景色のない日に、山へ行った|ガスの中で、思考が整った日と息子の一言
ガスの日の登山って、正直ハズレだと思っていました。
「景色見えないし、楽しくないでしょ」
たぶん、多くの人がそう思うと思います。
実際、私もそうでした。
登山はやっぱり晴れの日。
眺望があってこそ価値がある。
だからガスの日にわざわざ山へ行くなんて、
正直「もったいない」と思っていました。
——でも、ちょっと待ってください。
もし今、考えすぎて少し疲れているなら、
この話はあなたのためかもしれません。
ガスの日に登る“条件”
結論から言うと、
ガスの日がハマるのはこんな時です。
何度も登っている山。
初めての山でガスはおすすめしません。
景色もルートもわからない中で歩くのは、やっぱりもったいない。
でも、何度も歩いている山なら話は別です。
自分はトレーニングで登る山がいくつかありますが、
「遠くに行きにくい日」や「天気が微妙な日」によく歩きます。
そんな中で、ふと気づいたんです。
「あれ、ガスの中、いいな」って。
ガスの中で歩くという体験
まず、森がまったく別の表情になります。
しっとりとして、静かで、
音が吸い込まれるような空気。
視界が閉ざされることで、
世界がぐっと“自分の周りだけ”に絞られる感覚。

そして何より——
思考がよく回る。
一人で歩いていると、なおさらそれを感じます。
会話も景色もない中で、思考だけが静かに浮かんでは消えていく。
人の脳には、ぼーっとしているときや単純な動作をしているときに働く
「デフォルトモードネットワーク(DMN)」という仕組みがあるらしい。
それは、記憶の整理や内省が起こりやすい状態。
ガスの中を歩く時間は、まさにその状態でした。
森とガスがつくる“整う環境”
さらに、環境としてもかなり優秀です。
いわゆる 森林浴 の効果で、
・ストレスの低下
・リラックス状態(副交感神経優位)
・気分の安定
などが起きやすくなります。
ガスの日は特に、
・湿度が高い
・空気がやわらかい
・音や光が穏やかになる
こういった条件が揃うので、
より“内側に入りやすい環境”になります。
ガスの中を歩いた日は、
不思議と満足感が大きいです。
適度な疲労感に加えて、
思考が整理されているから。
ただ運動しただけじゃない、
「内側も整った感覚」があります。

実際にやってみた日|身延山の話
例えば、身延山を歩いた日。
この日は低層・中層・高層すべてが雲に覆われる予報。
あえて“ガスを期待して”登りました。
想定通り、終始ガスの中。
静かな森の中で、
頭の中だけが静かに動いていた。
ガスの中を歩いていると、
ふとこんな言葉が浮かびました。
マザーテレサの言葉として広く知られているものですが、
出典には諸説あるそうです。
思考に気をつけなさい
それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい
それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい
それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい
それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい
それはいつか運命になるから
子供のころは、何も感じなかった言葉。
でも今は、刺さりすぎるくらい刺さる。
たぶん、
情報を受け取るための了見というものがある。
経験も傷も足りていなかった当時の自分には、
この言葉が入ってくる隙間がなかったんだと思う。
自分はたくさんの人を傷つけてきたし、
迷惑もかけてきた。
そういう経験を重ねる中で、
ようやく今の自分に落ち着いてきた気がします。
だから子供にもこの言葉を伝えたい。
でも、きっと同じように素通りするだろう。
けれど、いつか彼らが壁にぶつかったとき、
ふと思い出してくれればいい。
そう願って、
私は少しの気恥ずかしさを抱えながら、
トイレの壁にその言葉を貼ってみたのだ。
すぐに次男から反応がありました。
貼るようじゃ2流だね。
1流は頭の中に入ってるよ。
……敵にしたくないヤツだ(笑)
「だよね、流石だね」
と返したけれど、今はそれで十分だと思っています。
ガスの中を歩きながら、そんなことを考えていた。
そして山頂では——
まさかの雲の上へ。

一瞬だけ開けた景色が、
いつも以上に特別に感じられました。
下りは再びガスの中。
でも、登りとは違って、どこかスッキリした気分で歩いていました。
ガスの日はハズレじゃない
晴れの日とガスの日。
どちらが良い悪いではなく、
ただ、体験の方向が違う。
晴れの日は外の世界を全身で感じる登山。
ガスの日は内側に潜っていくような登山。
景色を取りに行くか、
自分を整えに行くか。
そんな違いなのかもしれません。
ガスの日は、
たしかに“絶景登山”ではありません。
でも、
思考を整えるためなら、
これ以上ない条件だと思っています。
晴れの日と同じ価値ではないけれど、
まったく別の価値がある。
まとめ
ガスの中で歩く時間は、
景色の代わりに、自分と向き合う時間でした。
山を降りてからも、
あの日の静けさは少しだけ残っていた。
いつもと同じ日常のはずなのに、
頭の中だけが、少しだけ静かだった。
景色がない日ほど、
自分のことはよく見えるのかもしれない。
山へ行く理由は、山頂や絶景だけではありません。
ふとした出会いだったり、
誰かの言葉だったり、
あとになって思い出すのは、そんな小さな出来事だったりします。
この出来事もまた、私の中に残った「山で出会った記憶」のひとつです。
▶ マガジン「山で出会った記憶|登山エッセイと余白」
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山で出会った出来事や心に残った時間を綴っています。
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