“It’s the housing, stupid”(問題は「住宅」なんだよ、おバカさん)
今日は僕が主催する研究会で住宅について議論してきた。僕の古いタイプの読者には、僕がこういうことをやっていることが全くぴんとこないだろう。
実際、僕は震災の少し後ぐらいから、都市やライフスタイルについて重点的に仕事をしているのだけど、古いタイプの読者は全く関心を持たない。そして、それは意図的にやっていた。つまり、そうすることで、古い、はっきり言ってしまえば質の悪い読者を切りたかったのだ。
僕の古いタイプの読者、つまり当時批評や思想に集まってきていた男性読者の多くは、せいぜい村上春樹的な「自分より弱いものに必要とされることでプライドを保つタイプの矮小な父性を、どうにかごまかして肯定したい」というくらいのことしか考えていない層だったからだ。
彼らに「受ける」方法は簡単で、何か箔のつきそうな固有名詞を散りばめながら、彼らのそういったプライドの持ち方を肯定してあげるようなことを言えばよかったのだけど、そういう仕事に人生を使いたくないと僕は思ったのだ。
しかし、僕は思った。たしかにこの男の子(おじさん)たちの意識の問題はくだらない。しかし、彼らがこんなつまらない人間になってしまった構造のようなものは、ちゃんと考えなきゃいけない、と。
今風に言えば、神武天皇とか男系男子とか言っているやつは本当にくだらないけど、そういったくだらない幻想にすがらなければ生きていけない人々がたくさん生まれてきた構造を考えることは、決定的に大事だと考えたのだ。それが、僕が都市やテクノロジー、そしてライフスタイルの問題に軸足を移した理由だ。
比喩的に言えば、こういったプチ村上春樹的な自意識を抱えた家長崩れたちの欲望を決定しているのは、フォーディズム以降、賃労働者の家族アイデンティティが制度的に肥大せざるを得なかったからだ。つまり、大半の人間に与えられたゲームが戦後的な「自己実現としての家父長制」の物語をいかに生きるか、というゲームに設定されてしまったことがそもそもの問題なのだ。
そして何度か指摘しているように、戦後の賃労働者によるぶ厚い中間層の形成とは、性的・民族的・人種的マジョリティである男性賃労働者による住宅取得を通じた資産形成にほかならない。つまり、このゲームとは、住宅取得を通じた資産形成によって「父になる権利」を買うゲームだったのだ。(その背景には、女性に対する就労差別の是認があった。)
そしてこの制度を金融的に支えたのは、今日的な形態の住宅ローンの発明と普及だった。プライドの高い男の子たちは指摘されたくないだろうけど、彼らが生きがいにしている「父になりたい」という欲望は、はっきり言ってしまえば住宅ローンという金融商品によって開発され、継承されたものに過ぎないのだ。
その結果、住宅という存在は戦後的な「中流生活」を象徴するものになっている。
たとえばいま、旧先進国の大都市の多くでは主にベビーブーマーが取得した郊外の持ち家が、社会の巨大な負債になっている。彼ら彼女らは、自分は両親との同居を拒否して都会に出てきたくせに、自分は子どもと同居する気満々で郊外に広い持ち家を買った。しかし当然のように、共働きが前提になるその子ども世代は、郊外の持ち家には暮らさない。戦後期の郊外の持ち家は、「専業主婦」という名の女性搾取制度の象徴なのだ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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