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創作大賞応募作品| 寧々 《第15話》

《第15話》 孤独は罪を孕む


 3月。都内各所の桜の開花の知らせを、透哉は他人事のように受け取った。勤務駅と寮を往復するだけの生活。桜の蕾が綻びて花弁が開いていくさまに、目を奪われることもない。

 だが、雨の日だけは耐え難かった。

 毎年、寧々の家の裏手にある川沿いを、傘を差して彼女と散歩するのが恒例だった。

 満開の花を散らす桜流しの雨。萼片がくへんにしがみつくも叶わず、ひらひらと儚く舞い落ちる薄紅色の花弁。透哉の透明のビニール傘にも、その花弁は張りついていた。

 寧々は、今年は柊生とこの桜を眺めているのだろうか。

 寧々の携帯の位置情報が、一向にオフにされない。彼女の現在位置が、都内の各所を示すようになった。そしてその日は必ず、柊生が非番の日に当たるのである。

「また、出現したぞ。あの変態野郎……」

 背後から、俊さんの声がした。そうですか、と改札業務を担当していた透哉の声は、苦虫を噛み潰したようなものになる。

 人混みに紛れて体液をかけられるという事件が頻発していた。被害者は若い女性。共通している舞台は、地下鉄、私鉄に関わらず都内の駅であるということだけ。

 人の行き交う坩堝るつぼである駅。そして逃げ場のない密室空間である鉄道車両。これらは昔から犯罪の舞台に選ばれやすい。鉄道を舞台とした無差別殺人の事例など、記憶しているだけでも幾らでも挙げられる。

「女を汚して貶めることでしか、自分を支えることができないんでしょうね」

 透哉がぽつりと呟くと、俊さんは少し驚いて物言いたげな表情をした。あまりにも暗い情念が籠ってしまっただろうか。

 寧々と関係を持つ以前に、女を傷つける男に対して感じていた憤懣は塵の如く消え失せていた。代わりに胸を占めるのは憐憫の情だ。ただ、哀れだと。

 共感してはならない。同じ生きものになど、なってはいけない。

 だが、容易に想像はつくのだ。人に愛されることのなかった人生であろう、と。

 人に愛されていれば、女に愛されていれば、女を傷つけようという発想には至らない。声高に社会に対する復讐や報復といった理念を語ったところで、その行為はただの子どもじみた意趣返しでしかない。

「柊となんかあったのか……?おまえの姉ちゃんと付き合いはじめたら、おまえが怒り狂ってるって、心配してたぞ」

 怒り狂っている……。そこまで、態度に出てしまっているのだろうか。

「別に……。ただ両親がいないので、ふたりで生きてきたんです。一般よりは、仲の良い姉弟なんでしょう。重症のシスコンなのかもしれません」

 柊生には申し訳ないが、透哉の防衛反応なのだ。挨拶は交わすが、顔を正面から見ることができない。寧々の話をされるのを恐れて、会話を交わすこともできない。

 柊生が家に泊まっていたときの、寧々の楽しそうな笑い声。その口元に浮かべる笑顔。もう、自分は見ることも聴くことも叶わない。

 その細い腕で、寧々を抱きしめたのか。いや、抱いたのか。寧々はこの男を受け入れたのか。悦んだのか。想像は留まることを知らず、心のなかのまだ鮮血が吹き出している傷口をほじくり返しては、さらに深く抉る。

 いやもしかしたら、まだ寝てはいないかもしれない。添い寝する女を探すような男だ。女みたいな顔だけに、そっちの欲も薄いんだろう……、と柊生を貶めるような発想をしている自分に辟易して、舌を噛んで死にたくなった。


 そして春分も過ぎたある日。

 犯人は逮捕された。透哉の勤務する駅だった。鉄道警察に連行される、まだ比較的若いと思われる男の姿を、透哉は改札口から眺めていた。

 神経を尖らせていた鉄道関係者に、暫しの安寧が訪れたように思われた。だが、その安寧はまやかしに過ぎなかった。犯人と特定された男は、真犯人に触発されて便乗しただけの愉快犯だった。

 女なら誰でもよかった、とのちに真犯人は語っていた。

 男女平等な世の中なんて有り得ないという、寧々の言葉が脳裏に甦る。

 強者と弱者。狩る者と狩られる者。異性を人間ではなく獲物と認識する、その暗澹とした闇はどこからもたらされるのだろう。

 人を害してはならない世の中。害することが赦されない世の中。

 ありとあらゆる言動にハラスメントの名がつけられ、言葉狩りが横行し、僅かな失言も揚げ足を取ったように糾弾される世の中。

 寧々に、声を大にして訴えたいことがあった。

 警察に訴えられるほどの悪行を、自分はしただろうか。寧々の体調を考慮しなかったことは反省に値する。ならばその身勝手さを思う存分詰ってくれて構わなかった。傷つけあって、赦しあって生きていきたかった。

 すべての行為に契約と同意が必要とされるのであれば、伴侶とはなんなのだろう。愛情は信用を伴いはしないのか。

 だから寧々はあのとき、柊生と会うための切り札として同意書を利用したに過ぎない。それは、権利の濫用以外の何物でもない。

 もうこの先永久に、女性と恋愛をすることなどないだろうという確かな予感があった。寧々が忘れられないだけではない。人を信じて、人に身を委ねる。その段階プロセスを踏むには、強靭な精神を必要とする。

 孤独は、圧倒的に楽だ。孤独は人に寄り添い、終わりのない安寧を与える。永遠の伴侶となり得る。

 だから、人は孤独を選択する。息をすることすら窮屈な世界で、愛する家族や伴侶という『鎖』を持たぬ自由な人間。悲しませたくない人間の不在。抑止力が発動されない『無敵の人』。

 そして孤独と犯罪は親和性が高いという事実。


 2039年、4月。都内屈指の乗降客数を抱える某駅。

 柊生は犯人が確保されたことに安堵して、寧々との待ち合わせ場所を駅に戻してしまっていた。もちろん利便性という側面においても。

 待ち合わせ時刻より早く到着した彼は、液体物らしき瓶を抱え持つ男の姿に気づく。その液体が飲料などではないと察する程には、男の撒き散らしていた気配は充分に不穏だった。

 男の物色していた人の群れの先に、寧々の姿があった。

 当然、柊生は走る脚を速める。寧々の名を呼んで、驚いて振り向く彼女に覆い被さり、身を挺して彼女を庇った。

 直後構内に響き渡った柊生の呻き声と寧々の絶叫を、透哉はまざまざと想像することができる。

 柊生は、その液体物を反吐がでるほど不快だが、身体に直接害を及ぼすものではないと認識していた。狙われるのは女だと承知していたから、「俺は男だ、バーカ」と嘲笑ってやるつもりだったと、のちに語っていた。

 もし彼が非番ではなく制服を着用していたら。もし男性の服装をしていたら、回避できた悲劇だったのだろうか。

 このときの柊生の服装はデニムのジャケット。そして臙脂色のティアードスカート。

女なら誰でもよかった・・・・・・・・・・

 犯人にとっての、狩るべき弱者の服装。

 液体は、硫酸だった。




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