稜線のあとで|歩いた線に意味はあるのか
最近、地図を眺めている時間が増えました。
「あの尾根を歩けば、この山とつながる。」
「ここまで行けば、一つの線になる。」
そんなことを考えている時間が好きです。
歩いたことのない尾根をつないだり、過去に登った山と山を結んだり。
軌跡が少しずつ広がっていく様子を眺めていると、次はどこへ行こうかと自然に想像が膨らみます。
でも、ときどき我に返ることがあります。
これ、
"怠惰な多忙"
ではないのだろうか、と。
以前、こんな言葉を耳にしました。
「今やっていることは、未来の自分にとって成長の糧になるか考えて行動するといい」
その言葉を聞いたとき、
「それは本当に意味のある時間なのか?」
と問いかけられた気がしました。
"怠惰な多忙"という言葉から思い浮かぶのは、ハイデガーやサルトル、そしてセネカです。
ハイデガーやサルトルは現実逃避として語り、セネカは時間の浪費として語りました。
私の場合は、どちらかと言えばセネカの考え方に近い気がします。
もし軌跡を集めること自体が目的になっていたら。
スタンプラリーのように、地図を埋めることだけに夢中になっていたら。
きっとセネカは笑いながら言うのでしょう。
「そんなものは捨ててしまえ」と。
では、何が大切なのでしょうか。
セネカは、
「振り返るに値する過去を持つこと」
を大切にしていました。
そう考えると、大事なのは軌跡そのものではありません。
その一本の線の中に、何があったか。
初めて歩いた尾根。
思わず足を止めた景色。
山で出会った人との会話。
静かな稜線を歩きながら整理されていく思考。
私が残したいのは、きっと地図の線ではなく、その時間なのだと思います。
だから記事を書いているのかもしれません。
景色だけでなく、その時に感じたことまで一緒に残したい。
未来の自分が読み返したとき、
「あの山、良かったな。」
そう思えたら十分です。
もちろん、未来の自分が何を価値あるものだと思うかなんて分かりません(笑)
だから結局は、その時その時で、
「これだ」
と思える選択をするしかないのでしょう。
今日もまた地図を広げながら、
次はどこを歩こうか考えています。
これが成長なのか、
ただの遠回りなのか。
その答えは、未来の自分だけが知っています。
でも、一つだけ確かなことがあります。
「あの稜線を歩いて良かった。」
そう思える景色が一つでも増えるなら、
今日の一歩は、きっと浪費ではなかった。
そんなふうに思っています。
「人は生きる時間が短いのではない。
その多くを浪費するから短く感じるのだ。」
静かな稜線のあと、
今日もまた、地図の上に一本の線を引いています。

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静かな稜線のあと、
家ではだいたいこんな感じです(笑)
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この記事を書いたあと、一つの山行を重ねながら、もう一度書き直しました。
「歩いた線に意味はあるのか。」
その問いの答えを、一日の山歩きとして描いた完成版です。
▶ 一本の線より、忘れられない一日
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