PTLについて
三十年近い昔、私は「ピンク・トライアングル・リテラチャー(Pink Triangle Literature)」というサイトをインターネット上に公開していた。二年くらい続いたろうか。一応Yahooに登録はしたと思うが、他とリンクとか一切しないので、ほとんど人の来ない幽霊ウェブサイトだった。
ゲイ文学を紹介し解説して、どんな作品が読まれてきたのかを一人でも多くの読書人に知ってほしかった。のに、リンクしない。私はそういう離人症的人間だ、昔も今も。
今回それを、季節外れの幽霊みたいに、黄泉の国から蘇らせたいと思う。
現在「BL(ボーイズラブ)」というジャンルが盛況である。でも、ここではそれらには言及しない。そもそも、腐女子と呼ばれる女性主導のジャンルは、私の興味の対象ではない。寧ろ、当事者性においては害悪とさえ思っている。自分たちがゲイの専門家だと勘違いしている彼女らの、マウンティング・縄張り意識の弊害を被るのは御免だ。
ここでは、主に、自らをゲイと認める男性作家が、ゲイのためにゲイの事象を書き記す文学作品、それをゲイ文学と呼ばせてもらう。
私はトランスやドラァグの知人がいないので、畢竟、狭い世間に生きており、語ることが出来るのは、限られた男性同性愛者の世界だけ。クィア・スタディもどこまで理解できているのか、自分ではわからない。だから自分流に読解分析するより他ない。
そんな人間がなにゆえにゲイ文学を、再びおもむろに語ろうと決意したのか。
両親をあの世に送り、何も遠慮するものがなくなったというのが大きいだろう。しかし常日頃、過去に潰してしまったあのサイトについて、思わない日はなかったからでもある。
物心ついてこの方、ひたすら文学に憑かれてそれだけを四六時中考えてきた人間がたまたまゲイだったので、自分の存在意義を問い、なぜ自分はここにいるのだろうという疑問に立ち向かうべく、再び語ろうと決めた。
しかし甘い考えなのは変わらずで、それからゲイ文学を狩漁し読んできたが、自分の立ち位置すらわからないものだ。馬齢のみ重ねれど、先人の足元にさえ及ばない。
わからない、及ばない、語れない、では始まらない。三十年前も、そうやって見切り発車でサイトを始めたが、すぐに心折れてやめてしまった。
しかし、私はその後、ぼんやりと遊んでいたわけではない。仕事をしながら文学部に舞い戻り、古典文学を主に研究し論文を書き人に教えもして、少しは語る言葉を持てるようになったはず。いまの私は学部とは離れてしまったが、文学への愛は変わっていない。
しかし世間は、文学など取るに足らぬ趣味の一つと閑却し軽んじている。興味のない人があまりにも多くて、私は地団駄を踏む思いだ。本も普通に買うと高いしねえ。思考停止したお手軽な娯楽が山ほどある時代だからね。
でも、時代はそれだけ変化して、文学という不幸な娯楽を必要としない程に、進化の変遷を遂げたのだろうか?
一昨年の正月にとある人がテレビで発言した通り、いまの世の中は「新しい戦前のはじまり」に立っている。
分断とファシズムへの回帰。国民総中流の終焉。既得権益層の横暴と格差社会の到来。生活苦と暴力の連鎖。少子化に高齢化に過疎化。社会全体の無教養化。若年層の自死。取り巻く諸国の軍拡。そして、確実にやって来る激甚な天災…。明るくなる要素は微塵もない。時代は逆行するばかり。
外圧でLGBTQ促進法も形だけ取り入れられているが、根源的に必要な婚姻の平等すら認められない。世論の機運は高まっているのに、政治と宗教の骨がらみがそれを許さない。
人口減少が国力を奪う。それがインフラの弱体化を指しているうちはまだいいが、国力って何なのか? それは、国が戦争するための戦力のことだ、と考える連中がいるのだ。
宗教(主に一神教)やファシズムや全体主義が同性愛を忌み嫌うのは、ひとえに、員数戦力となる兵隊を産み増やさないからだ。
産めよ増やせよ地に満てよ、というシオニズムや各宗教・イデオロギーの原理主義に代表される思想。彼らはそれを盾にして、ゲイは生産性がない、人権も認める必要はない、生きる価値がない、と石を投げてくる。原理主義や全体主義の国では、同性愛は今でも死刑の対象である。
この国ばかりではない。日本を実質統治している宗主国だって、差別主義者のゲイ嫌いの、およそ政治家と言えないデマゴギー(扇動家)が政権に返り咲いてしまい、考えるだにおぞましい。分断は深く民衆の間に及んでいる。
ピンクのトライアングルとは、ナチスが同性愛者を弾圧したとき、その服に縫い付けたピンクの三角形の布切れのことだ。フランス語では"L'Étoile rose"と言う。そのピンクの三角形を背負った人々は収容所に送られ、一部はガス室の露と消えた。
現代に生きる私たちの背中にも、知らず知らずのうちに、薔薇色の星が縫い付けられようとしている。LGBTという特殊な性癖として、「罪なきマジョリティ」に石を擲たれる日のために。
これからの世界には、暗澹たる未来しか見えない。だからこそ、蟷螂の斧のような文学サイトを黄泉の国から召喚した。ゲイである私たちがどう考えてどう生きればいいのか。その答えの一端になればいいと思っている。
ゲイではない人たちにも、この発言が届くようにと願っている。私たちはマジョリティと敵対するためにこの世に生まれてきたのではない。対話し理解してもらうため、理解の一助として同性愛者の心理や性を扱う文学を掘り起こし、出来れば一人でも多くのひとに届けたい。
ではなぜ、理解は促されねばならないのか。先にも申したが、ゲイの文化や思考やリビドーは、ノンケの皆さんにはやはり異質だからである。ゲイ同士でさえ意外に思う事だってある。
そんな異質に見えるバックボーンを文学から探ったとて、たやすく誤謬を解消出来るとも思えないが、少しでも理解の足掛かりにしてもらえるのなら、私のこの試みも無駄にはならないだろう。そう願う。
