺すな」、「盗むな」というようないましめが、もはや他律的な、単に外から押しつけられた律法ではなく、内側から肯定されたいましめとなる」p133
私が私のなかの光厳院に照らして恥ずかしくないように生きようとすることは、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 11, 2026
光厳院含むなにか「外側」の「他者」から「押しつけられた」ものではなく、自律的なものなんだよなあ。
子どものころに「守らねばならない」と一生懸命努めた道徳との違い。
「そこに自分の中に働き、また自分を超えて他の人間の中にも働きかける、「神の意志」が見られる」p133
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 11, 2026
「かつては意味のあったおきてが、かえって社会の成員の自由や正当な思考や活動を禁圧し、こうして根源的な規定の自由な働きを押えるようになっているとき、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 11, 2026
それは批判されなくてはならない。
こうした(続く)」
「(続き)こうした一見あたりまえのことが、真に明らかになるのは、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 11, 2026
人がひとたび具体的な律法に死んで、根源的な規定に目ざめたときなのだ」p135
「殺しさえしなければ、つまり実定法に触れさえしなければ罪は負わされない、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 11, 2026
というのではない。
律法を大前提と考えると、当然律法に触れさえしなければそれでよい、ということになる。
そうではない」p141
「イエスの言葉は、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 11, 2026
そのような言葉が出てきた根源へと赴き、この根源から理解しなくてはならないのである。
もしそうではなくて、イエスの言葉の表面的な意味だけを問題とし、それをひとつのいましめとして守ろうとするなら、
これはまさにイエスが排撃した倒錯に陥ることになるだろう」p145
「律法を人生の大前提と考える立場は、(略)人は律法を行なうことによって神の前に義とされると考える。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2026
この場合、規定以上の善行を積むことができるので、
これはいわば神への貸しであり、人に対しては誇りとなる」p146
「どの時代にも、公の地位や職務を私的な利益追求のための手段に化して、社会の腐敗と不正とを招く輩が絶えないが、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2026
一見敬虔な行でもって実は自分の義や名誉を追求するのも同様な倒錯なのである」p147
「もし以上のようであったとすれば、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2026
原始キリスト教は、歴史上の一人物としてのイエスを、人間実存の根底(「キリスト」)とを、無差別に同一視してしまったのである。
そして(続く)」
「(続き)そしてこのようにイエスと「キリスト」が無差別に同一視される限り、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2026
「イエスが復活した」という使信は、ただ最初の使徒のみに許された証言であって、
その他の人に対してはいかなる知解をも拒否し、ただ信仰を要求することとならざるをえない(略)」p198-199
私が人間イエスに深く共感しながらキリスト教にかなり距離を置く理由は、だいたいこれで説明できる。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2026
これを書いた学者先生がクリスチャンであるということが、また、味わい深い。#和歌の読書記録
「さらにまた、イエスとキリストが無差別に同一視される限り、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2026
イエスなしにキリスト、すなわち人を人たらしめる根底は存在しないことになる。
そして「キリスト」教の告知への信仰なしには「キリスト」とのまじわりはありえないということになるから、(続く)」
「(続き)ここにキリスト教の「絶対性」が現われ、
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2026
キリスト教以外の一切の哲学や宗教をあたまから非真理とする不寛容が現われ、
これは他方ではあらゆる批判や正当な疑問に対し耳をおおい目を閉ざす傾向を生んでくるのである」p199
だから私はどんなにイエスを尊敬し敬愛してもクリスチャンになることはない。ありえない。
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) August 12, 2026
この最後の箇所が特に秀逸。
信仰しながらこれが書けるというのは、本当に誠実な方なのだと思う。
以上です。ありがとうございました。
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この記事を書いた人


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