Xの自動翻訳が憎悪と分断を加速させる
地獄の蓋が開いた、としか評しようがない。
なんのことかと言えば、いま話題殺到中のXの自動翻訳機能のことだ。
みなさんもご存じの通り、LLMの進化により今や翻訳コストは限りなくゼロに近づいた。数百字程度の外国語であればほんのコンマ数秒で翻訳できるようになったのである。であれば、最初から外国語の投稿もユーザーの母国語に合わせて翻訳して表示してやれば良いということで、いまXは完全に言語の壁が取り払われた汎言語的SNSサービスへと変貌を遂げている。
タイムラインの「おすすめ」欄には英語圏から自動翻訳されたツイートがズラリと並び、反対に英語圏のユーザーには自動翻訳された日本語のツイートが並んでいるようである。今のところこの機能は日本と米国のツイートを主たる対象にしているようだが、中国語やアラビア語など他の言語に適応されるのは時間の問題だろう。つまり、いま人類は初めて汎言語的言論プラットフォームとでも言うべきものを手に入れつつあるのだ。これは明確に人類史における重大な一歩であり、今のところXユーザーの多くはこの変化を歓迎しているようである。
しかし断言しよう。
この改革は最悪の結果をもたらす。
少なくとも筆者はそう確信しているし、日本における自動翻訳サービスの前史も同じような未来を示唆している。本稿では自動翻訳サービスによってもたらされた現実の民族分断を紹介しつつ、Xの多言語自動翻訳がもたらす未来について綴っていく。
NAVER掲示板がもたらした日韓分断
LLMによって自動翻訳の精度が著しく向上したのはここ数年の話だが、質の低い自動翻訳自体はすでに20年近く前から現実化していた。そして「自動翻訳による国際交流サイト」というコンセプトもまたインターネット黎明期から存在していたのだ。
その代表的な例のひとつが、初期インターネットにおいてかなりの存在感を有していた日韓翻訳掲示板「Enjoy Korea」(通称エンコリ)である。これは韓国の最大手ポータルサイトであるNAVER社によって設立された国際交流掲示板で、日本語と韓国語を自動翻訳するシステムを搭載したことで当時の日韓のネットユーザーの注目を大いに集めた。エンコリのサービスが開始されたのは折しも日韓合同ワールドカップで盛り上がる2002年。NAVER社の目的は、間違いなく日韓の友好的な交流の促進にあったのだろう。
結果はどうなったか。目を覆わんばかりの民族間憎悪の加速だった。もちろんエンコリを友好目的に利用するユーザーもそれなりにはいたのだが、歴史板など政治性を帯びるBBSは民族間の感情的対立を煽りに煽った。今は掲示板自体が閉鎖されてしまったので一次ソースを引用するのは難しいのだが、これが後世に「日韓オンライン対立のきっかけ」などと評されていること、またニコニコ大百科のenjoyKoreaページに「禁止語句」などというおどろおどろしげな項目があることなどからも当時の雰囲気を察してほしい。

2000年代はいわゆる「ネット右翼」と言われる韓国・中国に敵対的な姿勢を示すネットユーザーが爆発的に拡大した時代だったが、「エンコリ」に代表日韓のネットコミュニケーションの拡大は「ネット右翼」伸長の主要な原因のひとつであると多くの識者に指摘されている。
それにしても、なぜそんなことが起こってしまうのだろう。
理解したから嫌いになる
一般的に、対話は相互理解を促進するとされている。
だからこそ我々は初対面の同僚や学友に対して時間をかけて対話しようとするのだし、政府レベルでも文化交流事業などに多額の予算を割いているわけだ。つまり自動翻訳とインターネットによるコミュニケーションの促進は、対話を促進し、相互理解を深めさせ、そして結果として国家間の友諠や協力を拡大させる手段になるはずだと期待されていたわけだ。
当時を思い出すと、まったく本当に誰もがそう考えていた。インターネットによってコミュニケーションが促進し、人々はより深く理解し合うのだと。1990年代後半から2000年代初頭にかけて書かれたインターネット文化論はほとんどがそうした楽観主義に基づいて書かれている。インターネットは、自動翻訳は、人々をつなげ、理解させ、結果として国家や民族さえも過去のものにするだろうと、インターネット黎明期のあの黄金時代は誰もがそう考えていた。
しかし2026年に生きる我々は、その予想が裏切られることを知っている。インターネットが人々を「つなぐ」ことはなかった。いや「つなぐ」ことはつないだのかもしれないが、少なくとも幅広い範囲の人々の友諠や協力を可能にするツールにはなり得なかった。30年前にはあれほど時代遅れの産物とされていた国家間の国境線は今なお世界中に現存し、それをめぐる凄惨な争いはむしろ30年前よりもその過激さを増している。
なぜこんな結果になってしまったのか。
その答えは、「理解」と「友情」をイコールのものとして見た浅薄な人間観にあると筆者は考えている。
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