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「ポストリベラル」という物語が陥りがちな罠とは何か

今日は、現代人が陥りがちな失敗パターンについて考えてみたい。現代は「ポストリベラルの時代」と言われる。なので、とりあえずリベラルなものをクサしておけば、相対的に賢く見えるみたいな次元で考えている人がやっぱり多い。しかしその結果として、彼らの嫌いな教条的なリベラルと同じくらいバカなことを主張してしまう、というのが現代における典型的な失敗パターンだと思う。

たとえばこういうことだ。一時代前のリベラルが批判的に超克した、ということになっているものに「父性」がある。これはパターナリズムや家父長制と結びつきやすいため、そのリスクにはあらかじめ対応しておかなければいけない、ということになっている。しかし、これが今日の現役世代の男性、特に40歳以上にはかなりキツい。

なぜならば、この世代の多くは、戦後的な「自己実現としての家父長制」の影響下で人格形成をしてきたからだ。そのため、自分より弱い者を「所有」することでしかメンタルを安定させることができない人が多い。

つまり、古い男性性を信じて生きてきた自分たちが救われないので困る、妻子や部下にでかい顔をするチャンスを失ってしまうと困る、というわけだ。自分がいばり散らす場を失うのが嫌で、オフィスへの出社や飲み会への参加を強要したがるオーナーや管理職のメンタリティーと言い換えてもいいだろう(「さびしいおじさん」問題)。

そこで問題になるのが、この「さびしいおじさん」たちの使う理屈だ。自分たちは確かに、既得権益に依存して父権的に振る舞うことがある。それは確かに問題だ。しかし、自分たちがもし本当にそれで間違ったことをしているなら、この社会にはそれを告発する制度が整っている。いくらでもその間違いは正されうるので、自分たちはガンガン父権的に振る舞っても問題ないのだ、と。こうして、自分たちの父権的なメンタルの安定と公正さは両立できるのだ、と。

少し考えてみれば、これがどれだけ自分たちに甘い強者のロジックであるかはよくわかるだろう。古今東西変わらないと思うのだが、子どもは親の暴力を告発しづらく、部下は上司のハラスメントを告発しづらい。たとえ表面的に制度が整っていたとしても、そもそもの権力関係がある以上、それは非常に難しい。そこがルールによって支配される組織ではなく、人間関係に支配される共同体なら、なおのことそうだ。

僕の考えはシンプルだ。人間は、そもそも父権的に振る舞うべきではない。どうしてもそれが不可避なときは、その行為そのものは十分に抑制されるべきだ。

たとえば以前述べたように、人間が共有すべき物語的な価値としては、たとえば「『お前の意見は間違っている』とはいくら指摘してもいいが、『お前は意見を言うな』という意見は絶対NG」というメタルールがこれにあたる。これ以上踏み込んだ物語の共有、たとえば「伝統的な家族制度を大事にし、男尊女卑を是認しよう」といった物語は、何らかのかたちでマイノリティの権利を制限してしまう。それが十分に検討され、書き直される可能性に開かれていれば許されるのだ、という議論はどう考えてもおかしいのだ。

物語の脇役や悪役という役割を押し付けられている人々が、一度はそれを受け入れるべきだ、という議論ほど傲慢なものはないだろう。マイノリティにとって、物語を書き換えるコストはアンフェアに膨大なものになるのだから。

あと、この議論がダメなのは、安直な消費社会肯定論に陥る点にある。すべての商品は市場の審判を受けている。したがって、それらはすべて、正される可能性に開かれていると言える。だからといって、とりあえず何でも作って市場に出してしまえ、となるわけがない。その結果、きちんと衛生管理がされていない生鮮食品や、充電したら5割の確率で爆発するモバイルバッテリーが出荷されてしまったらどうなるだろうか? それらは市場の審判によっていずれ売れなくなるから問題ない、とでもいうのだろうか? 僕は消費社会そのものを否定する気はまったくないが、こういった安直な「見えざる手」を無条件に公正の原理とみなすような議論には付き合ってられない。このロジックで言えば、お役所や大学でやることはどれだけちゃんとしていても市場に開かれていないからダメで、YouTubeの動画はどんなに陰謀論でも非常に開かれているのでオーケーだということになる。ばかばかしくて付き合ってられない。

この議論は、吉本隆明の消費社会論の問題に似ている。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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