自然を回復する仕組みは、地域からつくれるか——NPIのフレームワークと熊本ウォーターポジティブ構想から考える(前編)
2026年熊本地震で犠牲となられた方々に哀悼の意を表するとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
熊本での「地域から自然を回復する仕組みを世界へ発信する場」に参加できたことには大きな意味があると感じています。その思いを胸に、サミットで学んだことを整理しました。
2026年7月14日〜15日に熊本で開催された「グローバル・ネイチャーポジティブ・サミット 2026」に参加してきました。
このサミットは、2030年の自然回復目標に向け、ネイチャーポジティブを理念や国際合意の段階から、科学的根拠に基づく地域・企業の実装へ進めることを目的とした場です。
最新の国際的なフレームワーク案が提示され、自然の状態をどう測り、地域の制度や事業、資金の流れにどう結び付けるかが、さまざまな分野や立場から参加したメンバーにより活発に議論されました。
この記事では、実務者である私がサミットで学んだことを、地域のネイチャーポジティブ・ガバナンスの切り口から、これから学ぶ実務者向けに整理します。
自然を回復する仕組みは、地域からつくれるのでしょうか?
Nature Positive Initiative(NPI)から提案された自然の状態を測るフレームワークと、熊本で始まった具体的な取り組みを前後編で考えます。
はじめに:自然に「良いこと」をすれば、自然は回復するのか
Nature Positive Initiative(NPI)は、これまでも自然の状態を測る指標体系の検討を進めてきました。
今回のサミットでは、その内容をアップデートしたフレームワーク(State of Nature Indicators)が紹介されました。自然の状態をどのような共通の視点で評価するかを整理したものであり、ネイチャーポジティブの国際的な議論を支える共通言語となる可能性を感じました。

フレームワークは、4つの指標から構成されます。
Ecosystem Extent(生態系の範囲):そこにどれだけの規模が残されているか
Ecosystem Condition(生態系の状態):その生態系はどれほど健全か
Species Extinction Risk(種の絶滅リスク):その地域は、種の絶滅を防ぐ意味でどれほど重要か
Species Populations(種の個体数群):その地域に生息する主要な種はどれほど健全か
また、二つの空間スケールの視点が示されています。
Site(サイト視点):自社サイトの状況はどうか?
Landscape / Seascape(広域・流域の視点):自社サイトの周りで何が起きており、それがどう影響しあっているか?
環境保全活動では、これまでは活動実績が成果として語られることが少なくありませんでした。
「緑地を増やした。」「雨庭をつくった。」「在来種を植栽した。」「湿地を再生した。」
いずれも自然を守るために必要です。しかし、それだけでは本当に自然が回復する/したと言えるのか、という疑問が残ります。
今回NPIが示したフレームワークで着目すべき点は、「何をしたか」ではなく、「自然の状態がどう変わったか」を確認する必要性を明確に示していることです。
生態系の状態や種の個体数群の「健全性」は、一度測れば分かるものではありません。継続的なモニタリングによって、その変化を追う必要があるためです。
つまり、ネイチャーポジティブを実効性のある取り組みにするには、自然の状態の変化を科学的に確認しながら進める必要がある、というメッセージがこのフレームワークには込められています。
この考え方こそが、このフレームワークの最も重要なポイントだと感じました。
「自然を守る」から「自然の状態を測る」へ
自然を守る活動では、これまで次の例のような情報が成果として示されてきました。
植樹本数
保全した面積
ビオトープの設置数
社員参加人数
投資金額
これらは重要ですが「活動量」です。
自然の回復を確認する実務では、少なくとも次の三つのレベルを区別して考える必要があるのではないかと私は考えます。
活動:何を行ったか。
機能:その活動によって、どのような物理的・生態的機能が生まれたか。(例:水の浸透・貯留、土壌形成、生息環境の創出)
自然の状態:その結果、生態系や種の状態は実際に維持・改善したか。

「自然の状態」は、どのように評価すればよいのでしょうか。
これまでにも多様な評価手法や指標が提案されてきましたが、企業や地域、制度の違いを越えて広く共有できる、実用的で整合した指標体系については、十分な合意が形成されていませんでした。
NPIの提案の意義は、新しい測定手法を一から作ることだけではありません。既存の多様な手法を、企業や地域が共有できる少数の指標領域へ整理しようとしている点にあります。
自然の状態を捉える4つの問い
専門用語を、専門家でない人でも理解しやすくするために、NPIの4つの指標(生態系の範囲、生態系の状態、種の絶滅リスク、種の個体数群)を、問いとして説明します。
1.生態系の範囲:そこにどれだけの規模が残されているか?
生態系の範囲は、森林、湿地、水辺など、生態系タイプごとの物理的な広さと、その増減や転換を捉える「量」の指標です。
このフレームワークでは、単に自社サイト内の自然環境(緑地や水辺など)の広さを把握するだけでなく、自社サイトと影響しあっている自社サイトの周りも広域・流域の視点から把握する必要があります。
2.生態系の状態:その生態系はどれほど健全か?
生態系の「質」を問う指標です。生態系の「健全さ」は必ずしも自社サイトの敷地に閉じて評価できることではありません。ここでも自社サイトの視点だけでなく、広域・流域の視点も重要となります。
また、「健全さ」は、一度測定すればよいものではなく、基準時点や参照状態と比べて、現在の状態が維持・改善しているか、あるいは悪化しているかを継続的に確認することが重要です。
3.種の絶滅リスク:その地域は、種の絶滅を防ぐ意味でどれほど重要か
生物多様性の価値は、すべての場所が同じではありません。
希少種の生息地や移動経路となっている場所では、小さな改変でも大きな影響が生じる可能性があるため、自社サイトの視点と広域・流域の視点で、周辺地域も含めた種の絶滅リスクを確認することが重要となります。
ここでいう「リスク」は、企業経営上のリスクを意味するものではありません。絶滅のおそれがある種の分布や保全状況を踏まえ、その場所が種の絶滅リスクとどの程度関わっているかを捉える視点です。
4.種の個体数群:その地域に生息する主要な種はどれほど健全か
スライドでは「種の個体数群」と訳されていましたが、ここでは、主要な種の個体数や生息量、その時間的な変化を捉える指標として説明します。
希少種の絶滅リスクだけでなく、生息する主要な生き物の動向を把握することも重要です。
このフレームワークで「生態系の状態(環境の質)」と「種の個体数群(生き物の動向)」の「健全さ」を分けて測定することが求められているのは、両者が「器(インフラ)」と「中身(住人)」のような関係にあり、片方だけでは適切な判定はできないからと考えられます。
「立派な家(器)があっても住人(生き物)が危機的な状況にある」、あるいは「住人(生き物)はいるが家が崩壊しかかっている」といった偏りに気づくためにも、両面からの評価が不可欠となります。
両者には重なりもありますが、環境側の状態と、そこに生息する種の動向を異なる角度から確認することで、片方だけでは見落とす変化を捉えられます。
自社サイトだけでは、自然の状態は分からない
このフレームワークでは、自社サイトの視点だけでなく、広域・流域の視点を持って自社サイトの周りで何が起きており、それがどう影響しあっているかを把握することを重視しています。
企業は自社サイトのみに目を向けがちです。しかし自然は敷地境界で区切られていません。
水は上流から下流へ流れて流域を形成する。
生き物は敷地を越えて移動する。
地下水は複数自治体をまたぐ。
周辺開発の累積が生態系へ影響する。
これは、自然資本に関する企業対応が、単独企業の環境活動だけでは完結しないことを示します。
つまり、地域のネイチャーポジティブ・ガバナンスが重要となっており、それに対して企業や自治体などが連携して取り組むことの重要性を示唆しています。
自然に良いことをすることは出発点です。しかし、活動を実施しただけで自然が回復したとは言えません。自然の状態の変化を継続的に測り、その結果を次の活動や投資へ反映する必要があります。
さらに、その評価と実装は一つの企業や敷地だけでは完結しません。国際的な指標を地域の自然条件へ翻訳し、企業、自治体、研究者、地域の担い手をつなぐ仕組みが必要です。その役割を担うのが、中間支援組織ではないかと私は考えています。
後編では、熊本ウォーターポジティブ構想を取り上げ、このような地域ガバナンスと中間支援の仕組みを、実際にどのようにつくり得るのかを考えます。
