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知っているようで知らない「掃除」  945

起き抜けは昨日の続きのようだったけれど、お昼前から空は曇り始め、空気がキュッと冷たくなり始めた。
今日は大寒。
「なるほど、大寒らしいお天気になってきたというわけだ…」
なんてことを言っていたら、あっという間に手が冷たくなってくる。

そんな中、お風呂の焚き口あたりでお届け物の入っていた段ボールをさばきながら「一応、やってるけどなぁ…」なんてつぶやいていた。

何を一応やってると自己申告しているかって…掃除のこと。
最近「掃除」関連のことが目に耳に、よくよく飛び込んでくる。
ジリジリと誘われるように…訴えているかのように…。

しかもそれが、今までとちょっとばかり違うのだ。
今までよりもうちょっと本格的というか本質的というか真実味があるというか…「いよいよこのターンなのか…」という感じがする。


確かに「身体の使い方」みたいなことを学んでいたら、「廊下の雑巾がけは身体もつくれて家もキレイになって一石二鳥!」なんて聞いたこともあったし、「メンタルや体調を立て直すときの拭き掃除はどちらにも大きな影響を与える」なんてことも当たり前に耳にしてきた。

実際、空間がキレイになることで人が受ける影響も大きいだろうことは容易に想像がつくし、少なからず自分も体験している。
けれど…こういうことを耳にしながらやっていた掃除は、カタチだけのものというか…やらないといけないものとしてやっていたというか…その場を切り抜けるための掃除で、なんというか…コンスタントに自分や場を育む動作にまではなってはいなかったと思うのだ。


でも、今回目の前をチラついているものたちは…もう一歩コアな感じ。
掃除機ではない掃除。
ほうきやはたきを使うとか、雑巾がけとか…昔ながらの形のものたち。
わたしがいまいち上手く使いこなせてないものたち、本当の機能をわかってないものたち…「道具」ではあるけれど、極めて自分の「手」「触覚」に近い、そういう感覚も動員してする掃除。

これ「原点回帰」みたいな「古き良き…」みたいな表面的ムーブメントが理由じゃなくて、そこにどうやら「理」があるらしく…それがなんというか…大いに納得できるもののようで…気になっているのだ。



壁にはその家に住む人たちのいろんな「感情」がへばりつく…なんてことは聞いたことがあったけれど、床にはいろんな「気」や「記憶」が溜まるらしく、それが足裏からわりと大きく影響を与えることがある…なんてことを聞くと、納得しかない。

床に触れることは「アーシング」の意味にもなるらしく、「土や水に触れるだけがアーシングじゃなかったの⁉︎」と自分にはなかった発想に驚いたりもして…。


そして、そういうことを知っていくと、自分の今まで思っていた掃除後の「気持ちいい」は、わたしの「やりましたっ!」という達成感で満足している自我やスッキリを味わっている身体だけのためじゃないんじゃないか?と思えてくる…

そのもう一個上、「魂」みたいなものが喜ぶことなんじゃないか?なんてことも思ったり…。


そんなちょっとふわふわした感覚のことを、今一度採用して、観察しながら、自分ごととしてやっていく。
そんなことにやっと折り合いのついた日となったのでした。

「一応」じゃない掃除…楽しみだ。





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