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モーツァルト。あの時はごめん

バイオリンを再び弾き始めて4か月がたとうとしています。

時間がない、どうしても疲れている日以外は毎日弾いています。

まとまった時間が取れない日は10分でも楽器を持って右の手でも左の手でも気になっているところを動かしてみるだけで、まったく弾かないよりずっと心が落ち着いて幸せな気分になります。

まだバイオリンを弾くのが新鮮だからでしょうかね。

この4か月は、ほとんど一人で昔の楽譜や記録ノート、記憶をたどったり、YouTubeで巨匠のマスタークラス、レッスン動画を見たりして、勘を取り戻してきましたが、8月に入り、なんとなく「そろそろ先生に見てもらおうか」と思ってきました。

誰にお願いしようか。

昔の先生はもう亡くなっているし、イギリスに行くわけにもいかない。

知り合いの顔もちらつきましたが、なんだかなあ、下手なの見られたくないなあ、なんて少しだけ残ってるプライドがノンといいます。

新しい先生を探そう。

探しながら最低限恥ずかしくないように、レッスンにもっていく曲を用意しよう。

というわけで、基礎的な技術が見えやすい曲を選ぶことにしました。

そこで決めたのがこれ、

モーツァルトのバイオリン協奏曲No.5。

モーツァルトが19歳の時に書いたという曲で、若さ溢れるまっすぐな曲という印象です。

ちなみに、25年ほど前、この曲をマスタークラスで弾くためのオーディションがあったのですが、直前に当時ピアノトリオを組んでいた友人とケンカして、その勢いでプンプンと弾いたら意外にうまく弾けたなんてことがありました。

久しぶりに弾いてみて、もう一つ思い出したことがあります。

天から降ってくるイマジネーションに任せて曲をどんどん作っていったと言われる天才モーツァルトですが、当時の私(ばかもん)は、「天才のわりにつまんねえ」と思っていました。

少しでも、速く、上手く、難しい曲を気ばかり前のめりに練習していた時期だったからでしょう。

ブラームスやフランク、ラヴェル、プロコフィエフなど、次々に熱い、個性的な曲を弾いては「もっとうまく!」とフガフガと鼻息荒くしていたのです。

それももちろん無駄ではなかったけれど、目の前の華やかなところばかりに目が行って、とにかく若かったんだなと思います。

さて、今回改めてこのコンチェルトを弾いてみるとあら不思議。

なんて美しい曲なのでしょう。

シンプルなメロディーがしつこくなく軽く響く。

ちょうどいい。

そして、抽象度が高いのかなって思いました。

ロマン派の音楽が情熱をもって人間をしているとしたら、モーツァルトの曲は人間としての感情はあるけど、でもなんのかんの浄化されて上に上がっちゃってるよというような。

もちろんこれはあくまで私が個人的にこの曲に感じたことです。

音楽ってその時々に感じることが変わってくるものなんだなとしみじみしました。

ずっとバイオリンを弾き続けていてもそう感じるようになったのでしょうか。

なったのかも。

でも、弾かなくても変わるんだな。

人の内面が音楽を聴く耳をつくるんだなって、改めて感じました。

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