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自身のOSを言語化する

いろんな人と話をする上で「自分という人は何か?在り方、基盤(OS)とは?」と思うことがある。海外の場合は、ルーツ的な語りをする場合が多いが、あれは厳密にいうと雑で「民族を含む先祖」だけをOSとして処理しているわけで、DNAと初期環境要因のみを「ルーツ」として言語化しているだけに過ぎない。

でも、実際はにはDNAや環境、その後に出会った人や影響を受けたすべてのものが、自分の血肉になって基盤が構築されていると思ってて、それを自分の言葉で説明できた方がいいのではないか?と思うんだよね。世の中、共有・共感というように外を向いているけど、最近の興味は内省などの内側にあるからかもしれないが。

今の自分の興味を書いてみると、、、

1. 博物学による「木構造(デンドログラム)」

個別の事象を観察し、差異を見出し、分類していく。これは「個としての輪郭」を明確にする作業。世界を解像度高く、峻別して捉える視点。

2. アニミズムによる「円環構造(曼荼羅)」

一方で、すべては繋がり、循環し、響き合っている。これは「全としての調和」を直感する視点。木構造で分かたれた枝葉が、実は同じ根や土壌、あるいは大気で繋がっていることを認める感覚。

3. 論理による「紐付け」

そして、その「分断」と「融合」という矛盾する二つの構造を、論理という糸で編み上げ、一貫したシステムとして成立させ世界の理を見ていく。ある意味で、西洋的な構造と、縄文的なセンスで縦横で物事を論理立てて紐づけていくイメージでしょうか。

これらの思考を、世の中のすべてに対してプロットして、処理・アウトプットをしている気がします。

この視点で見ると、世の中に流れてくる情報や声の多くが、どれだけ恣意的なホイップが詰め込まれているか、どれだけ感情というベクトルで人々を悪意なく捻じ曲げているか見えてきます。

一方でこれだけのOSを噛ませると、今の世にある「わかりやすい、ワンワードで」というベクトルとは全く逆の複雑系を受け入れるため、脳への負荷が半端ない。しかし、その負荷の多くをAIに濾過させることで、なんとかまわるんですよね。

でも、書いていて、どう考えても自己OSのマイノリティ感が半端ないですね笑 皆様も自分を見つめることでどのようなOSなのか連休の時間を使って、考えてみてはいかがでしょうか?

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かわむら よしひろ お互いのコミュニケーション活性化のため、スキ・コメントお気軽に、よろしくお願いします。

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