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アイデンティティについての小さな歴史(第四の主体のためのノート #1)

※今月から4ヶ月遅れで「すばる」(集英社)誌連載の『第四の主体のためのノート』を転載していきます。『庭の話』の直接的な続編になる連載で、次の主著にするつもりで取り組んでいます。『庭の話』を読み、興味をもっていただけた人は、ぜひこちらもチェックしてください。よろしくお願いします。

1 ジョニー・ロレンスの来歴

 ジョニー・ロレンスの話からはじめたいと思う。予め断っておくが、ジョニーは「何者でもない」。少なくともいまから取り上げるこの時点――二〇一八年の八月下旬――においては確実にそうだ。【註1】
 彼は五二歳の白人男性で、ロサンゼルス郊外のアパートで一人暮らしをしている。生活は貧しく、職業は日雇いのハンディマンで、裕福な住民たちを相手に掃除や家具の設置を行っている。
 いや、正確には「いた」と過去形で書くべきだろう。なぜならば彼はつい先日、ある客と揉めた結果として実質的な雇い主である斡旋業者からもう仕事を回さないこと――つまり解雇――を宣告されたからだ。
 その客は若い白人女性で、高級住宅街の一角で一人暮らしをしていた。彼女が新しく買った壁掛けのテレビを設置するのが、ジョニーのその日の仕事だった。彼女の「ドアの向かい側」の壁にテレビを設置するようにという指示を、ジョニーは間違えた。その部屋にはドアが二つあり、そしてジョニーがテレビを設置したのは彼女が意図しないほうの壁だったのだ。
 女性はジョニーを責めた。壁を間違えたことだけでなく、貸したトイレに大便をしたことまでを責めた。まるで自分のような金も、学歴もない中高年男性は存在そのものが社会の汚物なのだと言われているようにジョニーは感じた。女性とジョニーは口論になるが、最後はジョニーが折れた。生活がかかっているので、客と揉めるわけにはいかないからだ。しかし女性はジョニーを派遣した業者にクレームを入れ、彼は職を失ったのだ。
 ジョニーが持たないのは職だけではない。彼には家族もいない。若い頃に結婚した妻とはごく短期間で離婚し、彼女が引き取ったはずの息子とはもう何年も顔を合わせていない。
 先日、久しぶりに電話で話したのは、その息子が学校に薬物を持ち込み問題化したときだ。別れた妻は交際している男性と旅行中で、もう何日も帰宅しておらず、連絡がつかない。そこで学校側は仕方なく、ジョニーに電話をかけたのだ。違法な薬物は止めるようにと、ジョニーは電話口で息子を諭す。「人生を棒に振るぞ」と。しかし息子はそんなジョニーを鼻で笑う。「負け犬が、父親顔するな」と。

 いったいどうしてこうなってしまったのだろう――ジョニーは毎晩のようにそう考えている。このような夜に彼の手に握られているのはいつも決まってクアーズ・ゴールデン・バンケット(アメリカ西部を代表するラガービールで、「男らしさ」のイメージが強い)の瓶だ。そして彼の狭い部屋には、いつもすでに空になった瓶が何本も転がっている。
 そう、ジョニーには明らかにアルコール依存症のきらいがあり、朝に目覚めるとすぐに寝床に放置されていた瓶――大抵の場合、彼は眠りに落ちるまで飲み続けている――に手を伸ばす。そして意識がある間は、断続的に飲み続けている。酔っていない時間が訪れるのが、素面の状態で自分の現実を直視するのが「怖い」からだ。
 ジョニーは夜に独り家でビールを飲むとき、ビデオを観ることが多い。YouTubeやInstagramを眺めないのは、彼が情報技術に疎く、二〇一八年の時点においてもまだスマートフォンを所有していないからだ。携帯電話は古いフリップ式(折り畳み型)のものを使用していて、Instagramはおろか、Facebookのアカウントすら所有していない。
 ジョニーが特に繰り返し観ているのは一九八六年公開の映画『アイアン・イーグル』――退役したかつてのエースパイロットと飛行機マニアの青年の師弟が中東の「ならず者」国家を相手に奮闘するミリタリー・アクション――だ。
 この映画には今や失われた世界が描かれている。愚かで軽薄で、熱い思いを抑えきれない若者たちがいて、そんな若者たちを優しく包み込む大きな器を備えた大人の男たち――「父」たち――がいる。若者たちは大人たちを敬い、仲間との絆を信じて冒険に出る。その冒険は共同体の敵を討つことで完結する。そして若者は「父」からの、この通過儀礼を経てお前も一人前の男(父)になったのだという承認を与えられるのだ。
 テレビの画面を見つめるジョニーはしばしば涙ぐむ。こうして夜に独りでクアーズ・ゴールデン・バンケットを飲みながら、『アイアン・イーグル』を観ているときは、「あの頃」に戻れたような気がするのだ。
 気持ちが抑えきれなくなったとき、ジョニーは深夜にハンドルを握り、走り出す。彼の愛車は一九九一年製Pontiac Firebirdだ。古い車に乗っているのは思い出のレトロカーを大切にしている……からではなく、単に買い替えるカネがジョニーにはないからだ。だから廃車寸前のものを直し直し乗り続けている。ジョニーの乗るPontiac Firebirdの真っ赤なボディは既にあちこちが凹み、修理に出しても適当な中古車を買い直したほうが安いと言われる始末だ。
 それでもこの車で深夜の街を走るときもまた、ジョニーは「あの頃」に戻れたように思える。それは今のジョニーにとってもっとも幸福な時間なのだ。車中で流すお気に入りのナンバーは、当然Poisonの“Nothin’ But a Good Time”やForeignerの“Head Games”といった、八〇年代のものばかりだ。

 夜の街でハンドルを握りながら、ジョニーはいつも「あの頃」を思い出す。
 一九八四年のある時点まで、ジョニーの人生はいくつかの問題を抱えながらも全体としては順風満帆だった。
 一九六七年八月二〇日にカリフォルニア州ロサンゼルスで誕生したジョニーは、幼少期に両親が離婚し、母ローラが再婚した継父シドのもとで育つことになった。シドは継子を疎みがちだったが彼の裕福さはジョニーに有利に働き、閑静な郊外の住宅街で何不自由なく彼は少年期を過ごした。
 さらに一二歳のときにはじめた空手は、彼に高い自己肯定感を与えた。ジョニーは空手に打ち込むようになり、地元の大会の少年部門で優勝を重ねた。裕福な家庭に育ち、ケンカの強いジョニーは高校に進学する頃には地元の不良少年たちのリーダー格になり、学園のスターの座を得た。同じ高校に通う空手仲間たちとオートバイを乗り回しながら、パーティを梯子する。どの会でも主役はジョニーで、彼はいつもクアーズ・ゴールデン・バンケットの瓶を片手に場の中心にいた。一九八〇年代前半――すべては輝いていた。
 しかし、ジョニーの人生はやがて暗転する。卒業間近の一九八四年の大会でジョニーは決勝戦で敗れ、連覇を逃したのだ。父のように慕っていた空手の師は彼の敗北を他の弟子たちの前で叱責し、鉄拳制裁を加える。それはジョニーにとって最大の屈辱であり、そして信じていたものに裏切られた瞬間だった。
 ジョニーは傷つき、空手を止める。恋人も彼のもとを去り、ここからジョニーの人生は転落をはじめる。「ワル」の仲間たちは次々と「卒業」して手に職をつけ、結婚し、家庭を設けていく。しかしジョニーにはそれができない。すべてが輝いていた「あの頃」に固執するジョニーは二〇代になっても、三〇代になっても酒を飲み歩き、喧嘩を繰り返す。何度か、刑務所にも入ることになる。職は安定せず、母の死によって継父からの経済的な支援も徐々に得られなくなる。三〇代の頃に、妊娠をきっかけに結婚した妻との関係はほどなく破綻し、今は高校生になった息子ともほとんど顔を合わせることがない。
 気がつけばジョニーは職を転々としながらかつて自分が蔑んでいた、貧しい移民たちが暮らす小さなアパートに一人暮らしをするようになっていた。
 そのアパートには彼のような貧しい白人と、そして移民が多い。つい先日も、同じアパートの向かい側の部屋にメキシコ系の移民が引っ越してきたのだが、それがまた気に食わない。そんな気に入らない住処に、今日もジョニーは独りで愛車と一緒に戻っていく。そしてジョニーは今夜も酔いつぶれて、泥のように眠る。そしてまた、最悪の「朝」を迎えるのだ。

Johnny Lawrence(1967〜)

 では、ジョニー・ロレンスはどうすればよかったのか。そして、これからどうするべきなのか――これがこの連載の最初の問いだ。
 実は、ジョニーがその後どのような人生を辿ったのかを調べることは、それほど難しくない。しかし、それはここではあまり大事なことではない。ここで必要とされているのは、ジョニー・ロレンスという一人の「何者でもない」存在を通して、この世界のことを歴史的かつ構造的に、つまり縦と横から考え直すことなのだ。

2 AnywhereとSomewhere

ジョニーはどうすればよかったのか? そして、これからどうするべきなのか?
 そもそも、この問いは人間「個人」という単位を、いささか過大評価しているきらいがあるだろう。
 ジョニー自身は、自分がこうなってしまったのは自分の責任だと考えているかもしれない。いや、きっとそうだ。ジョニーは強いものが好きで、男らしいものが好きで、自分も常にそうありたいと考えている。だから昨年(二〇一六年)の大統領選挙にもし彼が投票していれば、彼は低所得者を含む全国民に対する包括的な医療保険(オバマ・ケア)を維持することを主張する候補(ヒラリー・クリントン)ではなく、それをアメリカの建国理念――強い「自立」――に反する負け犬の選択として非難する側の候補(ドナルド・トランプ)に投票していただろうし、それ以前に「男らしさ」を何より大事にする彼には華々しい経歴を持つ女性候補に好意的になる理由はなかっただろう。
 しかし、大事なのはジョニーの問題をジョニーを取り巻く世界の問題として考えることだ。言い換えてみよう。この連載で最初に考えてみたいのは、世界はなぜジョニーをこうさせてしまったのか、という問題なのだ。

 イギリスのジャーナリストであるデイヴィッド・グッドハートは二〇一七年に出版した『The Road to Somewhere: The Populist Revolt and the Future of Politics』【注2】のなかで、世界は今「Anywhereな人々」と「Somewhereな人々」に分かれていると述べる。
 前者はグローバル資本主義と社会の情報化に対応した新しいタイプの経済人だ。彼らの多くは情報産業や金融業に従事している。彼らの携わる市場はグローバル化して久しく、実際に二一世紀の初頭においては、インターネット関連の産業を中心にこの変化が何よりも強い力で世界を動かした。
 今日においては市場はグローバルで大きく、国家はローカルで小さい。政治運動や革命は一国の社会しか変えないが、市場に革新的な商品やサービスを投下したとき、短ければ数ヶ月で世界中の人間のライフスタイルが変化してしまう。
 そしてここで重要なのは、この新しい方法で世界を変えることを覚えた人々は集団の一部としてではなく、あくまで独立した個人として仕事をし、市場を通じて世界に関与していると考える傾向が強いことだ。
 実際にこうしている現在において、世界中のほとんどの人間はイーロン・マスクがテスラやXに「所属」しているとは考えない。逆にイーロン・マスクという「個人」に「テスラ」や「X」というタグが付いているように受け取られているし、おそらく本人もそう考えている。
 さらに重要なのは、このとき彼ら彼女ら――二一世紀のグローバル資本主義のゲームを生きるプレイヤーたち――は、かなりの割合で自分が所属する「国家」もまた、単なるタグのようにとらえていることだ。
 彼ら彼女らは、地理的に「どこでも」生きていくことができる。彼ら彼女らの携わる情報産業や金融業はグローバルなネットワーク上に展開するゲームで、プレイヤーの物理的な身体が東京にいようがニューヨークにいようが、ベトナムやルワンダの山奥に存在していようが関係ない。そして同時にそれは、彼ら彼女らが社会的にどのような国家や団体や共同体のメンバーであるかも問われないことを意味している。労働集約を必要としないこれらの新しい産業においては、個人がプロジェクトに参加することが重要であり、その人格がプロジェクトを運営する団体(多くの場合は株式会社)に所属することを要求しない――むしろ、複数の団体のプロジェクトに参加することによって得られる知見と人脈の広さが要求される――からだ。
 つまり、彼ら彼女らは地理的にも、社会的にも「Anywhere」に、つまり「どこでも」生きていける人々なのだ。
 しかし、このような新しいアプローチで世界に関与し、生きていける人々は、少なくとも二〇二〇年代の現在ではおそらく地球人類の一割にも満たないだろう。大半の人間はこうしている今も、前世紀的な古い世界にとどめ置かれている。つまり、人類史の主役の座から転がり落ちてしまった製造業を中心とした、古い産業構造の中に生きている。【註3】
 そしてこれらの古い産業を通じて糧を得る彼ら彼女らの大半は、特に二〇世紀の旧先進国においては賃労働者であり、団体(企業や国家など)のメンバーとして経済活動に参加している。多くの場合はネジや歯車のような、つまり取り替え可能な部品のような存在として、彼ら彼女らは働くことになる。仮に重要な役割を担っていたとしても、組織の一員として活動していることには変わりはない。そのため所属するその組織を離脱し、名刺を失えば「何者」でもなくなってしまうことになる。だから彼ら彼女らの多くは職業を尋ねられても、勤務先の組織名を答えてしまうのだ。
 そのためこのタイプの人々が仕事を通して与えられる充実感の多くが――特に二〇世紀後半を席巻した日本型経営のようなメンバーシップ型雇用の現場では――職場の共同体内の承認に、具体的には人間関係に依存することになる。
 恵まれたケースでは個人的に仕事「そのもの」に対して情熱やこだわりを持つことはあり得るし、そうしたケースは実のところ珍しくもない。しかしそれでも大半のケースにおいて賃労働は基本的に誰かに与えられた「他人の仕事」であり、「自分の仕事」ではない。少なくともAnywhereな人々のように、所属団体の外部にまで個人の名前が認識され、グローバルな市場のプレイヤーとして評価されることはほとんどない。
 そう、あらゆる意味において地球人類の大半はいまだに「Somewhere」な、つまり「どこか」でなければ生きていけない人々なのだ。
 そしてグローバルな市場に個人として直接的に参加する回路を持たない彼ら彼女らが、「個人」としてもっとも直接的に世界に関与する方法は、おそらくローカルな国民国家への民主主義を通じた政治参加だろう。
 グッドハートは二〇一六年のブレグジットを、グローバル資本主義を牽引するAnywhereな人々(具体的にはロンドンのクリエイティブ・クラス)に対する、Somewhereな人々(それ以外)の民主主義を通じた反乱だと位置づける。同じ構造が、同年のドナルド・トランプのアメリカ大統領当選にも当てはまることは自明だ。
 こうしたグッドハートの分析は、古い産業を貶めていると非難を受けるかもしれない。それは大きな誤解だ。実際にグッドハートは一貫してSomewhereな人々の尊厳と権利の擁護を主張しており、彼の主張の力点はAnywhereな人々の生きる「境界のない」世界が、Somewhereな人々からの搾取の上に成り立っていることの指摘にある。
 そしてこの構造を理解するためには、二〇世紀的な労働集約型の産業のもたらす「疎外」の問題を直視せざるを得ない(仮にこのような「疎外」の現実がなければ、世界史には労働運動も社会主義運動も発生することはなかったはずだ)。
 これまでは――Anywhereな人々が出現し、可視化されるまでは――それでよかったのかもしれない。「働く」とは「そういうこと」だったのだから。たとえ都市の労働の現場でネジや歯車のような扱いを受けたとしても、大半の人々は村落、つまり土着の共同体の何も自分で選ぶことのできない世界を、結婚や職業選択の自由もない不自由な世界を捨てて「自由」を手に入れることを、相対的に選択したのだ。特に、村落の共同体の階層の比較的下位に生きる人々や、排除されがちなマージナルな領域に暮らす人々は都市に脱出し賃労働者となることが大きな救いとして機能した。
 しかし彼ら彼女らの手に入れた自由は、今日においては相対的に「大したものではなくなって」しまった。グローバルな市場を舞台に、それも個人という単位で活躍するAnywhereな人々の得た自由に比べれば、それはどうしても色褪せて見えてしまう。そしてこの自由度の差は、経済格差に直結している。比喩的に述べれば、同じアメリカ人でもシリコンバレーの起業家やエンジニアが、Anywhereな人々として自由と豊かさをこれまで以上に享受するその一方で、Somewhereな人々、たとえばラストベルトの自動車工場の従業員たちは、安定した雇用を失い、貧困に苦しむようになっていったのだ。
 そして更に頭が痛いのは、こうしている今も、おそらくAnywhereな人々の大半は、この問題の本質を理解していないことだ。
 二〇一六年の秋にトランプがはじめてアメリカ大統領に当選した日に、私はFacebookで知人たちのうち何人かが、一様な投稿をしていたのを覚えている。それは「自分の友人のアメリカに暮らす誰それが、トランプの当選を嘆いている」という書き出しからはじまる。そして「しかし気にすることはない」と続く。そして彼らはこう呼びかけるのだ。「自分たちはどこにだって行けるタイプの人間じゃないか。アメリカが四年間暗闇に支配されるのなら、ロンドンにでもパリにでも行けばいい。ドバイやシンガポールでもいいし、なんだったら自分を頼って東京に来たらいいじゃないか」と。
 私はこのとき、本当に頭が痛くなる思いがした。理由は二つある。まずは、複数の知人が判で押したように同じような内容の投稿をしていたことだ(きっと、世界中で流行っていた形式の投稿なのだと思う)。彼らは情報産業の起業家や投資家やコンサルタントで、いずれも実際にグローバルな市場のゲームをプレイする――つまりAnywhereな――人々だった。そして頭が痛くなったもう一つの理由は、彼らが自分たちのそういった「語り口」こそがトランプを生んだことを、まるで理解していないことだった。
 Anywhereな人々はこう述べる。ブレグジットを支持し、トランプに投票した人々は愚かなのだ、と。自らオバマ・ケアを撤廃し、リーマン・ショックを引き起こした金融業への規制に反対し、自分たちの首を絞めているのだ、と。そして暗にこう主張しているのだ。自分たちがもたらす経済成長の余剰を「再分配」するから、余計なことを主張せず従えばいいのだ、と――。もちろん彼ら彼女らの大半は、このような差別的な意識は持っていない。彼ら彼女らは単に、それが合理的だと考えているだけだ。しかし、おそらく彼らの「語り口」によってSomewhereな人々にはそう「聞こえて」しまうのだ。
 Anywhereな人々は自分たちが実質的に、自分たちだけが世界に関与し、変革する力を持ち、そしてそうではないSomewhereな人々はそれに従うべきだと述べてしまっていることに、お前たちは世界に関与する資格がないと告げていることに、自分たちこそがトランプ以上に「壁」を作っていることに気づいていないのだ。
 そう、大事なのはSomewhereな人々の尊厳の問題なのだ。より具体的には世界に関与する「手触り」の問題なのだ。Anywhereな人々の語り口は、Somewhereな人々の尊厳を奪い去る。自分たちを支える世界に関与する手触りは、あなたたちには得られないと宣告してしまう。しかしSomewhereな人々がもっとも強く求めているのは、金銭や安全よりもむしろこの「手触り」なのだ。

3 壁の向こうの住人たち

では、このSomewhereな人々が求める世界に対する「手触り」とは、具体的にどのようなものなのだろうか?
 一九八〇年代に「感情労働」という概念を提唱した【註4】ことで知られるアメリカの社会学者アーリー・ラッセル・ホックシールドは二〇一〇年代なかばのトランプ現象を目の当たりにし、アメリカの南部西部山岳部――いわゆるレッド・ステートに暮らす保守層の人々の「感情」に注目したフィールドワークを試みた。具体的にはルイジアナ州の白人のうち、特に中産階級と労働者階級の人々に焦点を当て、こういった人々がなぜ再分配や環境保護に消極的な政策を、つまり経済的に自分たちの首を締める保守的な政策を支持するのかを、「感情」に注目して解き明かそうとした。
 奇しくもトランプが最初の当選を果たした二〇一六年に原著が出版された『壁の向こうの住人たち』のなかで、ホックシールドは自身が探究してきた「感情」にフォーカスした社会学の観点からこのフィールドワークの中で出会った人々を、生々しく描き出す。

オートメーションと企業による自社業務の海外移管が進んだことにより、高卒のアメリカ人男性の実質賃金は、一九七〇年に比べて四〇パーセントも減少している。労働者の九〇パーセントに関しては、平均賃金が一九八〇年以降横ばいのままだ。年配の白人男性の多くは希望を失っている。実際、このような男性がアルコールやドラッグ、自殺により死亡する割合は、平均より高い。平均寿命はどの年齢層でも延びているものの、一九九〇年から二〇〇八年にかけては、高校を出ていない年配の白人男性の平均寿命が三年短くなっていた――絶望が関係していることは間違いないだろう。【駐5】

 たとえば、リー・シャーマン(当時八二歳)はルイジアナ州のレイクチャールズにあるPPGインダストリーズ社の石油化学工場の配管工として長く働いてきた。リーは当時、すでに歩行器なしでは移動することができなくなっていたが、それは勤務中に炭化水素の火傷を負って膝を曲げることも、立つこともできなくなったからだ。事故後に会社はリーを解雇した。会社に裏切られたリーは、自身も携わってきた化学物質の不法投棄を告発する。そして、リーは環境保護運動の活動家になっていった。
 しかし数十年後、同書が出版された二〇一六年時点のリーは保守派のティーパーティに参加している。この「転向」の引き金になったのが「感情」だ。リーは明らかに、国家や州の保護を必要としている。しかし、そのことが彼の尊厳を傷つけるのだ。その結果としてリーは自分たちを保護する政府を非難する。パートタイムの仕事で得た収入が上限を超えたことを理由に年金を一時停止された経験や、領収証の合算を間違えて予想よりも確定申告後の還付金が少なかった経験が、政府による税を通じた再分配そのものが不公平なものだと感じさせたのだ。
 おそらくリーは間違えている。パートタイム収入を理由に年金を一時停止されたことを不満に思うのなら、その上限を引き上げるように働きかけること――より強い再分配を求めること――が解だし、確定申告についても同様だ。しかし、違うのだ。リーはそもそも、自己が自立できていないと感じていて、それを恥じている。リーにとって政府の手の差し伸べ方は、彼を「哀れなるもの」として扱っているように感じさせ、尊厳を奪い去る。その結果として単なる計算間違いと申告のミスによって生じたストレスに過ぎないものが、再分配に積極的なリベラルな福祉政策そのものへの嫌悪に転化してしまうのだ。ポイントは明らかにリーの無知ではなく、その尊厳を巡る感情のほうにある。
『壁の向こうの住人たち』にはリーだけではなく、他にもたくさんのSomewhereな人々の姿が描き出される。リベラルな再分配政策を支持するほうがあなたに有利なのだと説得するAnywhereな人々の「語り口」が、そのある世界への認識を前提とした語り口が彼ら彼女らを傷つけ「壁」をつくっていることを、ホックシールドは彼ら彼女らの肉声を通じて告発する。「壁」をつくり上げているのは、つくれもしないそれをつくると宣言して人々を動員するトランプではなく、そのような動員に引っかかるSomewhereな人々を嘲笑するAnywhereな人々の「語り口」なのだ。

 ジョニーも、そして彼の親世代に当たるリーも経済的に困窮している。アメリカ国内においてこの数十年進行した、格差の拡大に怒りを覚えている。にもかかわらず、彼らは再分配による格差是正を支持しない。それどころか再分配に対しても怒りを覚えている。
 トランプが最初に大統領の座を得た二〇一六年の選挙において、ヒラリー・クリントンが多数の最貧困層を含む大都市圏で票を獲得したのに対して、トランプの支持層が「かつての」中流階級であり、現在はその地位を脅かされている白人層であったことは広く知られている。実際にピュー・リサーチ・センターによる二〇一六年の調査では、二〇一六年の共和党予備選の段階で、アンケート調査において「トランプを支持する」と回答した登録有権者のうち、年収七万五〇〇〇ドル以上の層が三〇%、三万ドル未満の層はわずか一一%にとどまっていた。【註6】
 これは、同年の全米世帯年収の中央値(約五万九〇〇〇ドル)と比較しても、彼の支持基盤が必ずしも最貧困層ではなかったことを示している。
 このアイデンティティと経済の関係を逆に捉えてしまうと、この世界を揺るがしている現象の構造を見誤ることを、ホックシールドのフィールドワークは教えてくれる。いまアメリカをはじめとする二〇世紀の「西側」旧先進国に渦巻いているのは「かつての」中流階級のアイデンティティの不安であり、経済的な没落がその原因として強く存在している。しかし彼らの最終的な目的は、つまり本当に取り戻したいのは誇りであり、尊厳に他ならない。安定した雇用や、それが保証する金銭的に余裕のある生活は誇りを取り戻す手段に過ぎないのだ。
 もし彼らの「最終的な」要求が金銭であるのならば二〇一六年のアメリカ大統領選挙の主役は、実質的な社会主義を標榜するバーニー・サンダースになるべきだった。だが実際には、当時サンダースの主張した社会主義的再分配に対して「彼ら」は強い警戒を見せ、距離を取った。彼らが取り戻したいのは、アメリカ合衆国の建国理念に謳われた強く、自立したアメリカ人としての「誇り」に他ならないのだ。

 アメリカを代表する哲学者で、共同体主義者を自認するマイケル・サンデルは近年、グッドハートのいうAnywhereな人々とSomewhereな人々の分断の背景に、今日の資本主義社会が前提とするメリトクラシーの支配を指摘する。【注7】
 メリトクラシーは、運の要素を軽視して人間の成功を運ではなく、努力の結果として称賛し、失敗に対しては努力の不足として自己の責任を問う。サンデルは、今日の情報産業と金融業に牽引される新しい、グローバルな資本主義社会は個人単位で成功を競うゲームが全面化するため、より強くメリトクラシーが発揮されることを指摘する。このメリトクラシーの全面化が、これまでよりも強くゲームの敗者を精神的に追い詰めるのだ。
 このとき「壁の向こうの住人たち」にとって再分配政策は単なる制度ではなく、あなたは社会の敗者であり、救済が必要だという刻印としてより強く受け止められる。ホックシールドが描き出しているのは、この刻印が劣位の証明として彼ら彼女らに強い喪失感を与えている現実なのだ。
 そしてジョニー・ロレンスの、そしてリー・シャーマンをはじめとするルイジアナの白人労働者たちの、喪失感は強い被害者意識に転化し、しばしば排除の論理と結びつく。彼ら彼女らの敵意は一方では自分たちから仕事を奪っていく(ように、実態はともかく彼らがそう感じることによって、喪失の理由に位置づけられる)移民たちへと向かい、もう一方ではそれはあなたたちの無知だ、そもそもの技術革新と世界経済の構造の変化の結果であり、移民たちに怒りをぶつけるのは間違いなのだと統計を用いて、「説得」を試みる西海岸や東海岸のクリエイティブ・クラスたち――「Anywhereな人々」――に向かう。そして、彼らは「壁を作れ」と叫ぶアジテーションに喝采を送るのだ。

4 栄光の三十年

では、どうすればよいのだろうか? ここでジョニー・ロレンスやリー・シャーマンが記憶の中で理想化する「あの頃」について、改めて考え直してみたい。
 参照するのはフランスの経済学者トマ・ピケティの研究だ。ピケティは二〇一三年に出版した『21世紀の資本』において、資本収益率(r)が経済成長率(g)を上回ると格差が拡大するという歴史的傾向を指摘した。ピケティはこの「r>g」という不等式を、一九世紀以降の長期データに基づいて提起し、例外的な時代を除けば、この傾向が自然に回帰すると論じた。この理論が、現代資本主義における不平等の構造を象徴的に示したものとして国際的に大きな注目を集めたことは記憶に新しい。【注8】
 ピケティの『21世紀の資本』は理論と同時に資産課税を前提とした税の累進化の必要性を主張するものだった。しかしジョニーやリーが直面した感情をめぐる問題、つまり現代の労働者たちのアイデンティティの問題を考える上で注目したいのは、『21世紀の資本』から同書の内容をより政策提言に重心を移して二〇一九年に出版された『資本とイデオロギー』【註9】で試みられている「栄光の三十年」についての検証だ。なぜならば、この「栄光の三十年」こそが、ジョニーやリーの懐かしむ「あの頃」に他ならないからだ。
 ピケティの「栄光の三十年」についての検証は、彼がかねてより主張する(ローカルな国民国家内の)累進課税の強化や、それを有効に機能させるための(グローバルな市場全体を巻き込む)デジタルミニマム課税などの国際間の取り組みに対する論拠として提示されるものだ。しかしピケティの一連の議論をある視点から読み替えると、そこには「栄光の三十年」に発生した、労働者のアイデンティティをめぐる不幸な構造が浮上するのだ。
 もともと「栄光の三十年」とは同じフランスの経済学者ジャン・フラスティエの造語で、第二次世界大戦が終結した一九四五年から一九七五年までの三十年間を指している。【注10】
 フラスティエは、戦後の西側諸国のリーダーとなったアメリカとそのアメリカの展開したマーシャル・プラン(に代表される復興支援戦略)の対象となった西ヨーロッパと日本などの国々が、この三十年間に高い経済成長を見せ、特に労働者階級の生活水準が向上したことに注目する。そしてその背景に技術進歩と生産性の向上とそれを背景にした第三次産業の発展があることを、フラスティエは強く主張した。
 対してピケティはフラスティエとは異なり、この「栄光の三十年」の格差の縮小に注目する。ピケティは『資本とイデオロギー』ではとくに一九五〇年から一九八〇年のフランスなどの西ヨーロッパ諸国に見られた、再分配による格差の相対的な解消、つまり俗に「戦後中流」と呼ばれる分厚い中間層の形成が見られたことが、フラスティエがもともと指摘していた高い経済成長と並走していたことを強調するのだ。
 歴史を富を巡る政治闘争の観点から記述することの重要性を訴えるピケティにとって、この「栄光の三十年」に、経済成長と再分配が高いレベルで両立していたことは非常に大きな意味を持つ。
 広く知られるようにピケティの批判対象は一九八〇年代のレーガン(アメリカ)、サッチャー(イギリス)にはじまる「小さな政府」であり、その対案は資産課税を中心とした社会民主主義のアップデートによる復権にある。そのための有力な論拠として、この「栄光の三十年」の再分配の進行と高い経済成長率の両立は重要なのだ。
『資本とイデオロギー』でピケティは指摘する。「栄光の三十年」の再分配を支えた要素は大別して二つあると。
 一つは第二次世界大戦時に行われた、国家による個人資産の接収だ。このとき接収された資産の多くは多くのケースで、国家を問わず(西側諸国においても)返還されず、結果的に戦後の再分配の原資のひとつとなった(日本の場合はGHQによる農地改革なども、有効に作用した可能性が高い)。
 もう一つはこの時期の西側諸国の累進性の極めて高い税制だ。たとえばアメリカではアイゼンハワー政権下(一九五三〜一九六一年)には、連邦所得税の最高税率が実に九一%に達していた。
 これは総力戦体制下の高い税率が維持された結果と考えることができるが、ピケティはこの「栄光の三十年」こそが、前述した「r>g」という不等式――資本収益率(r)が経済成長率(g)を上回ること、つまり主に資本家の所有する資産の運用が、賃労働者の給与所得の上昇よりも高くなること、全体としては持てる者と持たざる者の格差が拡大すること――が崩れ、両者が接近した、または一時逆転した時代だと強く主張するのだ。
 だが、現在は異なる。「栄光の三十年」は遠い過去のものとなり、再び「r>g」という不等式は強力に作用しているのだ。ピケティは一九八〇年代以降、アメリカをはじめとする先進諸国で格差が再び急速に拡大したと指摘する。その背景にはアメリカのロナルド・レーガン政権やイギリスのマーガレット・サッチャー政権以降に進行した西側諸国の「小さな政府」への転換と、それに累進課税や資産課税の弱体化がある。
 たとえばアメリカでは、一九八〇年以降の四〇年間で、上位一%が占める国民所得の比率は約一〇%から二〇%超へと倍増し、逆に下位五〇%の取り分は二〇%から一二%以下に減少した。さらに上位〇・一%に限れば、一九八〇年時点で国民所得の約二・五%を占めていたが、現在ではその比率は一〇%を超えている。つまり、〇・一%の超富裕層が、数千万人分の国民と同等の所得を得ていることになる。【注11】
 ヨーロッパ諸国でも、アメリカほど極端ではないにせよ、同様の傾向が観察されている。今日においてフランスでは上位一〇%が保有する国民資産の比率は六〇%を超える。ドイツでも上位一%が全資産の約三五%を保有しており、格差は固定化されつつある。
 日本では「失われた三十年」を経て年収一〇〇〇万円以上の給与所得者の割合は着実に増えている一方で、年収二〇〇万円以下の労働者は全体の約二〇%を占め続けており、非正規雇用の拡大と合わせて「ワーキングプア」が構造的に固定化されている。二〇一九年の時点では金融資産を全く保有しない世帯が全体の約三〇%に達し、実質的な階級の再生産が懸念されている。
 かつて「栄光の三十年」で実現された、再分配による社会の安定と中間層の厚みは、もはや完全に崩壊し、所得と資産の集中がかつてない速度と規模で進んでいる。ジョエル・コトキンが「新しい封建制」とすら呼ぶ【註12】この状況をピケティは強く批判し、中間層の復活とそのための強力な再分配を主張する彼の一貫した姿勢は前述したとおりだ。
 ピケティはそのために戦時下の資産課税と戦後も維持された累進性の高い税制を再導入することに留まらず、さらにタックスヘイブンの撤廃やデジタルミニマム課税といった国際的な取り組みについても、その具体的なロードマップの提案を含めて強く主張する。
 しかし、ここで注目したいのはそのピケティが、決してこの「栄光の三十年」を理想化し、「あの頃」への回帰を訴えて「いない」こと、むしろ「栄光の三十年」があるタイプの人々にとっては「栄光の」時代だったその一方で、「そうではない」人々にとっては極めて不自由で屈辱的な三十年であった事実を指摘していることなのだ。

5 再分配の対象者

 そもそもの前提として確認しなければならないのは、この「栄光の三十年」の安定を可能にしていた外部的な条件だ。
「栄光の三十年」において再分配が強力に進行したことは既に述べたが、では、その分配すべき富の原資はどこから生まれたのだろうか? ここまで読み進めて、それは「持てる者」たちへの資産課税と累進課税であると単純に考える人も多いかもしれない。しかし少し考えれば分かることだが、そうはならない。格差の縮小と経済成長が両立するとは、後者で生まれた富が集中せずに、社会全体で分配されることを意味する。では、当時(二〇世紀後半)の西側諸国(アメリカ、西ヨーロッパ、日本)の分配されるべき富は、そもそもどこから生まれていたのか?
 答えは主に製造業における加工貿易だ。発展途上国から安く買い付けた原料を、先進国の高い技術で製品に加工し、そして途上国に輸出することで利益を上げる――この加工貿易が、第二次世界大戦後も(政治的には「独立」を認めながらも)経済的には従属関係が維持された、旧植民地に対する先進国の搾取であることは、二一世紀の現在においては――フェアトレードという言葉が広く普及した今日においては――もはや自明だ。
 この二〇世紀後半的な加工貿易モデルを正当化することは、今日において倫理的に難しいだけでなく、おそらく構造的にも難しくなりはじめている。この加工貿易はその名の通り製造業のモデルだが、情報産業にその構造は踏襲されにくい。前述したように、今日の市場は既にグローバルであり、特に情報産業においてはその傾向が顕著だ。
 誤解しないで欲しい。こうしている今も、私たちはシリコンバレーのグローバルな情報産業のプレイヤーたち――GoogleやAppleやFacebookやAmazon――にまるで「小作人」のように富を吸い取られている。あなたが今、魅力的なゲームアプリケーションを開発し、それをAndroid携帯電話やiPhone向けに販売した場合、販売金額の三割以上を無条件に徴収される。しかし、この搾取はこれまでの搾取とは、構造が違うのだ。
 たしかにそれらの企業はシリコンバレーを本拠地にしているかもしれない。しかし、私たちが想像しているよりもずっと、これらの企業はその土地にも、その土地を所有する国家にも結びついていない。そもそも市場はグローバルであり、彼らがその利益から納めるべき税は、必ずしもアメリカ合衆国やカリフォルニア州だけに流れているわけではない。これらのグローバルな企業においては、アイルランドやケイマン諸島などのタックスヘイブンを経由した法人設立と利益移転スキーム、つまり租税回避が常態化しており、アメリカはもちろん、国家への納税そのものがかなりの割合で回避されてきた。実質的な納税責任の所在が国家単位では把握できなくなりはじめているのだ。
 当然それは問題視されて久しく、近年は国際的な規制強化(OECDのBEPSプロジェクトや最低法人税率の導入)により、完全な租税回避は難しい。そのため、一定の税をアメリカだけでなく、現地政府に支払ってはいる。現地法人も、納税しているのは間違いない。しかし、市場そのものがグローバルであるために、ローカルな国民国家による税の徴収には限界がある。少なくとも経済の領域においては、徐々に「国(という単位)が富む」という発想が、間違いになりはじめている。より正確には、従来の国民国家単位の富の定義や課税主権が、現代の経済の実態に対して機能不全を起こしつつあるのだ。
 二〇一〇年代以降のアメリカの分断とは、比喩的に述べればアメリカとベトナムやルワンダの国民の平均的な生活水準の格差は縮小したと言われる一方で、シリコンバレーの起業家とラストベルトの労働者の格差が拡大することによって生じた分断なのだ。
 かつてのような加工貿易による国際間搾取で得た富を、先進国内で再分配し「分厚い中間層」を形成するという「栄光の三十年」のモデルは、二一世紀の今日においては倫理的にもその正当化は難しく、そして経済構造の変化はそのそもそもの成立を難しくしているのだ。これが、ピケティが「栄光の三十年」への回帰を主張「しない」第一の理由だ。

 続いてピケティが指摘するのは、その再分配の対象の問題だ。『資本とイデオロギー』において、ピケティは「栄光の三十年」の間に実現された再分配の実態が、ほぼ賃労働者が住宅ローンを組み「持ち家」という資産を取得することにあったことを、統計的に示している。「栄光の三十年」を謳歌した西側の旧先進国においてはこの時期、労働者の住宅取得が国策として重視された。金利補助、税控除、建設支援などの制度が整備され、実質的な再分配としての「持ち家」取得が推進されたのだ。
 そして、重要なのはこの「持ち家」の取得が象徴する再分配の対象となった賃労働者とは、ほぼ「男性の正規労働者」のことであったという点だ。
 そう、「栄光の三十年」の再分配の対象は前提として「男性」だったのだ。
 ピケティはこの「栄光の三十年」のジェンダーについての状況を以下のように総括する。
 まず、この時期に西側諸国において、参政権が大きく拡大し政治的なジェンダーギャップは表面的には解消されたとされる。「表面的には」という留保がつくのは、代議士や官僚、経営者などの女性比率は非常に低く、政治の世界のみならず社会全体において女性の社会進出が実現されたとは考えられないからだ。
 そしてここが重要なのだが、むしろこの時期は男性賃労働者に対する諸制度(年金、健康保険、家族手当など)による保護の強化に伴い、女性の専業主婦化が進行した。つまり、このときに拡大した男性の安定した正規雇用は、女性を家事と育児を一手に引き受ける専業主婦に誘導することになった。この女性の専業主婦化は、農業や都市の自営業への従事に比べて、相対的にはむしろ女性の社会的、経済的地位を低下させた側面が強い。
 この「栄光の三十年」で男性賃労働者が住宅ローンを組み取得した「持ち家」の多くが、都市郊外の住宅地に建てられたものだったが、これらの「持ち家」から男性賃労働者が遠く離れたオフィスや工場に通うことができたのは、専業主婦を「持ち家」に監禁し、経済的に、社会的に「従属」させていたためだ。「栄光の三十年」とは、女性参政権が拡大するその一方で、社会的、経済的には家父長制が温存、または再強化された時代でもあったのだ。少なくともその分厚い中間層を形成した資産=持ち家の所有者は彼女たちではなく、そのことが彼女たちを決定的に不自由にしていたことは疑いようがないだろう。

 そしてピケティの指摘する「栄光の三十年」の三つ目の問題はフルタイムの男性正規雇用者に「なれなかった」人々は、象徴的に述べれば「住宅ローンの組めなかった人々」はこの再分配の対象「外」に置かれたことだ。
 たとえば戦後の西側諸国がこの時期に採用していた福祉国家制度は、多くの国で「国籍」または「長期定住権」を持つ者を対象としたため、移民(特に一世)は年金、医療、住宅支援などの制度から排除される傾向があった。これは移民政策の問題であると同時に、そもそも福祉国家の再分配の対象が、この時代の社会のマジョリティであったタイプのコースを歩む人々に限定されていたことだ。男性で、フルタイムの賃労働者で、異性愛者で、家父長制を内面化し、結婚し子供を持つことを「当たり前」の選択とし、住宅の取得を人生の目標とする「普通」の人々「のみ」が再分配の対象者だったのだ。その結果として、この「栄光の三十年」は戦後中流(男性)のモデルコースに乗れなかった人々を、再分配の対象から排除し、実質的に「遺棄」していたのだ。
 以上がピケティが、今世紀に拡大する「21世紀の資本」の格差の是正を、国際的な再分配システムの構築という途方もない目標を掲げて強く主張するにもかかわらず、決して「栄光の三十年」への回帰を主張「しない」理由である。
 ピケティは所得だけではなく、資産に及ぶ再分配と、高い経済成長率が両立したケースとして「栄光の三十年」を評価する。しかし同時にそれは第二次世界大戦後に温存された、植民地主義的な経済構造が西側先進国にもたらした富を、当時支配的だったあるタイプの男性労働者のみに再分配することで得られた不正義の繁栄に過ぎないことを明確に指摘するのだ。

6 マーシャル・プランの子供たち

 ピケティによる諸国民の富についての二百年あまりの統計の検討は、二一世紀の今日における再分配の再強化の必要性を訴えるために行われたものだ。しかし一連の検討はその過程で結果的に、こうしている今も特に「栄光の三十年」に少年期を過ごした旧西側先進国に暮らす男性たちの多くが生きる理由として強く信じているものがごく短期間に、それも「政治的に」形成されたものに過ぎないことを、そしてその「栄光」と「平等」を維持するために長期にわたって犠牲となった人々がいたことを証明してしまっている。
 この視点から戦後史を、「栄光の三十年」を振り返ったときに見えてくるのは、この時期に実現した「再分配」が、具体的に冷戦下のアメリカの対外戦略に基づいた復興支援政策の産物として浸透していった歴史だ。

 一九二〇〜三〇年代のアメリカは、人類史上初の消費社会――労働者階級が生活必需品以外のものを日常的に購入することが可能な経済力を持ち、その市場が常態化した社会――に突入した。この消費社会を可能にしたのがフォーディズム的な労働環境と、家族賃金モデルだった。
 家族賃金モデルとは男性賃労働者の安定した収入によって家計を維持し、その妻は家事と育児を担うモデルのことを指す。
 そしてこの家族賃金モデルは、その後の世界恐慌とその対応としてのニューディール政策を経て、経済構造的に強化される。国家が国民の幸福のモデルを積極的に提示することで、家族と労働の形式を政治的に誘導し、形成したことにこの時期の家族賃金モデルの本質があったと言える。そしてこの家族賃金モデルと、それが実現する自己実現としての家父長制が、つまりジョニーやリーの信じる価値が、第二次世界大戦後に当時の「西側」諸国に「輸出」されることになるのだ。

 第二次世界大戦後の東西冷戦下において、アメリカはマーシャル・プラン(正式名称はEuropean Recovery Program)を発動した。これは大戦で荒廃したヨーロッパ――具体的にはアメリカの勢力圏にあった西ヨーロッパの資本主義国たち――にアメリカの資金を投下することによる大規模な復興支援計画で、戦後の高い経済成長――「栄光の三十年」の成長――の基礎を形成したと言われる。そしてここで重要なのはマーシャル・プランが単なる経済的復興支援ではなく、包括的な社会モデルの「輸出」だったことだ。マーシャル・プランの中核は無償または低金利での資金援助、と物資の提供であったが、同時に「金ぴかの時代」から戦中に確立されたアメリカ型の生産様式と労働環境(フォーディズム)、そしてそれらが実現する消費社会的なライフスタイルの「輸出」でもあったことが知られている。それは冷戦下におけるアメリカの勢力圏の、復興支援を通じた経済的な確立であると同時に「東側」の共産主義陣営に対するプロパガンダとしての側面が存在したのだ。
 たとえばマーシャル・プランの実務を担ったECA(経済協力局)は、西ヨーロッパ諸国への資金援助や物資供与だけでなく、技術協力プログラムを通じてアメリカ型の工業生産技術、経営管理手法、さらには労使関係モデルの導入を組織的に推進している(なお、日本はマーシャル・プランの対象外であったが、占領期のGHQによる制度設計や経済民主化政策や講和後の二国間経済協力などを通じて、同系統のアメリカ型モデルが浸透していった)。
 この時期に西ドイツ、フランス、イタリアといったマーシャル・プランの主要な対象国において、戦後復興のなかで男性正規雇用者をターゲットにした再分配制度が急速に整備されているが、これは同時期に普及したフォーディズム的な労働環境を前提にしたものだ。そして、ピケティが「栄光の三十年」の再分配政策として挙げる福祉国家的な諸制度の整備は、持ち家と扶養家族を前提としたものになっていった。
 この過程で大きな役割を果たしたのが「住宅ローン」だ。戦後的な消費社会のライフスタイルとそれを受容する核家族のモデルは郊外の「持ち家」が象徴するイメージとして、それも「テレビ」ドラマなど新興の情報メディアを通じて西ヨーロッパと日本、つまり戦後のアメリカの勢力圏に輸出された。そしてそのイメージをそれらの国々に暮らす人々が入手するための手段として定着したのが、住宅ローンというアメリカで発明された「金融商品」だった。
「住宅ローン」という不動産担保型融資そのものは、一九世紀末からヨーロッパにすでに存在していたが、「栄光の三十年」において大きな役割を果たしたのは、そして現在においても馴染みの深い長期分割型の住宅ローンは、一九三〇年代のニューディール政策下で連邦住宅局(FHA)によって、広く普及した長期・低金利・分割返済型の大衆向けのものだ。
 FHA(Federal Housing Administration)は一九三四年に設立され、アメリカの住宅所有率を一気に押し上げたことで知られている団体だ。このFHAは具体的には政府保険(保証)を提供することで、民間金融機関の長期・固定・自己居住向けなど、ローンの条件の「標準化」を行い、その労働者階級への普及を促進した。
 さらにアメリカでは第二次世界大戦後に退役軍人に対する住宅ローンの保証や援助を行う「GI法」が成立し、郊外住宅地の開発が進行した。そしてこの時期のアメリカ社会における郊外化と戦後的家父長的家族モデルが、アメリカ型の住宅ローンという金融商品とともに戦後に西ヨーロッパや日本に輸出された。こうして「住宅ローン」というアメリカ産の商品が、妻子を持ち家に囲い込み、「父」=正規労働者としての男性が一家を支えるというモデルを信用経済的に支えることになったのだ。
 この「持ち家」を可能にした「長期・固定・自己居住向けの」大衆型住宅ローンがアメリカで標準化され、マーシャル・プラン期から「栄光の三十年」にかけて西ヨーロッパや日本にもそれぞれその国情に適合するかたちで普及した事実は極めて象徴的だ。「住宅ローン」とはいわば将来の安定と承認を「前借り」することで、「父」になる夢の実現を支援するシステムだった。こうして家族賃金モデルと、それに支えられた男性賃労働者が「父」となり、妻子を所有するモデルは完成したのだ。

 この「栄光の三十年」の間に「西側」の旧先進国で支配的だったモデル――ここでの議論に重ね合わせれば、「住宅ローン」が象徴するマーシャル・プラン的なアメリカの世界戦略によって構築されたモデル――つまり「家族賃金モデル」は以下の三つの条件により実現されたと考えられている。その条件とは第一にニューディール政策的な財政出動を基本とする「大きな政府」路線(ケインズ主義)であり、第二に女性を専業主婦化し、男性優位の就労環境を維持する性差別的分業、そして第三に福祉国家的再分配だ。二一世紀の今日から振り返ると、近年この日本で台頭する右派ポピュリズム政党(参政党などが該当する)のマニフェストと見紛うばかりの条件が並ぶことになるが、ピケティによる長期統計の分析は、この「家族賃金モデル」によって成立した第二次世界大戦後の「西側」旧先進国で一時的に実現した「平等」が、政治的に構築された短期的なモデルに過ぎなかったことを証明してしまったと言えるだろう。さらにピケティの分析は「栄光の三十年」が旧「西側」先進国の男性マジョリティにとってだけを考えるのなら、ほとんど奇跡的な「平等」を実現した人類史的に考えても例外的なまさに「栄光」の名に相応しい時代であったとも示している。
 その上でピケティの分析とホックシールドのフィールドワークを接続することで見えてくるのは、この「再分配」と「承認」が不可分な関係にあることだ。「栄光の三十年」を形成した「家族賃金モデル」において、男性賃労働者は安定した正規雇用を通じた経済的自立によって「父」としての承認を得る一方、女性や移民などは安定雇用と同時にその承認の回路から構造的に排除されることになった。
 そしてリーをはじめとする「壁の向こうの住人たち」の話から見えてくるのは、そのジェンダーと結びついた承認の大きな存在感だ。彼等のノスタルジックに語る「あの頃」の「正しい」世界とは、男たちは誰もが妻子を「所有」し、守る「父」としての自己実現への可能性に開かれていた時代であり、女たちはそれを支える「母」となることが当たり前だった世界だ。「家族賃金モデル」に支えられた「栄光の三十年」とは、男性賃労働者に「所有」すべき妻子を与えることで――実質的な就労差別を是認し、女性に対する結婚への圧力を高めそれを男性にとっては等身大の、誰もが手が届く夢にすることで――承認をも再分配するモデルに他ならないのだ。そして、この時代を生きた大半の女性たちは「父」を支える「母」としての自己実現以外の選択肢を、予め剝奪されることになったのだ。
「栄光の三十年」は単なる所得や資産を移転しただけではなく、承認を――ただし、男性の正規雇用者で、性的にも人種的にも民族的にもマジョリティに属する人間に限定して――再分配していた時代でもあった。この「父」になることで得られる承認を与える「自己実現としての家父長制」は生物的に子供を儲けることとも、前近代から第二次世界大戦前まで支配的だった習俗としての、あるいは制度としての伝統的家父長制とも異なるものだ。近代人の「自己実現としての」家父長制を、アイデンティティとして「父」になるモデルを「栄光の三十年」の再分配政策が強力に下支えしたのだ。
 これまで見てきたように「栄光の三十年」に冷戦下の西側先進国において支配的なモデルとなった「家族賃金モデル」は、究極的には冷戦下の地政学的な復興支援戦略――たとえば西ヨーロッパにおけるマーシャル・プラン――の産物に他ならない。
 しかし今日において「父」になる自己実現の夢を手放せない特定世代――「栄光の三十年」に少年期を過ごし、「失われた三十年」に青年期を過ごした世代――は歴史を修正し、都合よく読み替え、伝統を捏造し、強引に解釈をすればそれを正当化してくれそうな哲学者や文学者の言葉を大いに脚色しながら引用して、「父」になるという自己実現こそ人間にとって本質的なもので、それを追求することが自然の摂理なのだと説く。そして今日の社会はその「本来の姿」を失っていると嘆く。
 しかし彼らの主張するその人間の本来の姿は、歴史的に考えると比較的短期間に政治的な要請から構築されたものだ。それは住宅ローンという金融商品によって普及した、およそ三十年間に及ぶ「流行」に過ぎない。彼らは無自覚なマーシャル・プランの子供たち、いや、住宅ローンの子供たちなのだ。
 人間は弱く、そして自然状態では人間の想像力は貧困だ。自己の少年期や青年期にそのスタイルが支配的であった場合は、それが「当たり前」のことで、自然と手に入るべきもので、それを変えることは「悪」であり、それが失われることは「喪失」と受け取られてしまう。
 ジョニー・ロレンスやリー・シャーマンが抱える「喪失」の本質はここにある。彼らはそれがたった三十年の「流行」にすぎないことに、それも冷戦下の統治戦略として、労働者たちに与えられた搾取する側、差別する側、所有する側としての特権でしかなかったことに気づいていない――いや、二一世紀に入りようやく気づき始めているからこそ、強く傷ついている。これがマーシャル・プランの、住宅ローンの子供たちである「彼ら」の傷つけられた「感情」の正体なのだ。

7 アイデンティティについての小さな歴史

「平等」についての小さな歴史を提示するピケティの分析を、ホックシールドやサンデルの視点を交えて読み直すこと――それは同時に、アイデンティティをめぐる小さな歴史を私たちに想起させる。その交点には、戦後史の平等をめぐる歴史と並走する感情の、アイデンティティの歴史ともいうべきものが浮上してくる。
 ホックシールドのフィールドワークが示すのは、ブレグジットを、そしてトランプを生み出しているのは「栄光の三十年」に形成された労働者の経済的な没落である以上に、この時代に形成されたアイデンティティの崩壊の結果に他ならないということだ。そしてピケティの分析が明らかにしたのは、「栄光の三十年」が実現した再分配の「様式」こそが、彼らの尊厳の獲得とアイデンティティの安定を支えていたことだ。
 問題は平等についての問題である以上に、アイデンティティについての問題なのだ。

 この視点から私たちは、ピケティの描いた近代国家の富の分布についての歴史を、労働者たちのアイデンティティの歴史に読み替えることができるだろう。
 ここで参照したいのが、カール・マルクスが一九世紀半ばに提示した「疎外」という概念だ。ピケティの描いた「平等についての小さな歴史」にマルクスの「疎外」についての議論を――正確には柄谷行人の整理を経由したマルクスの議論を――接続することで、近代社会における人間の、アイデンティティについての小さな歴史を描き直すことが可能ではないかというのがここでの仮説だ。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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