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PTL File.1 ジュネ『花のノートルダム』(1944)その一

 今では忘れられがちだが、プルーストがジッドに語ったとされる名高い言葉を引くまでもなく、ジャン・ジュネ以前には同性愛者が一人称で語ること、それもテクスト中の「私」と作者の同一性が容易に想定されるような語りを採用することはほとんど考えられなかった。

鵜飼哲「解説」『ジュネ伝 下』
(エドマンド・ホワイト、河出書房新社)

 ゲイ文学を語る上で、ジュネ以前ジュネ以後という線引きをするのには、このような理由がある。詳しくは「ジュネ先史」に書いておいた。
 ジュネが画期的なゲイ小説家と見做されるのは、ゲイの世界を彷徨する、作者と同一視される「私」を描いた点にある。
 ただしその「私」は、幾重もの韜晦によって修飾された、かなり信憑性の疑わしいものではある。没後に刊行された評伝で、ジュネの嘘はかなりの部分、明らかになったと思う。
 浩瀚なジュネの伝記は日本では、後述の演劇学者ジャン=ベルナール・モラリーの『ジャン・ジュネ伝』(1988)と、アメリカのゲイ小説家エドマンド・ホワイトの『ジュネ伝』(1993)が紹介されている。

 ジュネは孤児という生い立ち故か、なかなか他人に胸襟を開くことを許さない。知的で繊細な魂を他人に知られるのが怖いのだ。だから、ならず者の仮面を被って武勇伝を語る。
 これは、ある意味、同性愛者が世間に対して身構えるのと同じ反応である。クローゼットの中にいる「ほんとうの自分」は隠しておいて、ノンケのように振る舞う。それが、本能的に身に付けたアティテュードという訳だ。
 ジュネは何より、ならず者でも田舎者でも孤児でもなく、ひとりの同性愛者だった。彼は何を望んで文芸に手を染めたのか。詩や小説や戯曲を書いて、何を得ようとしたのか。

 第一長編である『花のノートルダム』は、ジュネのそんな犯罪者伝説を世に広めるために書かれた。
 そこでジュネは監獄の日常を甘美に語るが、囚人の回想は少年期から文学に傾倒してきた自我を隠すための隠れ蓑だった。そしてその嘘をまるっと信じ込んで、ならず者伝説を固めることに加担してしまったのが、他ならぬサルトルだった。
 モラリーの『ジャン・ジュネ伝』は、おそらくジュネ没後最初の評伝だが、そこで明らかになるのは、作家として認識される前後のジュネは、少なくともギャングの一員などではなく、古本河岸で古本屋を営み知的な仲間を持った人物だったということである。
 彼が罪に問われることになった窃盗罪は、古本屋の在庫確保のためのヴェルレーヌの豪華本の万引きであったとか。まあ、行為自体は褒められたことではないのだが、伝説と伝記的事実のギャップが笑える。
 獄内で「死刑囚」という詩篇を執筆し、『花のノートルダム』となる小説原稿を書き進めていた時期もある。監獄の中の方が執筆が捗るなどと嘯くこともあった。

 ただ、小説に顔を出す「私」がジュネを彷彿とさせるが故に、ジュネは長く収監されていて独房の壁に死刑囚たちのブロマイドを貼って拝跪していたと考えるのは、『花のノートルダム』以降の「私」を作者と結び付けた早計なのだ。
 プルーストがさんざんゲイ・ピープルを作品に登場させておきながら、語り手の「私」を自分とは思われたくはない、と叫んだのと真逆、ジュネは「監獄にいる『私』」を、まんまと読者に信じ込ませることに成功している。
 つまり、『花のノートルダム』は、囚人である語り手のレイヤーと、ヒロインであるおかまのディヴィーヌたちの物語のレイヤー、二重にフィクション化された小説である。現代文学に頻繁に登場する「信用出来ない語り手の『私』」がここにいる。
 晩年のジュネと知己だったモロッコの作家タハール・ベン・ジェルーンがいみじくも、『嘘つきジュネ』(2010)なる回想録を出している。
 ジュネはなぜこうも韜晦を重ねて、嘘の人生を飾ったのか。

 ジャン・ジュネは1910年、パリに娼婦の私生児として生まれ、母に捨てられ地方の農家に預けられて育つが、そこから「非行を繰り返して感化院送りになり、軍隊入隊、諸国放浪、監獄収監を重ねた」という本人申し立ての前半生から、教養のないチンピラだと思われていた。
 生きているうちは余り本音を語らず、自前の伝説の向こう側に逃げ込んでいたジュネだが、嘘を真に受け過ぎたサルトルの『聖ジュネ』(1952)には、さすがに辟易したのではなかろうか。
 シャバに出て以降、ジュネはサルトルやそのパートナーのボーヴォワールと親しくしていた時期があり、おそらくは下流の武勇伝を上流知識人のカップルにたっぷりと吹き込んだのだろう。そういう意味では、詐欺師の腕前もなかなかのものなのかもしれない。

 だが、嘘の代償は高くつき、ジュネが世間に認められるガリマール社版の全集(1952〜58)出版時になって、その第一巻としてサルトルの膨大な勘違いの書『聖ジュネ 殉教と反抗』が刊行され(全集の最初の巻が他人の書いた作家論だなんて、面喰らうわなあ。普通、補巻とかでやるもんやろ)、ジュネは衝撃を受ける。そして、小説を書かなくなってしまう。
 全集に収録された最新の長編『泥棒日記』(1949)の最後で、「この『日記』の第二巻をわたしは、『風俗の問題』と題するだろう」と続編の執筆を予告しているのに、続編はついに書かれることがなかった。

 なんだか、『花のノートルダム』の内容に立ち入る前にお腹いっぱいになるような事実ばかりだが、すべてはジュネ自身が撒いた種。
 そもそもジュネの小説は、第四作までは秘密出版の形で世に出ている。フランス文学には「暗黒文学」なる伝統があり、古くはマルキ・ド・サドから『O嬢の物語』に至るまで、ポルノグラフィともアンチヒューマニズムの文学ともどちらとも言える作品が連綿と出版されて来た。禁断のエロスを通じて人間の隠された本質へと肉薄するそれらの作品は多くの場合、匿名で或いは大手出版社ではない秘密の版元から上梓されて来た。
 ジュネも見事にその轍を踏み、『花のノートルダム』、『薔薇の奇跡』(1946)、『ブレストの乱暴者』(1947)、『葬儀』(1948)を正体の分からない版元から作品を出している。出版には、コクトーの秘書であったポール・モリィヤンが関わっているとされている。

 さて、最初に呈示したジュネの創作の動機をまだ探っていなかった。伝説に誇示される輝かしい汚辱とは裏腹の、本来はインテリジェンスな小悪党、けちな万引き犯でパスポート偽造犯(モラリーによる)という小物が、なにゆえに小説の道へ?
 独房の中という比較的無風の場所で、どうやらジュネはプルーストを再読・精読する機会を得たようだ。そして、忽然と自分の天稟を知る。

 これらの夢幻的物語の中心で、プルーストとジュネは、彼ら自身の人称を、もちろん完全には彼ら自身ではないある「私」を用いている。プルーストはあの語り手ではない。ジュネはあの囚人ではない。これら偽の「私」とは、人形遣いなのだ。その語り手と囚人は、小説と同時に、小説の小説、文章表現エクリチュールの叙事詩を書く。『失われた時』は、あらゆる人間的活動のむなしさを示している。恋、社交界、友情、これらの煙のように空しいもの。書くという行為、ただ隠喩だけが、現実界を超越する。ところで、プルーストについで、『ノートルダム』の語り手が歌うのも、書くという行為なのだ。ジュネの監獄は隠喩的である。それは、私たち皆が投げこまれている監獄なのだ。万人が「死刑を宣告され」ており、万人が孤独で自らの独房の囚人であって、もはや私たちに残されているのは、これらの花々を創り出すこた、想像し、ものを書くことにすぎず、空しいが魔術的な自慰行為だけなのである。誰のために? 誰に向けて? だが、ラ・サンテ、リッツといった、これらの監獄、この世から出獄するために残されているのは、ただそれ、夢幻劇だけなのである。

ジャン=ベルナール・モラリー『ジャン・ジュネ伝』
(平井啓之監修・柴田芳幸訳、リブロポート)

 オナニズム的小説家ジュネの誕生の経緯を、伝記作者はこう推察する。プルーストに導かれた虚構の「私」を呼び込み、更に深化させて、伝説を築く。創作に手を染めた経緯はこんなものだろう。
 他にも、外国放浪中や収監中に、ジッドの新刊を読みたいと、ジッド本人に手紙を出してねだったことも伝記には記されている。その本が手に入ったかどうかはわからないが、ジュネはジッドの読者でもあったようだ。先史と近史はこうやって繋がる。
 ジュネはある意味、プルーストやジッドを「盗んだ」。そして、そこにアクティブな同性愛者としての体験談と犯罪妄想を盛り込んだ。
 そして、創作された創造物の顛末は?

 コクトーは、ジュネの創作へのモチベーションについて、次のような考察を記している。

 ジュネがまず最初に取った行動。「人に姿を見られたくない。」第二の行動。「何人かの仲間には姿を見せたい。」第三の行動。「ポルノ作家として世に出て、金を儲けたい。あとはどうでもいい。」第四の行動。「マントに隠れて世に出たい。」第五の行動。「俺をマントに隠して世に出そうなんて、ドノエルは臆病者だ。監獄にほうりこまれるかもしれないが、この俺は監獄で生きてきて、監獄であの本を書いたのだ。」

ジャン・コクトー『占領下日記』第2巻
(秋山和夫訳、筑摩書房)

 ここで「ドノエル」とあるのは、おそらく1928年創業の出版社「ドゥノエル社」のことだ。コクトー秘書のモリィヤンを通して、ジュネの出版を請け負ったのだろう。ただし社名は伏せて。
 「第三の行動」に注視するなら、ジュネはまさしく四つの長編の秘密出版によって、お望み通りの地位に着いた訳だ。しかし「第五の行動」に至り、お金は欲しいがそれ以上に名声が欲しくなり、顔を出してもらえないことに不満を抱いたのだろう。
 なんだか、秘密出版の内実について語り過ぎているようだが、それくらい、ジュネの持ち込んだテキストは、普通に流通出来ないヤバいものだった。監獄の中の描写、犯罪礼賛、男色の世界、猥褻なディテール、良識の嘲笑。コクトーやサルトルを魅了したそれらの特徴は、そっくりそのまま社会に投げ出せない「爆弾」なのだ。

 普通に流通出来ないテキストを、一般の商業ベースに載せようとした時、不都合な部分への迫害が起きる。1952年に始まるガリマール社版のジュネ全集刊行に際し、まず会社はリスクを回避するために、サルトルの援護を要した。それが先述の『聖ジュネ』という、読むのも徒労のような書物だ。しかしサルトルの熱意は、ジュネの犯罪者伝説を読者に信じ込ませるには、うってつけだった。
 ドノンケだったサルトルには同性愛者の屈託したアティテュードはなかなか共感し得ないがために、おかしな方向へ読者を指嗾してしまったが。
 更にガリマール社は、秘密出版のテキスト群に鋏を入れるという暴挙に出る。ジュネ自身がテキストの編集に関わったと言われているが、それは怪しい。とにかく、危険な箇所をぶつぶつぶった斬って、毒抜きを図った。ジュネはそうやって、「第五の行動」を叶えて"œuvres complètes"を持つことで、一流の作家の仲間入りを果たした。

 だが、削除された描写に価値はなかったのだろうか? ポルノグラフィとして書かれたものだから、不適切なのか? ジュネ自身はその問いかけを棚上げしたまま後半生を過ごした。
 驚いたことに、秘密出版された元のテキストは、『花のノートルダム』の最新訳の訳者・中条省平によると、フランス国内では現代でも流通しているらしい。さすが暗黒文学のお国柄、と言うか。
 却って、我が国では複数の翻訳者がぼやいているように、秘密出版のテキストを翻訳することはままならないようだ。ジュネは没年が直近の1987年なので、著作権がまだバリバリに生きているせいもあるが、外国で翻訳出版する場合はガリマール社の全集版を翻訳せねばならないルールがあるらしい。コクトーやサルトルが魅了された初版の魅力を当邦に伝えることが出来ていない。
 だが、例外もある。第四作『葬儀』には2種類の訳があるが、完全版を謳った現行・河出文庫版の生田耕作訳は、初版を忠実に訳したものである。全作品のうちウル・テクストを訳し得たのは後にも先にもこの時だけだ。

 生田は生前、プライベート・プレスの奢㶚都館を持ち、そこで数々の暗黒文学の翻訳を初版本から手掛けている。生田は最初、翻訳を打診された時(1967)はガリマール版に忠実に訳した。しかし、のちに改版の機会が与えられた時(1980)、本国の意向に従わず、初版をそのままに訳出した。出版された別訳の平井啓之版(新潮社ジュネ全集所収、1967)と読み比べれば、どこが削除されたのか一目瞭然である。

 『花のノートルダム』においても、光文社古典新訳文庫版(2010)で、訳者の中条は削除された文章を部分的に訳し、訳者解説に掲載している。どんな表現が消されたのか、それは次回見てみよう。(この項続く)

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