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📖 開運小説暦探偵 円の開運事件簿  第8話「夏越の人形」

六月三十日、火曜日。
一年の折り返しの日。

全国の神社では、夏越の大祓が執り行われる。
半年の穢れを祓い、
残る半年を清らかな心で生きるための神事。

白川神社にも、
朝から多くの人が茅の輪をくぐっていた。

祭事が終わり、境内が静けさを取り戻した頃。
円は宮司・白川義則に呼ばれた。

「今年も……残っていました。」
老人が差し出したのは、一枚の白い人形だった。

奉書紙を人の形に切った、どこにでもある人形。

けれど、名前がない。年齢もない。
ただ、茅の輪の北側に、そっと置かれていた。

「三年続いています。」
宮司は静かに言った。

「毎年、大祓が終わると一枚だけ残っています。」

「誰が置いたかは?」

「わかりません。」

円は紙人形を光にかざした。

白い紙は、夏の日差しを受けて、
透けるほど薄かった。

「名前がない……。」

「人形は本来、自分の名前と年齢を書き、
 息を吹きかけ、身体を撫で、穢れを移します。
 名前がなければ、祓うことができません。」

円は小さく頷いた。

「祓えなかったのではなく……
 祓いたくなかったのでしょう。」

翌日。
円は神社の周囲を歩いた。

楠の大木の下に、
ひとりの女性が立っていた。

手には白い人形。
けれど、茅の輪を前にして、
一歩も動けない。

円は隣に立った。

「くぐられないのですか。」

女性は驚いたように振り返り、
少しだけ笑ってから首を振った。

「くぐったら……
 あの子を置いていく気がして。」

風が止まった。
楠の葉だけが、静かに揺れている。

「三年前、息子を亡くしました。」

女性は遠くを見るように言った。

「二十四歳でした。」

円は何も言わない。

ただ、聞いていた。

「大祓は穢れを祓うのでしょう。
 でも……息子を失った悲しみまで、
 流してしまう気がして。」

女性は人形を胸に抱いた。

「だから毎年、名前を書けないまま、
 ここへ置いて帰るんです。」

長い沈黙が流れた。

やがて円は、人形を見つめながら言った。

「穢れとは、『気枯れ』とも言われます。」

女性が顔を上げた。

「罪ではありません。生きる力が、
 少しずつ枯れてしまった状態です。」

境内を風が抜けた。
茅がさらさらと鳴る。

「大祓は、悲しみを消す神事ではありません。」

円は続けた。

「枯れてしまった気を、もう一度、
 あなたの中へ戻す神事なのだと、私は思っています。」

女性の目に、涙が浮かんだ。

「息子の名前は……書かなくていいのでしょうか。」

円は優しく微笑んだ。

「祓うのは、息子さんではありません。」

少し間を置き、静かに言った。

「三年間、気が枯れたまま、
 今日まで生きてこられた、あなた自身です。」

女性は震える手で、筆を取り出した。

白い人形に、一文字ずつ、自分の名前を書く。
息子ではない。自分の名前。

茅の輪を、左。右。左。三度くぐる。

輪の向こうから差し込む夏の光が、
涙をやさしく照らしていた。

円は空を見上げた。
夏至を越え、一年は折り返す。

誰もが何かを抱えながら、半年を生きてきた。

大祓とは、悲しみを忘れる日ではない。
悲しみを抱えたままでも、
もう一度、生きていいと自分を許す日なのだ。

円は社務所へ戻ると、
机の上の人形を一枚手に取った。

自分の名前を書く。
そっと息を吹きかける。

六月最後の風が、茅の輪を揺らした。

「暦は、人が太陽から教わった言葉。」

静かに目を閉じる。

「祓いとは、その言葉で綴られた、
 赦しの祈りなのでしょう。」

楠の葉が風に鳴った。
まるで、「もう大丈夫」
そう囁くように。


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