見出し画像

ゲイ読み赤江瀑214 「迦陵頻伽よ」

◯ 「迦陵頻伽かりょうびんがよ」 《海燕》 1994年1月号

 福武書店の純文学誌《海燕》に掲載された。この雑誌からは、吉本ばなな、小川洋子、島田雅彦、佐伯一麦、小林恭二ら、現代の代表的な純文学作家が誕生した。
 福武書店は、以前は福武文庫というレーベルも刊行しており、ばななの『キッチン』、島田の『優しいサヨクのための嬉遊曲』、小川の『完璧な病室』と言ったデビュー単行本は、いずれも福武文庫で当初文庫化されていた。
 赤江の作品が掲載された翌年、社名をベネッセ・コーポレーションに変更、更に一年後、社の文芸部門からの撤退により、《海燕》は廃刊となった。

 赤江の作品解説に戻ると、この短編、単行本に収録されず、角川ホラー文庫から出た自選ホラー短編集『夜叉の舌』に初収録されている。つまり作者の認識は、本作はホラーだった。それは既にこの連載で取り上げた「鳥を見た人」に引き続いてのことだ。
 だが、「鳥を見た人」が、本文庫刊行当時、日本ホラー大賞を提唱し、ジャパニーズホラー(Jホラー)を定着させるべく奮闘していた角川書店の意図する「ホラー」であったとは到底思えないように、本作も「Jホラー」とは些か毛色が異なる。
 そのせいで、『夜叉の舌』は数年で書店の店頭から姿を消した。

 表題作「夜叉の舌」の回、あるいは初収録作の第一作目「鳥を見た人」の回で、この不幸な文庫の収録内容に触れておくべきだったと思う。遅ればせながら、ここで『夜叉の舌』のラインナップを掲載しておこう。
 「草薙剣は沈んだ」「月曜日の朝やってくる」「悪魔恋祓い」「夜叉の舌」「春の寵児」「鳥を見た人」「夜な夜なの川」「影の訪れ」「池」「迦陵頻伽よ」の10編。
 うち最初の二編は、前年に出たばかりの立風書房版選集第3巻『飛花 山陰山陽小説集』にも収録されている。作者の自信作なのだ。だがそれ以外は…立風書房の選集には採られていない。分厚い三巻本からこぼれ落ちた落ち穂拾いなのか、「自選ホラー作品」を意識的に選択したのか。
 後者とすると、赤江がホラー=恐怖小説についてどのような考えを持っていたかが分かりそうなものであるが、いまいちピンとこない。

 1980年代後半から日本のエンタメ小説界隈でアメリカ由来のモダンホラーが隆盛してきて(ゲイ文学と同じで、早川書房が旗振り役だった)、スティーヴン・キングやディーン・クーンツのブロックバスター作品がブームを牽引し、その結果、クーンツの大ファンを自認する瀬名秀明の『パラサイト・イヴ』や、自身の作をホラーと思っていなかった鈴木光司の『リング』が大ヒットを記録する。
 だが、赤江のホラー観は、それらのエンターテイメントに振り切った長編群とは、かなり隔絶されたものだったのではないだろうか。
 モダンホラーとは従来の恐怖小説とSFやアクションのハイブリッドジャンルであり、なんでもありのオールマイティであって、澱んだ暗い想念の淵の底から立ち上ってくる赤江流の恐怖小説とは、真逆のものだろう。

 だが、赤江が自選して差し出してくるものも、読者を些か戸惑わせる。『夜叉の舌』の全10作読み終えると、クエスチョンマークが残るのではないか。熱心なホラーファンほど、はて、私はいったい何を読まされたのか?、と自問自答に陥るのだ。だって、ちっとも怖くないんだもん。
 赤江の小説はサービスの多いホラーにはあらず。元々中間小説の出自だが、本来は、読者の想像力に訴える少し高踏的な「幻想文学」なのだ。
 だから単純に怖い怖くないという物差しで作の出来不出来を計ることが出来ない。ホラー文庫というレーベルで作者に自選集を頼んできた方が、見込み違いだったのかもしれない。

 初期の角川ホラー文庫は、とにかくめちゃめちゃなことをやっていた。法曹ミステリの多作家・和久峻三に赤かぶ検事シリーズでホラーを書かせたり、純文系の文庫化されていなかった作品を無理矢理ホラーと銘打って出したり、出版点数を稼ぐためにとにかく手当たり次第出版していた(かつての角川文庫のやり方だ)。
 赤江他の作家たちの「自選ホラー選集」も、そんな数打ちゃ当たる式の波の中で出版された。まだ未生のホラーというジャンルで、何が売れるかどういう作品が受け入れられるか、出版人にも良く分かっていなかったのだ。

 ようやく「迦陵頻伽よ」の解読にかかるが、これまた悩ましい。赤江を思わせる作家の語り手が登場し、前年の元旦に新聞に掲載した随筆のせいで、変な客を呼び寄せてしまったことを語るのだ。
 近作「月迷宮」では、自作の随筆を登場人物の映画監督の作に仮託していたが、今度はもろに、作家自らが自作の引用を堂々とw。
 そして、このエッセイが、赤江の既存のエッセイ集に収録されていないもの、つまり、未収録エッセイ。私は小説の未収録作品は調査して網羅したつもりだが、随筆までは手を出しかねている。
 作中の説明によると、元日の新聞に掲載した随筆なので、探せば分かりそうなものだが、赤江だって、新聞連載長編こそ「巨門星」だけだが、朝読毎三大日刊紙にショートショートを書いている売れっ子なのだ。地元の新聞にも気さくに随筆を書いたようだし、どこの新聞の求めに応じたのか、調べるのは正直しんどい。なので、この件は持ち越しでお願いします。

 新春随想の題は「わが逍遥樹林にて」。照葉樹林のオヤジギャグ…w。

『迦陵頻伽という名の鳥がいる。この上なく美しい妙なる啼き声を持ち、ヒマラヤの雪山か、極楽浄土にしか棲まないといわれている想像上の鳥である。
 ヒマラヤと極楽浄土というとり合わせもおもしろいが、要するに俗世に無縁な夢想界の鳥である。よくこの鳥については、わけ知りの辞典などでは、人頭鳥身の姿をして、上半身が美貌の天女、翼と下半身が絢爛たる瑞鳥の姿態をそなえた鳥として描かれた図像が載せられたりしているが、わたしの幻界では、迦陵頻伽は、そんなあざとい化性けしょうの姿はしていない。ごくごく小さな、しかし比類なく美しい彩色羽を持った小鳥である。(後略)

『夜叉の舌』角川ホラー文庫

 てな感じの書き出しで、赤江の随筆の通常運転であるw。ところがこれを読んで、翌年の新年早々、年始の飲み会の最中に、作家宅の玄関に女客が来てしまったのだ。「質素なきちんとした身なりと、鬢にほつれた後れ毛の感じがどこか調和を欠いてい」る様子の女である。語り手は相手を一瞥して、直接玄関口に出たことを後悔した。厄介な招かれざる訪問者と見抜いたのだ。

 女客は語り手の顔を見て、「お元気でいらっしゃいましたんですわね。ああ、よかった。ほっとしました。ほんとによかった……」と胸を撫で下ろす。
 彼女は、迦陵頻伽は「ただ空想の世界に棲むだけの鳥じゃありません。もっと怖い鳥です。お浄土の鳥なんですのよ」と訴える。「お浄土」って、この口調は前作の海婆たちのそれにそっくりで、笑ってしまう。松露コンビ、こっちの世界まで来ちゃったの?

 そして、「そんなこと、思っていらっしゃるから、あの鳥が、くるんです。見えるんです。あの啼き声が、聞こえるんです。あの鳥を追っぱらって。そうして下さい」と切々と訴える。
 なんでも、彼女の母が、生前そんな風だったのだと。寝たきりでただ生きていた状態で過ごしていた時、ある日突然その鳥を見るようになって、顔も和らぎ穏やかになって、一年後、亡くなったのだとか。
 そして何も喋らなくなった。

 埒があかないのでその客を放置していると、いつの間にか帰ったようだが、やがてその人かららしい手紙が届いた。そこには、彼女の老母が亡くなるひと月前くらいの様子が描かれていた。

 母は、ある日、とつぜんでしたが、奇妙なびっくりするような大きな声をたてて、わたしを呼びました。胸に、鳥がいると言うのです。胸の中にもぐりこんで、肉をつついていると。やせさらばえた肋骨の上へ手をあてまして、ここに、この奥にいると申しました。肉や骨を啄んでいると。
 そして、「いい」と言いました。放っておいていいと。
 その内に、二羽も三羽もいると言うようになり、時々、眉をしかめたり、すっとんきょうな声をたてたりはしましたが、決して痛いとも、苦しいとも、申しはしませんでした。
 死ぬ二、三日前あたりから、母はほとんど物を言わなくなりました。意識も朦朧としていたのでしょうが、時折、あがらない手を、しきりに頭のあたりへ持って行こうとしたりしました。「いるの? ここに」とたずねてやると、そうだ、「いる」とはっきり頷くのです。鳥が、頭の中を啄んでると言うのです。
 そして、間もなく死にました。

同上

 これはまるで長編「ガラ」の後半第二部「迦陵頻伽の巣」のクライマックス、年老いたヒロイン恭子が、おのが胸の中に迦陵頻伽が巣食っているのを眺めている場面と瓜二つである。

 更に彼女は、語り手と自分との間に産まれた「あの子」のことを話し始めるが…。もう(語り手が)ついていけてない。「わたしが、独りで産んで、独りで育てあげた子です」「あなたが小説家としてデビューなさった年に、わたしはこの子をみごもったのです」「二十五歳」「いまだに帰っては参りませんから、きっといまも、あなた様の傍にいて、離れられないのだと思っております」などと書いている。

 1970年年末にデビューの赤江なので、1994年で25歳とはちょいと計算が合わない気もするがw、イマジナリー息子の件は、前々作「華燭の舟」から持ち越していると思う。
 ただ、これをホラー小説として読め、と言われてもねえ、と読者はケムに巻かれるのみだ。面食らうのは語り手だけではあるまい。こんなやばいファンに好かれるなんて、さすが腐女子御用達と言えなくもないが…。

 赤江の考えるホラーと、世間一般でホラーと言われる物との間に、乖離があるとはこういうことなのだ。ファンの人怖話、作家の立場からすると、少しは怖いのかなw。

『夜叉の舌』 1996.4. 角川ホラー文庫

いいなと思ったら応援しよう!