今さら「はじめてのnote」とか言って自己顕示欲の海に身を投げるおじさんの話
ブログなんてオワコンだと言われて久しいけれど
新しもの好き、ではないワタクシ。 昔使っていたPCは、OSのアップデートすら放置して「もうこれ以上何も乗らない」というチキンレースを繰り広げていたぐらいなので、流行りのプラットフォームに飛びつくなんてことは基本的にないんです。 そもそも、引きこもりを決め込んでいるセミ・ヒキニートのオッサンですから、世間の皆様に向けて発信するようなキラキラした日常なんて持ち合わせていないわけで。
なのになぜ、今さらnoteなんてものを始めてしまったのか。 自分でもよくわからないんですが、つい出来心で、としか言いようがありません。 「はじめてのnote」っていうハッシュタグをつけるといいですよ、なんて公式が親切に教えてくれるんですが、いい歳したオッサンが「はじめまして!」なんて愛想よく登場するのもなんだか気持ち悪いじゃないですかw
昔のインターネット、いわゆるテキストサイトとかブログの黎明期って、もっとこう、日陰者の吹き溜まりみたいなアングラ感があったと思うんです。 誰も読んでいないことを前提に、自分が観た映画の文句を延々と書き連ねたり、買ったばかりの超音波洗浄機でメガネが綺麗になったと一人で喜んだり。そういう「チラシの裏」的な楽しさがあった。
でも、今のnoteってなんだか意識が高いというか、「クリエイター」という言葉が飛び交う小綺麗なショールームみたいになっていますよね。 みんな自分の経験を「知見」として共有し、ブランディングに励み、マネタイズを見据えて洗練された文章を並べている。 そんな意識の高い人たちが集う場所に、過去の思考の残骸を引きずったオッサンが足を踏み入れる。完全に場違い感ビンビンです。
誰もが「生産的な自分」を演じなければならない病
ちょっと世間を遠巻きに眺めていて思うんですが、最近って誰もが「何者か」にならなきゃいけない強迫観念に駆られていませんか? SNSを開けば、自分の日常をいかに有意義なものとして切り取るかのプレゼン大会が繰り広げられている。映画を観ても「この伏線が〜」とか「監督の作家性が〜」とか、いかに自分が賢くコンテンツを消費できたかをアピールする場になっている。
なんだろう、みんな「生産的な自分」を演じるのに必死すぎるというか。 もちろん、承認欲求自体を否定するつもりはありません。人間だもの、誰かに認められたいのは当然です。 でも、その承認を得るための「フレーム」が、あまりにも均質化されちゃっている気がするんです。
「有益な情報を提供すること=価値」みたいな風潮があって、無駄話やただのボヤキはノイズとして排除される。 これって、実はものすごく窮屈な世界だと思うんですよ。 映画の感想なんて「面白かった!」「ヒロインが可愛かった!」だけで本来は十分なはずなのに、「この映画が現代社会に突きつける問題提起とは」みたいな顔をして語らないとバカにされるんじゃないか、というプレッシャー。 (まぁ、ボク自身も長文で理屈っぽい感想をタラタラ書いてきた過去があるので、他人のことは言えないんですがねw)
でも、人間って本来もっと無駄で、非生産的で、矛盾だらけの生き物ですよね。 「タイパ」なんて言葉がもてはやされる時代ですが、意味のない時間をダラダラ過ごすことの豊かさって確実にある。 だから、この小綺麗なプラットフォームの中で、あえて何の役にも立たない「よしなしごと」を垂れ流す場所があってもいいんじゃないか。そう思ったわけです。
自己表現という名の消費活動
で、メタ的な視点で自分自身をツッコンでみると、こうやって「世間は意識高すぎw」なんて斜に構えたことを書いているボク自身が、一番プラットフォームの思惑に乗せられているという滑稽な構造があるわけです。
noteというシステムは、誰でも簡単に「クリエイター」になれる錯覚を与えてくれます。真っ白なエディタに向かえば、まるで自分が何か価値あるものを生み出しているような気分に浸れる。 でも、これって結局のところ、プラットフォームに「表現する場」を与えられ、そこへ自分の時間と思考を「データ」として上納しているだけの消費活動なんですよね。
自分が何かを発信しているつもりが、実は巨大なシステムの一部として組み込まれているだけ。 この「自分は特別な思考をしている」と思い込ませておいて、実は単なるトラフィックの一部として消費されているという構図。なんともシニカルで笑えない現実です。
それでも、人は書かずにはいられない。 なぜか? それは、自分という存在の不確かさを、言葉というフレームに押し込めることで安心したいからなんじゃないでしょうか。 特にボクのような、社会との繋がりが希薄なセミ・ヒキニートにとっては、こうやってネットの海にボトルメールを流すような行為が、ギリギリのところで世界と繋がる蜘蛛の糸だったりするわけです。
だからこそ、よしなしごとを。
まぁ、そんな御託を並べたところで、結局やることは変わりません。 映画を観て「ちょっwおまっw」と突っ込んだり、演劇を観て感極まって泣いてみたり、どうでもいい日常の違和感に文句を垂れたり。 過去の自分も、今の自分も、やってることは同じ。
ただ、この「和久井考次郎」という新しいフレーム(枠)に居て、過去の思考の残骸を燃料にしながら、現代のトレンドや出来事をどう切り取るのか。 自分自身でもちょっと興味があったりします。
もしかしたら、数記事書いただけで面倒になって「やっぱオレには無理だわ」と放置するかもしれない。それこそボクらしい結末です(笑) でも、まぁ続くところまではやってみようかと。
ここは、何か有益な知見が得られる場所ではありません。 ただの過去にとらわれたオッサンが、世間の騒ぎを遠巻きに眺めつつ、ブツブツと独り言をこぼすだけの場所。 もし、そんな生産性の欠片もない「本日のよしなしごと」に、うっかり迷い込んでしまった奇特な方がいらっしゃったら、まぁ、生温かい目で放置しておいてください。
ということで、今さら感満載の「はじめてのnote」でした。 次回からは、もう少し具体的な何かに噛みついてみようと思います。 いつになるかは、今のところ未定ですが。
