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それは「オールドメディア」の限界なのではなく「メデイア」そのものの限界

今日はメディアの話を書きたいと思う。

石丸伸二出演の恋リアとかの売り方を見ると、やっぱり「リハック」は「最後のテレビ」なのだと思う(おそらく高橋氏も自覚的だろう)。「ニコ論壇」から「アベプラ」にネット論壇の主戦場が移ったときに(と、いうほど「覇権」ではなく、当時の空気を象徴していた……くらいの存在感だと思うけれど)、「アベプラ」は「ニコ論壇」の冷笑系イデオロギーによるコンプレックス層動員を継承し、かつ「ゲストに呼んだ出演者をレギュラー陣が集団で不意打ちして悪役にしたり、小馬鹿にしたりする」という「テレビ的な」やり口を導入した……と、とりあえずまとめることができると思う。そしてこうして並べてみるとその「アベプラ」を上書きした「リハック」はさらにそれに加えて「内輪のスターを作り、楽屋ネタをあえて見せて親近感を出す」という80年代フジテレビバラエティ的な(「いいとも!」)的な手法を導入しているのが分かる。

僕に言わせればこれらのメディアのノリにドップリ浸かりながら、「オールドメディア」批判をしている人たちは自分たちの「オールドな」センスに気づいていないし、これらのメディアを嫌悪する「オールドな」業界人たちは、これらのメディアこそが「オールドな」日本メディアの遺伝子をもっとも強く発揮している(あなたたちより優秀に発揮している)継承者であること気づいていないのだ。

誤解しないで欲しいのだけど、別に僕はどのメディア(人)が◯で、どれが✗だとかそういう「採点」がしたいのではなく、この一連の「流れ」みたいなものの意味を考えたいのだ。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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