ザ体育教師を形作るもの
皆さんは体育教師と聞くと、どんな教師をイメージしますか??
もしかして、こんな感じ?

昔、こんな先生いたな笑
皆さんにも思い当たる先生がいるのでは?
流石に今の時代、このような先生はいないのではないかと思う方もいらっしゃるかとしれませんが、現在の学校には、まだこのような先生はいらっしゃいます。
学校は閉鎖的ですので、中々形成された文化は変わりません。
この文化の形成によって、「体育教師のはこういうものだ」というイメージができます。
このイメージを作っているのは世間の目、つまり、保護者や、そして同僚の価値観によって構成されます。
これを「規範的身体図式」と言います。
このイメージを反復することによって体育教師イメージは強化されていくわけで、このイラストにあるような人たちは、このイメージ通りに先生をやることにより、より自分をそのイメージに合わせていってしまいます。
よい体育教師像
よい教師像
よい子ども像
どちらも体育教師同様、こうした周りの目、評価の目によって構成されます。そして、誰にみられているわけでもないのに、周りの目が気になり、望ましいとされる振る舞いをすることによって、「よい〇〇」になっていきます。
ここで考えたいのは、その「よい〇〇」は本当に「よい」のか?ということです。
どうしてそのイメージがよい体育教師像なのか
どうしてそのイメージがよい教師像なのか
どうしてそのイメージがよい子ども像なのか
私たちは常に問い直していく必要があると思うのです。
もしかしたら、私たちのその価値観は、絶対的なものではないかもしれない。
そんな疑いを自分に向けることが、自分を更新することにつながります。
当たり前と思っていることほど、「あれ?ちょっとまてよ?」と問い直してみたいものです。
そんな話も、著書『身体の探究としての自由な体育』に載せています。
ぜひ、読んでみてください。
