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ワールドカップと『国民の物語』

サッカーのワールドカップが盛り上がっている。例によって、僕は一秒も見ていない。誤解しないでほしいのだけど、僕はスポーツ観戦は割と好きなほうなので、ワールドカップを楽しみにしている人たちをくだらないというつもりはまったくない。ただ、その上でいくつか考えてみたいことがある。たとえば、本田圭佑が、日本時間の朝8時から始まるワールドカップ日本代表戦の中継を見たい人が多いとして、出社を遅らせるよう全国の経営者に呼びかけたアレ……なんかについては、結構慎重に考えたほうがいいと思う。

前提として、僕は「出社」というものに懐疑的だ。ハッキリ言って、部下に威張り散らしたいオーナーや管理職や、職場でデカい顔をするのが生きがいになっている人だけが「出社」に拘泥している。全員がオフィスのデスク「から」リモート会議をしている光景は、滑稽でしかない。なので、本田の提案そのものには賛成だ。しかし、単純に、この本田提案の結果として不利益を被る人がいたらどうだろうか、ということは考えたほうがいい。

たとえば、ある会社が本田提案を受け入れて、午前11時出社にしたとする。その結果として、その日の定時が21時に延長されたとする。その日の夜に子どもを保育園に迎えに行く予定のあった人や、友達とディナーの約束をしていた人が、サッカーに興味が薄かった場合、ものすごく理不尽な思いをするはずだ。そして、僕の考えでは、社会はこの「理不尽さ」を認めてはいけない。それは、つまり、サッカーに興味のないお前の権利は、マイノリティのものだから侵害されても仕方がない、というメッセージとして機能してしまうからだ。(つまりこの変更で「割りを食う」、特に弱い立場の人がいてはいけないということだ。)

僕はスポーツ観戦が割と好きなのだけれど、別に日本代表には特に思い入れはなく、勝敗にも興味はない。その立場から言うと、サッカーに興味がない人間の権利は制限されても仕方がない、マイノリティなのだから我慢しなさい、という理屈を通すと社会が壊れてしまう。日本人なら当然、これに興味があるでしょう、応援するはずでしょう、という前提で、自分以外の誰かを巻き込むことは、「暴力」として作用することに自覚的になったほうがいいだろう。

これは、僕がクドカンの『いだてん』のメッセージ――「国策」としてのオリンピックはくだらないが、テレビポピュリズム的な「みんな」のオリンピックはすばらしい――を支持できない理由でもある。その「みんな」に入れない人間は必ず生まれる。ここで開き直ると、マラソン中継ではなくアニメが見たいと思う人間を排除してしまう。その「みんな」に入れない人間の受けるアンフェアな扱いを許容する社会は、排除された人を究極的にはテロリストに導いてしまいかねない。少なくとも、その人が社会を信頼して生きていくことは難しい。

これが、僕が「今こそ国民の物語の再構築を」みたいなことを言う人たちに冷ややかな理由でもある。単純に、プラグマティックに言えば、いま必要なナラティブは、弱肉強食化に歯止めをかけるための新しい(西欧中心主義によらない)コスモポリタニズムの路線(たとえばミドルパワー結集的なもの)であり、「健全なナショナリズム」などでは絶対にない。そして、そもそもの問題として、いま述べたように、物語(共同性)は必ず中心と周辺、内部と外部を生むので、社会秩序を維持するためのナラティブは最小限のものにとどめておく必要がある。それは端的に言えば、「お前の意見は違う」と言うのは自由だが、「お前は意見を言うな」と言うのはNG、というメタルールであり、それ以上のものは暴力だ。

この種の議論でもっとも醜悪なのは、その物語の改変・修正の機会が十分に開かれていれば問題ない、というものだ。これは完全にマジョリティの論理だ。マイノリティにとって、その共同体の物語を書き換えるコストがどれだけアンフェアに膨大なものになるか、この人たちには想像もつかないのだ。

さて、その上で最後に考えてみたいのは、ワールドカップのような一過性のものから、歴史認識などにかかわる中長期的なものまでを貫く、「国民の物語」とSNS以降の「推し活」の関係だ。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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