共同体と人間の「本能」、またはプラットフォーム化以降のニヒリズムについて
今日は、人間の「本能」について考えてみたい。人間には本能がある。それに逆らうのは心身に良くないし、そういったものに反した制度や文化は根付かないと考えられることが多い。しかし同時に、人間の本能は抑制されなくてはいけない。そうしなければ、つまり「自然状態」に任せれば、無限に殺し合いが起きる可能性が高い。
いや、性善説的にそうじゃない、と考える人もいるのは知っているが、少なくとも人間が理性を駆使して本能をある程度抑制しないと、短期的な最適化によって長期的な最適化が損なわれ、人権も健康も維持できなくなる――というのはさすがに理解できると思う。要するに、心身の弱者や社会的マイノリティなど、適者生存の原則では「切り捨てたほうがいい」人間を「切り捨てずに保護する」ほうが、長期的には多様性が維持され、リスクヘッジ的にもイノベーション的にも有利になる……ということだ。
まあ、僕はこういう「役に立つ/立たない」みたいな基準で考えるのは好きじゃないが、そういう思考をするのがクールでカッコいいとか思っている人(「意識高い」ビジネスパーソンに多い)向けに、一般論を書くとこうなる(それほど難しい話じゃない)。
つまり、人間は人間の生物としての本能をうまくハックしないと、効果的な社会運営ができない。しかし本能の「まんま」だと長期的にはむしろ不利になるので、抑制する必要がある。これは少し文化的な話をするとエロスとタナトスがコインの裏表である、みたいな話で、要するに人間には死の欲動や自己滅却への欲望があり、つまり「本能」同士が矛盾するケースがままあり、それが文化や宗教の、ハラリ的に言えば物語の源泉であり、ここを視野に入れない議論は基本的に無駄なのだ。
で、今日考えたいのは、この原理的な、基礎的な認識が都合よく忘れられる現象についてだ。それは端的に言えば「共同体」についての議論だ。要するに僕は共同体「だけ」では人間は生きられないと考える。だからこそ、共同体とは異なる原理で成立する公共領域の重要性を主張する。すると、怒り狂う人がたくさん出てくる。自分が共同体のアルファ雄またはその側近としていい思いをしているか、そういったカースト構造や排他性の問題を隠蔽して「愛のネットワーク」とか言って自分たちの共同体を(スターリンがソ連を「労働者の天国」と述べたように)喧伝する大学教授や社会起業家は、僕が共同体の副作用を指摘するのをどうしても黙らせたいらしく常にブチ切れてくる。そして「反論」の根拠はだいたい二つだ。
一つ目は「自分たちの共同体は(自分が治めているので)カーストも排他性もない」というものだ。これはたいていポジショントークで、相手にする必要はない。そりゃあ桃太郎は自分が虐殺した鬼は悪だったと述べるしかないだろう。仮にそこが「今は」ユートピアだったとしても属人支配(そうじゃないものはアソシエーション=組織になり、定義的に「共同体」じゃない)は代替わりしたときに「悪政」が行われるリスクを回避できない。
そして二つ目は「共同体形成は人間の本能だ」というものだ。いや、そうに決まっているが、だから僕はその本能を「抑制しろ」と言っているのだ。本能だったら何でも認めなきゃいけないのだったら、セーフティーネットもなくていいことになるし、男性の性衝動も野放しでいいことになるし、地域の異文化は排除していいことになる。だが、そんなわけがない。要するに「共同体形成の本能」だけ「都合よく野放しでいい」ことになっているのだ。
ちなみに本にも書いているし、何十回も言っているのだけど、僕は共同体そのものは否定していない。人間は共同体を「作ってしまう」ものだ。だからこそその副作用を正しく理解してセーフティーネットを張る必要がある。しかしこのメッセージは都合よく「スルー」される。
で、ここからが本題だ。なぜ「共同体に対する本能」だけが都合よく「抑制されなくて良い」という幼稚な議論が反復されるのか。僕の考えでは、その答えは二つある。まず第一にはそれを語る人間が(男女問わず)、共同体の「父」(アルファ雄)になる欲望に、他者を「所有」する欲望にとらわれているから(そうなってしまいがちな「構造」があるから)だ。そして第二には僕たちが、インターネットのプラットフォーム化以降は社会を「つくる」ことはもはやできず、水は低いところに流れるだけだというニヒリズムに陥っているから、いや、そうしたニヒリズムを唱えて試行錯誤する誰かを冷笑することが、コスパのいい承認獲得の方法になってしまう構造が存在するからだ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
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