PTL File.10 ゴンブロヴィッチ『ポルノグラフィア』(1960)その一
「文学」と「ポルノグラフィ」の境界はどこにあるのだろう?
カッコ付きの「文学」は、普遍的に人に訴求する存在で、カッコ付き「ポルノ」は狭く一部の人に必要とされるものなのではないか。私はそんな認識で生きて来た。
だが普遍的に読まれる必要のない文学も数多く存在する。敢えて言えば、ほとんどの文学は普遍性がない。存在してもしなくても、世界は何ら影響を受けない。
普遍と孤立の境界線を見究めるために、私はこのゲイの性表象を論じるブログを立ち上げた。先人が性の問題をどのように描いたのか描かなかったのか、そこを知りたいと思って。
昔から「文学か猥褻か」という論争は連綿と続いている。日本では特に、1951(昭和26)年から始まった「チャタレー裁判」や1959(昭和34)年の「サド裁判」、1972(昭和47)年の「四畳半襖の下張裁判」などが有名だ。
人間の根源的な姿である性の様相を活写したい、という文学者の探究心が、時として世間の人を劣情に駆り立てるとして、没収され焚書され、作者や出版人は牢獄に繋がれる。
本邦での猥褻裁判の判例としてまず口頭に登るD・H・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』(1928)は、本国イギリスでも発禁となっていたが、猥褻事件として裁判にかけられ可視化されたのは1960年になってからで、日本の方が先に問題とされている。
が、正直、今となってはどうってことない程度の描写に、警察や検察がムキになって法を振りかざし、かえって本の宣伝になっていた感があるし、ロレンスの意に反して代表作になってしまった。皮肉なことだ。
今の時代は、性に関する表象が溢れ返っている。ネットをちょっと眺めれば、その種の動画や画像がいくらでも手に入り、わざわざポルノ小説など読むまでもない。では、何故そのような小説が書かれて読まれてきたのか。
人間として許されない禁忌への欲求なのだろうか。
既婚者の婚外恋愛(「不倫」などという安っぽい流行り言葉は使わない)、近親相姦、生殖以外の目的の行為、相手の尊厳を踏みにじる行為、そして、同性愛…
子供には読ませたくないものをひとくくりに「猥褻文書」と決めつけて、本を焼き作者を獄に繋ぐ。それで果たして秩序は保たれたのか。
まあ皆様ご存知の通り、文学が社会に対して影響力を持った時代は遠い過去のこと。現代では、素人でさえ同人販売でやりたい放題のご時世である。風紀紊乱も甚だしいが、それは望ましいことではないかw
「騒げ騒げもっと騒げ」(©️深沢七郎)かな。
読者は多種多様である。著者のほうからあれこれと説明すべき読者もあれば、読者のほうでむしろ著者を解説してくれる人もいる。ぼくが考えているのは、何よりもぼくの数人の友人たちだ。この人たちは個人的な好意から本を買ってくれ、こんな読後感を口にするだろう──「これは病的だな。何を書いてるのか、本人にも分かっていないさ……」と。そんな恐ろしい状況に至るのをぼくとしては許すことができない。(中略)ちなみに、これらの小説について書き方が素直でないという意見にはぼくも賛成なのである。
(『バカカイ』河出書房新社、工藤幸雄訳)
この言い訳めいた小文は、かつて短編集『成熟途上の記録』(のち、全短編集『バカカイ』に収録)がポーランドで1933年に出版された時、前書として付されていたものだ。印刷途中で著者によって削除されたはずなのに、何故か数部だけ印刷されて出回ってしまったという幻の文章。『バカカイ』監修者イエジ・ヤジェンプスキのメモに収録されている。
全てにおいて「書き方が素直でない」点は、本人もよく分かっていると見える。
ビルヒリオ(※ビルヒリオ・ピニェーラ)の話だと、共和国時代は経済的な事情や当時のキューバの文化的動揺のせいでアルゼンチンに移住し、まるで後進国のカフカとでもいうかのように、取るに足らないお役者勤めをしながら十年あまりを過ごした。だがポーランド人作家ヴィトルド・ゴンブローヴィチとそこで知り合った。移住者である二人は友だちになり、男漁りやエロティックな冒険の連れとなった。
この友情が明らかにビルヒリオに、その無遠慮さ、その不遜さに影響を与えたのだと思う。あるいはたがいに影響しあったのかもしれない。二人とも離郷と戦慄の生活を過ごしていたし、制度化した文化を、また、あまりにも生真面目に捉えられた文化をも信じていなかった。ホルヘ・ルイス・ボルヘスは当時すでにアルゼンチン文学において最も重要な人物になっていたが、そのボルヘスは文化をあまりにも真面目に捉えていたのだ。二人はボルヘスをいくぶん残酷に嘲笑していたのだろうが、それもむりのないことだった。ゴンブローヴィチはヨーロッパで生活するためアルゼンチンからついに離れることになったとき、何かアルゼンチン人に助言はありませんか、と誰かに訊かれて「ボルヘスを殺せ」と答えた。むろん皮肉たっぷりの答えだった。ボルヘスの死でアルゼンチンは存在しなくなったが、ゴンブローヴィチのその答えはむしろその国で体験したすべてに対する復讐だったのだ。(※は引用者註)
(安藤哲行訳、国書刊行会)
他人の自伝に引き合いに出されるこの男、ブエノスアイレスで、お仲間のキューバ人作家ビルヒリオ・ピニェーラと意気投合して、ゲイライフを存分に楽しんだようだ。
ピニェーラのアルゼンチン時代は1946年から1958年にわたる。ゴンブロヴィッチは1939年、アルゼンチンを旅行中にナチスがポーランドに侵攻、国に帰ることが出来なくなった。
ピニェーラは『フェルディドゥルケ』をスペイン語に翻訳する手伝いをしてくれた人である。それが亡命作家ゴンブロヴィッチの活動再開に繋がった。
アレナスの自伝は(長編小説扱いで)PTLでいずれ取り上げるつもりだが、引用したくだりはアレナスが、キューバに帰ったピニェーラからゴンブロヴィッチとのエピソードを伝え聞いたものだ。アレナスもゲイで、文化人が弾圧され自由のないキューバから、船でフロリダに亡命する。そして異国で自死を遂げた。
ゲイはどこの国に生まれてもその本質ははみ出し者で、国家体制や政治情勢にはかなく翻弄され、ノマドとならざるを得ない場合が多い。ゴンブロヴィッチはブエノスアイレス時代「可哀想なポーランド人」と呼ばれていた。アルゼンチン文学界のドンだったボルヘスを嘲笑するなど畏れ多いが、まあ、コジキ扱いされた意趣返しだろう。
表面的に見ればその人生は悲劇的だが、見知らぬ異国でも案外お楽しみな人生を送ったのかなとも思える。事実、『トランス=アトランティック』に翻訳が併録された同時期の日記では、ゲイとしての活動はかなりお盛んだw。
彼は生涯に長編を4作と短編集、そして3作の劇作を遺したが、南米旅行の最中、祖国で『憑かれた人々』という長編を連載中に亡命を余儀なくされ中断。そのまま未完成となっている。
亡命直後はかなり困窮し、ポーランド人コミュニティの援助で生き永らえる。後にはブエノスアイレスのポーランド系銀行に勤めながら、土日に旧作をスペイン語に翻訳刊行。創作も再開した。
今回取り上げるのは、ブエノスアイレスで執筆された、1960年の第三長編『ポルノグラフィア』である。
タイトルがセンセーショナルを狙ったものと勘繰られそうだが、確かに題材もセンセーショナルではある。但し前述の通り、作者が読者に親切ではないだけ。それだけのことで、小説の難解さはレベルが上がってしまう。
難解だの不可思議だのと、これからゴンブロを読んでみたいと思う読者を門前払いするようだが、まあ確かに読む人を選ぶ作家であることよ。代表作『フェルディドゥルケ』のみ現在でも平凡社ライブラリーで復刊されて生き残っているのも、奇跡だと思う。
作者名もなかなか定訳がない。訳書によってまちまちで大混乱。ゴンブローヴィッチ、ゴンブロヴィッチ、ゴンブローヴィチ、ああややこしい。「〜ヴィッチ」という人名は、スラヴ系語圏で「〜の息子」を意味するものであるし、「永遠の青二才」ならそこを省いても怒られないだろう。
今後、彼のことを「ゴンブロ」と呼ばせてもらうw。
Witold Gombrowiczは1904年にポーランドの南部、シフィェンティクシシュ州キェルツェ県マウォシツェ(早口言葉のようだ!)に生まれた。
イディッシュ語を使わない、ポーランド人に同化した都会のユダヤ系地主階級の出身で、家族ともどもワルシャワで暮らし、ワルシャワ大学法学部を卒業後パリに留学、随分と…その生活を楽しんだようだ(『日記』による)。
帰国後は法曹家として研修を積んだが、文学に傾倒し作家の道に進んだ。
ゴンブロのポーランド時代の作品は、第一長編『フェルディドゥルケ』(1938)と短編集『バカカイ』(出版は1957年)、戯曲『ブルグント公女イヴォナ』(1938)。
『バカカイ』は元は『成熟途上の記録』という「青二才」的な題で出版され、のちにポーランド時代の全短編集としてまとめられた。奇妙な短編が幾つも収められている。
「クライコフスキ弁護士の舞踏手」という冒頭の短編は、ご立派な社会的地位のある弁護士に劇場で恥をかかされた青年が、弁護士を「敬愛」してストーカーのようにまとわりつくブラック・ユーモア作品。これがおそらくゴンブロの小説デビュー作である。
1937年に雑誌に掲載された『フェルディドゥルケ』は「おちり」「つら」「みどり」というキーワードが満載の大長編で、主人公は冒頭でいきなり誘拐され小学生にトランスフォームされて(江戸川コナンか?)、悪ガキたちの中に放り出される。
劇作の分野でも『ブルグント公女イヴォナ』は、稀代の醜女イヴォナの婚約をめぐる悲喜劇で、『バカカイ』所収の「純潔」と併せて、女に対する非情で冷徹で皮肉な眼差しを堪能できる。晩年には秘書であるリタ女史と結婚したゴンブロ氏だが、基本的にミソジニックであったのだろう。
成熟しない反抗的な「青二才」として登場するゴンブロの主人公たちは、社会的なロールモデルたり得ないゲイの姿と重なる。結婚して子孫を残さず、性的な放縦に身を任せ、同胞が虐殺されて祖国が侵攻されていても異国で男漁り。そのライフ・スタイルは到底、ストレートの市民たちに受け入れられ難い。自身は「ポーランド人的心性の裏返し」などと言っているが、何てことはないどこの国でもゲイが陥りがちな状況だ。反抗と孤独、蔑視と人恋しさ。
そんなゴンブロが描く『ポルノグラフィア』は、一般的な「ポルノグラフィー」とは真逆のテキストである。好色なものを期待して手に取る読者に唾を吐きかける、なかなかにチャーミングな中編である。
