ゲイ読み赤江瀑221 「霧ホテル」
◯ 「霧ホテル」 《小説宝石》 1995年10月号
なんとも洒落た怪奇譚である。作品集の表題作にしたのもよく分かる。ゲイ読み的にはぐうの音も出ないが、これも赤江の名品なのだ。
大東京の真ん中の、帝国ホテルのラウンジで、ひそひそと会話を交わす二人がいる。大女優と人間国宝である。大御所なのに雰囲気を消して、周囲に溶け込んでいる。それはさながら、明るい陽の下の変化の類のよう。いや、喩えではなく実際に彼らは妖の眷属なのだ。
だから、同類に好かれると言う話。
大女優の濤子は、痩せた小柄な体に、枯葉色のつば広の帽子を目深に被っている。「演劇界の頂点に立ち、年齢不詳、いまもなお華華しい主役の座に君臨して旺盛な作品を次次に演じつづけている」という彼女のプロフィールは、誰を模したものだろう? 言わずもがなの杉村大先生だろうか。
杉村春子の芝居を私(論者)は学生じぶん、見たことがある。地元に地方公演で来た時で、出し物は『欲望という名の電車』ほか。高校生で『欲望』はまだ早いとチケットを買ってもらえず、私は渋々『華岡青洲の妻』を見た(地元の話だからね)。ああ、ブランチが見たかったなあ…
そして、もうひとり、「地味なくすんだ色めの結城をこともなげに身につけた和服姿が、よく見るとただ者ではないとわかる」人間国宝の地唄舞の第一人者、兵衛門。芸術院会員でもある。関西訛りでいつも和装。この人物は誰を想定しているのだろう? 吉村雄輝辺りだろうか。
四世吉村雄輝は、今じゃピーター池畑慎之介の父親と言った方が分かり良いだろうが、上方地唄舞の第一人者で人間国宝である。地唄舞の人間国宝はこの時代には吉村雄輝ただ一人なので、兵衛門のモデルは当然この人と思われる。
そんな大御所二人が顔付き合わせて何の話をしているのかというと、幽霊話なのであった。
濤子は、顔をあげて、兵衛門を見た。
「でも、おっ師匠さん。そうすると、どこにお泊りになったんですか? まさか、あなた、わたしがいつかお話ししたあのホテルの名を、おぼえてらして……」
「そんなん、おぼえてますかいな」
「そうでしょうねえ。あれ、もう四、五年も前のことですものねえ」
「いや、おぼえてることも、無論、おす。ほれ、ホテルの玄関口が、坂道に面していて、その自動ドアが開くと、表の霧が吹きこんできて、ロビーの中までいちめんの霧の海。もうもうとたちこめたその霧で、なんにも見えへんようになってまう。そうでしたやろ? そや。それや。霧ホテルや。と手を打ちましてな。ええな。霧ホテルを探せ。いうてな、弟子に命じましたんです」
「霧ホテル?」
「はい。そんでまあ、駅の旅行案内所とか、ホテル予約センターとか……」
濤子が以前、西ノ関の街(下関のことだろう)で泊まったホテルでの出来事を、兵衛門に話したことがあったのだ。その時「幽霊の出るホテル」と彼女は話した。
そのホテルの名を兵衛門は忘れていたが、ホテルが坂道に面していて、イチョウ並木があって、もと遊郭の跡地である、という特長は覚えていたのだ。案内所で尋ねると、「ああ、それ、稲荷町や」と答が返ってきた。
この下関にかつてあった花街・稲荷町も、赤江の作品で度々取り上げられており、特に「劇画を描く少年考」「文久三年五月の手紙」では、稲荷町の遊郭の女郎のエピソードが重要になる。だから西ノ関が下関だと分かるようになっているのだ。
現在の下関市に稲荷町という住所はないが、稲荷町の遊郭跡が唐戸市場や海響館、下関市役所の指呼の先に残っている。巌流島へのフェリー乗り場の港から、坂道を上った先に…
「玄関が、自動ドアで」
「いや。それが、ちごてましてん。大きなガラスの一枚ドア、手で押して入りましたで?ほれ、メリーゴーラウンドみたいな、こうぐるっと回る、回転ドアがおすやろ」
「そんなの、ありませんでしたよ」
「いや、おした」
「まあ。じゃ、別のホテルですわ」
「別の……?」
「そうですよ」
「けど……」
と、兵衛門は、言った。
「ご覧になったのよね」
と、濤子。
「はい」
「出ました?」
「出ました」
「まあ……」
二人は、額を寄せるようにして、おたがいの顔を見合わせた。
芝居の舞台のようだ、と、濤子は思った。
はらはらと黄色い葉っぱが、散っている。一、二枚、テーブルの上へも降りかかる。
ちょっと首をもたげて、濤子は頭上を仰いだ。
幻の感覚は消えていた。
帝国ホテルのティー・ラウンジの天井が、そこにはあった。
老人同士の会話は、微妙にすれ違う。しかもとりとめない。だが、「出るホテル」の核心には近づいているようだ。
どうやら、下関の遊郭の跡地にある、老舗のホテルらしい。私もGoogleストリートビューなどでその舞台と思しきホテルを探したが、生憎、銀杏並木が見つからなかった。この短編が発表されて30年余、そりゃ、街の様子も変わるよね。
実際にあったのかもしれないし、赤江の想像の中にしか存在しなかったのかもしれない、その霧に包まれるホテルで、濤子も兵衛門も、それぞれに不思議な体験をするのだ。
どんな妖が出たのかは、拙い引用よりも赤江の作品を味わう楽しみに取っておいていただきたいので、ここでは詳らかにしない。
だが、かつて、芸に見限られて春を鬻いだ哀しい女たちの幽霊が、涙ながらにかれらの前に姿を見せた、とだけ言っておこう。
縹渺たる、遠い世の霧笛を伴って。
ふたりは、それぞれに見たまぼろしの話を交わした後、芸論に行き着く。
芸の道に名を残すことの出来なかった有象無象への、赤江瀑のまなざしとも言えるそれは、是非ともここに伝え残しておきたい。
「見込まれたようなところが、あるのんやないですか」
「え?」
「魔が、とりつく」
「魔、ですって?」
思いがけなさそうに、濤子は、たずね返した。
「口はばったいようなこと、言うようやけど、あなたも、わたしも、人さまの眼には一応、功なり名遂げた人間に、見えるかもしれまへんわな。生きるだけは、生きた。満足はしないまでも、自分の志した道、選んで、歩こうと思た道、それは歩けた。ちがいますか?」
濤子は、兵衛門を、見つめていた。
「歩けなかった魔、満足しなかった魔、生きるだけは生きたと思わない魔。……そんな魔物みたいなものが、どこかにいると、考えても、そう不都合なこと、ないのんとちがいますか。芸能の世界では」
濤子は、ちょっと、眼鏡の縁へ手をあげかけて、やめた。
「執着残した魔ァどすな」
と、兵衛門は、言った。
「幽霊というよりも、芸能の魂。どうどす? これやったら。濤子はん」
「まあ……」
「人間の魂魄なんかじゃのうて、芸能の、魂魄。そう考えることはでけまへんか? そういうものが、ふっと寄る。寄ってくる土壌が……あるのんかもしれへん、われわれには」
杉村春子、1997年4月没、享年91。
四世吉村雄輝、1998年1月没、享年74。
かれらの最晩年の姿が、ふと、帝国ホテルのティーラウンジに影現する。そんな小粋な幽霊譚だった。

かつての帝国ホテルのティーラウンジ。
誰も彼も百年経てば皆幽霊。
お粗末さま。
『霧ホテル』 1997.8.講談社
『妖花燦爛 赤江瀑アラベスク3』 2021.11. 創元推理文庫
