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PTLジュネ先史 Before Genet

 ジャン・ジュネ登場の以前と以後で何が違うのか。それをはっきりさせるために、先史をまずまとめておこうと思う。

 学生監の翻訳の講義のなかで、学生のひとりが小声で課題を読み進めていると、コーンウォリス氏がそっけなく、「そこは省略。口にするのも憚られるギリシャ人の悪徳に関するところだから」と言ったのだ。ダラムはあとで、あんな偽善者は大学から追放すべきだと言った。

E・M・フォースター『モーリス』
(加賀山卓郎訳、光文社古典新訳文庫)

 イギリスの20世紀初頭、ケンブリッジ大学講義の一幕だ。「ギリシャ人の悪徳」が何であるかは、自ずと知れよう。『モーリス』は1913年頃執筆されたが、フォースターは結局、生前に発表することはなかった(没後1971年刊行)。この場面はアイヴォリー監督の映画版にも拾われている。
 主人公モーリス・ホールは、これからプラトニックとフィジカルと両面の同性への愛に踏み込んでゆく青年である。クライヴ・ダラムは彼が生涯思い続けることになる相手だ。
 プラトンの『饗宴』が二人を結びつけるのだが、20世紀初頭の英国はまだ同性愛が犯罪だった。ゲイの同窓生が逮捕されたのを機に、クライヴは男同士の愛に及び腰になり、結婚して家庭を築く。モーリスはダラム家に招かれた夜、お付きの猟場番の若者と体を交え、互いに愛情を抱き、彼と共に人生を歩んでゆく。

 ここで、『モーリス』のエピソードのように下手すると逮捕投獄された、各国の同性愛合法化事情を整理しておく。
◯イギリス 1967年
◯フランス 1982年
◯ロシア 1993年
◯ドイツ 1994年
 アメリカがないのは、裁判で無効化されたとは言え、未だに州によってソドミー法が残されており、軍も独自のソドミー法を持っているから。アメリカは自由の国とか多民族とか多様性とか御託を並べても、所詮はプロテスタント色の強いただの宗教国家なのだ。

 ソドムとゴモラ。旧約聖書・創世記に登場する、ありとあらゆる悪徳の蔓延る街で、神に滅ぼされる運命にある。滅亡の時、神への信仰により唯一街を脱出できたロトの一家だが、ロトの妻は街を振り返ったために、塩の柱にされてしまう。退廃した街を懐かしんで、神の怒りに触れてしまったということか。
 同性愛を指すソドミーの語源は、そのソドムの街だ。マルセル・プルーストは『失われた時を求めて』の後半部分をおおまかに『ソドムとゴモラ』と名付けて、様々な男女の同性愛者を登場させた。
 そんなプルーストですら、表向きには自分の同性愛をカミングアウトしなかった。主宰するNRF(ガリマール書店)から『失われた時を求めて』の第二編以降の出版を請け負うアンドレ・ジッドが、秘密裡に出版した同性愛擁護の書『コリドン』をプルーストに届けた時のエピソードはこうだ。

 私は彼に『コリドン』を持ってきてやった。このことは誰にも話さないと彼は約束する。そして私が『思い出の記』について少しばかり話すと、彼は叫ぶようにいった。
「それは全部作品になりますよ。但し、決して《ジュ》といわない条件でね」。だが私にはそんなことは出来ない。

アンドレ・ジッド『ジッドの日記』第3巻
(新庄嘉章訳、日本図書センター)

 あれだけあからさまに小説にゲイ・ピープルを登場させたプルーストでさえ、登場人物と作者の自分を同一視されることは嫌ったのだ。
 ジッドも同性愛を公言しながら、夫人との結婚生活は続けたし、なんなら別の女性との間に娘を設けている。

 今では忘れ去られた作家となったジッドだが、ギリシャふうの対話編で同性愛の正当性を訴えた『コリドン』、自身のアルジェリアにおける少年愛体験を赤裸々に描いた『一粒の麦もし死なずば』、それを元に小説化した『背徳者』など、現代でもゲイ文学の古典として読み継がれるべき作品はある。
 特にプルーストとのエピソードに登場する『コリドン』は、部屋にミケランジェロのダビデの絵とホイットマンの肖像を飾る、挑発的な同性愛者コリドンとの対話を模して書かれている。ジッドはこの作品を私家版として、1911年に11部、1920年に増補版を21部しか刷らなかった。プルーストに貸与したのは、この増補版であろう。この作品は1924年に公刊された。
 ジッドは1942年10月19日の日記に、「『コリドン』は私の眼には依然私の作品中最も重要なものに思える」と記している。晩年になっても他の作品を差し置いて一番重要と作者自身が考えているのに、『コリドン』は今でも当邦では文庫化もされていない。

 ジュネが登場した当時、まだジッドは健在だった(1951年没)。彼の日記に、ジュネについての記述は残念ながら見当たらない。
 ジッドはありていに言えば、少年愛者だった。1917年頃、彼が後半生の愛人にしたマルク・アレグレと出逢った時、ジッドは48歳でアレグレは16歳だった。
 プルーストが『コリドン』を読んだ後で意見を交換する件でもジッドは、プルーストが作品で描く同性愛者像に異議を唱え、「あのエロスを若くて美しい姿で表現するつもりはないか」と訊いている。そして、今で言う秘密のハッテン場的な場所を好んだプルーストに撥ね付けられている。

 これは悪質な噂話だが、晩年のジッドのことをトルーマン・カポーティが、「シチリア島の保養地タオルミーナの路地をほっつき歩いて十五歳の少年を追い回しては、午後のシエスタの時間に彼らを自分の寝室にひっぱり込んだ。まったく見下げ果てた男だ。子どもたちはみんな彼を「五時の脅威」と呼んだ」と語っている(『カポーティとの対話』ローレンス・グローベル)。
 自らも少年時代から、大人のゲイに身体を与えてきたカポーティらしい眼差しである。カポーティは少年愛しか解さないジッドに、皮肉な眼を向けている。だが、カポーティもジュネについては何も語っていない。
 ジッドやカポーティがジュネの小説を眼にしたとしても、耽美主義者である彼らには、輝かしい汚穢を描くジュネの筆はおそらく響かなかったのではあるまいか。

 ジャン・ジュネが登場し、一人称の「私」と作者自身の距離を測りかねている連中を瞠目せしめたことは、想像に難くない。ジュネは率直に性のディテールを書く。そして追体験しては自瀆の快楽に浸る。
 ジャン・コクトーはそんなジュネにおそらく羨望を感じただろう。コクトーはジュネの小説のファースト・インパクトをこう記している。

 ジュネが小説をもって来た。信じがたいすばらしさの三百ページ。《男娼タント》の神話のあらゆるドラマを創造している。(中略)この小説は恐らく彼の詩よりさらに驚嘆すべきもの。あまりの斬新さが却って真価を分かりにくくしているのだ。(中略)だれでもこの本を手に入れ、広く撒き散らしたくなる。(中略)出せば必ず一騒動あるはず。真物の騒動スキャンダルだ。目下その騒動がぼくの家で、この本とともに自然に静かに炸裂している。

ジャン・コクトー『占領下日記』第2巻
(秋山和夫訳、筑摩書房)

 コクトーは、のちの自作映画の主演俳優でパートナーのジャン・マレーと公然の仲だったが、彼も小説に自分のこととしてゲイ・ピープルのエピソードを書いたりはしなかった。
 1942年に初めてコクトーはジュネの私家版の詩「死刑囚」を知り、翌年2月16日、保釈中のジュネと顔を合わせる。17日にジュネから渡されたのが『花のノートルダム』の原稿だった。
 「ジュネという爆弾」と、コクトーは『花のノートルダム』を絶賛する。コクトーはジッドよりも、ジュネを理解する素地はあった。コクトーはあちこちでジュネの傑作を吹聴したようだが、謹厳なポール・ヴァレリーには、「そんな本焼き捨てろ」、と言われる始末。

 かくてジュネの作品は、コクトーというプロデューサーを得て、その年の3月頃、『花のノートルダム』は校正の手を離れ、フランス伝統の暗黒文学、秘密出版の書物として世に放たれた。
 イギリスの大学講師が、古代ギリシャの同性愛の表現を「口にするのも憚られる」と切り捨てた時代から約40年後のことだ。

 英語で紀元前を"Before Christ"と言うが、ゲイ文学においては、ジュネの登場をもって紀元前紀元後と考えるのも、あながち悪い考えではないだろう。だから、ジュネ先史を"Before Genet"とした次第。
 先史の作家であるプルースト、ジッド、コクトー、フォースターについてはPTLでは取り上げないが、いつか機会があれば論じてみたいと思う。

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