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ゲイ読み赤江瀑109 「巨門星」長編

◯ 「巨門星きょもんせい」 《中国新聞夕刊》 1978年11月11日号〜1979年10月20日号、他地方各紙連載

 赤江瀑唯一の本格的な歴史小説。文庫版のタイトルは『巨門星 小説菅原道真青春譜』という副題がついているが、単行本は『巨門星 天の部』と題されている。副題が変更。
 作者あとがきに記されている通り、この作品は構想の途中で終わっている。あとがきでは続編を書きたい旨が語られていて、その意向は文庫版にも踏襲されてはいるが、「天の部」に続くはずの続編は「地の部」だろうか「神の部」か、それはついに書かれることはなかった。

 それでも、既にこの企画で取り上げた「アニマルの謝肉祭」に匹敵する大長編だ。赤江の作品で一番長いかもしれない。
 十一ヶ月間、新聞に連載されたのでこの分量だが、新聞小説というものは大体が分量が多い。毎日原稿用紙で三枚くらいの短章だが、それがひと月でも百枚近く中編に達し、十一ヶ月続くと単純計算で千枚となる。

 本作を一読すれば、作家が伝奇小説を志しているのが分かる。ちょうどこの時代、山田風太郎や半村良による伝奇小説ブームが続いていて、小栗虫太郎や夢野久作、久生十蘭ら戦前からの作家も復権的に注目を集めていた。赤江も中間小説の殻を破って、伝奇というジャンルに挑戦したいと考えたのだろう。
 短編では74年「幻鯨」、75年「恋怨に候て」、76年の「夜の藤十郎」と江戸時代を描いてきたが、今回は平安時代の物語だ。
 ただ赤江らしいのは、女文字と呼ばれる仮名(かな)で記される女房文学が隆盛となる、国風文化の根付いた十一世紀初頭(『枕草子』『源氏物語』)ではなく、平安京遷都からまだ半世紀の、九世紀半ばを舞台にしている点である。男文字の真名(漢字)で記される漢文が主流で、漢才が学問の中心にあって出世登用にも必要とされた唐風文化の色濃い時代だ。遣唐使は形骸化して行われなくなっていたが。
 菅原道真は漢才に秀でていたが故に、天皇や殿上人に重宝されて、最終的に右大臣にまで上り詰めたのだった。
 私たちは今、道真のことを思い出す時、『百人一首』の「このたびは幣もとりあへず手向山もみぢのにしき神のまにまに」か、飛梅伝説の「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」を思い出すくらいだが、彼は本来は漢詩漢文の才に長けていた。

 そんな数百年に一人の逸材とされる道真が、承和十二(845)年六月二十五日に生を享け、貞観十二(870)年に官吏登用試験に合格して正六位上の位を授かるまでの物語である。先程述べた通り、道真の人生は始まったばかりの時点で、小説は終わっている。
 本作の主人公は、本当は、道真ではなく、父親の菅原是善の弟子だった島田忠臣と、文徳帝の后となる藤原明子である。

 道真は忠臣に師事し、彼を「田師」と呼んで慕った。冒頭、忠臣は是善の従者として竜乙という名で登場し、是善の妻女が出産を控えている邸の外で、行き倒れていた謎の市女笠の女を助ける。謎の女も孕んでおり、臨月だった。
 当時は、同じ邸の中に身籠ったものが二人いることを「合腹」と言い忌み嫌っていた。人間だけでなく孕んだ犬猫に至るまで、出産を控えた妊婦がいる家では追い立てられた。
 忠臣は仕方なく近くの地蔵堂の小屋に謎の女を匿い世話をした。そして同月同日同時に、道真ともう一人の赤子が産まれた。彼らが産まれた丑年の星が「巨門星こもんせい」、北斗七星の二番目に当たる。

 伝奇小説のあらすじをつらつらと語ることほど興醒めなことはない。これでもまだ、第一章のさわりだけである。平安時代の歴史を作者が凄く調べて書いているのはよく伝わってくる。
 あの時代は千年以上前にも関わらず史料が豊富に残っている。現代とは人柄も風俗も社会構造も全く異なるが、物語の中心に来るのは、変わらない情熱や政情や権力への執着である。
 正直なところ、天神様と恐れられるようになる菅原道真の姿はここにはない。まだ海のものとも山のものともつかぬ、学問のみが出世の頼りの青年貴族がいるだけである。赤江らしく濃密な人間描写はない。あっさりとして、あまり癖の強い人物は登場しない。人間が描けていない、と言ってしまえばそれまでだが、歴史小説と伝奇小説は似て非なるもの、歴史小説のアプローチで伝奇小説を書いてしまっている感は否めない。伝奇小説に必要な魅力的な主人公が不在である。

 少し辛口になっているかもしれないが、赤江は長い物語を滔々と語るに適したプロットは、得意ではないと思う。会話を基本とした、瞬間の対決を描くのが上手い作家だ。どだい、新聞小説という長丁場を任せるのは向いていない。この続編がもし書かれていても、期待は出来なかっただろう。だから、本人も続編の執筆は諦めてしまったのだ。

 素材や発想は無茶苦茶面白いのだ(特に、平安時代への興味・知識を、あらかじめ持っている読者には)。
 二人道真、幻を作り上げる「夢王」、紙漉きの里、謀反人の娘の復讐、謎の美妓が本当は男であったり(直前に執筆された「馥しい骨」の作中劇と同じだ)、同じ星の元に産まれた二人の青年の人生が交錯したり、と、伝奇小説としては文句のないパーツが揃っているが…

 赤江は瞬発力に長けた作家である。瞬間的に情念を発動させ、恐怖や感動を読者に与えるには、短編小説の器が一番相応しい。せっかくの素材を活かせず放り出したまま、新聞の連載期間が終わってしまったようだ。だが、一年書こうが二年続けようが、多分これ以上は昇華出来なかっただろう。
 1979年10月に新聞連載が終了し、単行本化されたのが1981年12月と、二年近く要しているのも、苦労の跡が見える。長編小説がメディアに掲載後、こんなに寝かされているのは、この作だけである(旧作に書き足して長編化した「ガラ」はまた異なる)。

 赤江フォロワーである皆川博子や篠田節子が、凄まじく骨太な長編を連発しているのとは異なり、赤江は基本的にスパンの長い物語を語ることの出来る「物語作家」ではない。ワンシチュエーションに想像力を盛り込む短編作家だ。それがはっきりとした。短編作家だからと言って、別段評価が下がる訳ではない。自分の資質に合ったものを書けば良いだけだ。
 さらに言えば、「夜よ禁めなき旗なき」「刺青の海で夏」「舞え舞え断崖」「アルマンの奴隷」といった直近の作品を通して、瞬発的な「イメージ=詩」への回帰を成し遂げたからこそ、連載長編小説で息長く語るのが向かないことを知り得たのではないだろうか。

 十一歳の阿古(道真)が初めて漢詩を作って褒められた後、田師と呼ぶ島田忠臣からこのような言葉を賜る。赤江が詩人であることの何よりの証左だと思う。

「そのとおりです。詩草のことは、筆を擱いたあとで、真に高まり、成るのです。その点検と昂揚の心と眼が、詩稿に力をあたえるのです。魂を入れるのです」

『巨門星』文藝春秋

 「巨門星」は、赤江らしさの欠けた長大な(だけの)作品で、引用したくなるような魅力的な文章もない。赤江特有のエロティシズムも新聞小説という不特定多数の目に触れる舞台では発揮し得ず、お茶を濁してしまっている。
 連載小説が書けない作家というのもいるのだな、と改めて思った。赤江は生涯で連載小説を6回しか書いていない。うち2作は長編でもない。短期連載短編(「アネモネの国」)と、学年誌連載ジュブナイル(「双頭の動物の門」)だ。
 長編小説の連載は4作(中編2作を連結して長編にした「蝶の骨」「ガラ」は連載ではない)。既に見てきた「アニマルの謝肉祭」と「巨門星」は今一つな出来で、今後、「風葬歌の調べ」と「花酔い」という連載長編もあるが。
 まあ、その時にそれぞれ評したいと思う。

『巨門星』 1981.12. 文藝春秋
『巨門星』 1990.2. 文春文庫

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