不倫相手と別れた日に、夫の浮気が始まっていた。
不倫相手と別れた日は、最初から落ち着かない空気だった。
ホテルの部屋に入っても、彼はコートを脱がない。
「続けても、お互いにきつくなるだけだと思う」
彼は短くそう言った。
私は返事をする前に、彼の視線が私の方を見ていないことに気づいた。
彼の中で答えはもう決まっていた。
部屋を出てから、私は信号の前でしばらく立ち止まった。
スマホを開けば、彼の名前が並んでいるだけで苦しかった。
家に帰ると、玄関に夫の靴がなかった。
リビングのテーブルにはメモが一枚。
「今日は飲み。遅くなる」
その文字を見た時、私はこう思った。
裏切っているのは私なのに、夫を疑う資格なんてない。

深夜、夫が帰ってきた。
コートを脱ぎながら、何気なくスマホを置いた。
画面が光り、通知が一件。
「今日も楽しかった。また会いたいです」
知らない女性の名前。
私は胸が一度だけ大きく動いた。
ロック番号はずっと同じ。
指が勝手に動いた。
メッセージには、週に何度も会っているやりとりが残っていた。
やさしい言葉、行った店の名前、次の予定。
私が不倫相手と別れた日の夜、夫は別の女性と会っていた。
その事実だけが、静かに胸に落ちた。
夫がシャワーから戻ってきた。
私はスマホを元の位置に置いたまま動かなかった。
「今日寒かったな。なんか食べた?」
夫は普段と変わらない声だった。
「うん。冷蔵庫にスープあるよ」
私はそれだけ言った。
問い詰める気にはならなかった。
私も同じことをしてきたからだ。
ただ、胸の奥で何かが音もなく沈んだ。
翌朝、夫が出かけたあと、
私はテーブルに離婚届を置き、自分の名前だけ先に書いた。
書いた瞬間、体が少しだけ軽くなった。
その夜、夫は遅く帰ってきた。
離婚届に気づいた夫は、数秒だけ黙ってから言った。
「…何かあったのか」
私は視線を逸らさずに言った。
「全部、見た。私のことも責めていい。
でも、このまま続ける理由は、もうどこにもないと思う」
夫は言葉に詰まり、スマホを見た。
私が中身を知っていると理解したようだった。
「…ごめん」
夫は短くそう言った。
その言葉を聞いた瞬間、
夫婦としての時間が終わったことをはっきり理解した。
不倫相手も失った。
夫も失った。

でも、どちらも“なくしてよかったもの”だと、少しだけ思えた。
ようやく、誰の顔色も見ないで暮らせる場所に戻った気がした。
その夜、電気を消す前に深く息を吐いた。
自分の人生に、やっと自分が戻ってきた。
