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本土決戦と外国人強制労働


松代大本営地下壕(撮影:the search of true) 

私が各国内の「民族」にこだわるのは、その血脈や宗教などのつながりを見なければ何もわからないと考えているから。大陸は島国の日本とは異なり、時代によって国境が動き、民族の混在が当たり前であることは日本人には実感が持ちづらいかもしれません。

なぜ、日本は傀儡国家として満洲を建国したのでしょうか? 
なぜ、かの地でなければならなかったのでしょうか? 

ラストエンペラーの愛新覚羅溥儀は「満州族=女真族」、中国東北部(旧満州)に居住していたツングース系の民族です。12世紀に金(きん)を、17世紀には清(しん)を建国し、1019年(寛仁3年)には「刀伊」と呼ばれる女真族が九州北部を襲撃した「刀伊の入寇」という事件も起こっています。

さて、現在の日本における外国人問題を理解するときに欠かせないのは、戦時中の外国人労働者の存在です。今回は、長野県で働かされた朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜を取り上げますが、詳細を知れば知るほどに現在の技能実習生制度を彷彿とさせるのです。技能実習とは程遠い底辺労働への人員配置は現代の奴隷制度と揶揄されるもの。しかも、半ば騙されて来日させられる状況も酷似しています。

下記は、長野県内の主要な現場における外国人労働者の概数
■北信 信濃町 日本焼結工場     朝鮮人約100人 中国人125人
     松 代 松代大本営工事    朝鮮人約7000人
     長 野 長野日工場建設    朝鮮人300人
     須 坂 須坂通信施設用地下壕 朝鮮人約200人
■東信 上 田 上田地下飛行機工場  朝鮮人約4400人
■中信 松 本 陸軍松本飛行場    朝鮮人約1000人
     松 本 松本地下飛行機工場  朝鮮人約7000人 中国人503人
     大 町 昭和電工大町工場   朝鮮人約447人
     木 曽 御岳発電所工事    朝鮮人5098人 中国人1718人
     木 曽 上松発電所工事    朝鮮人866人 中国人279人
■南信 諏 訪 諏訪鉄山       朝鮮人231人 連合郁軍捕虜247人
     平 岡 平岡ダム       朝鮮人約2000人 中国人884人 
                    連合国軍捕虜約300人
     飯 島 飯島発電所      朝鮮人約2500人
■全県 上伊那郡など 農耕勤務隊   朝鮮人約2500人
※1 朝鮮人労働者は各現場での証言、調査を集計、自由渡航を含む
※2 中国人労働者は「外務省報告書」「華人労務者就労事情報告書」


松代大本営地下壕(撮影:the search of true) 

「強制連行」の内実について

「強制連行」「強制労働」との表現はものすごい威力ある言葉で、特に「強制連行」はかつて、アフリカの黒人が奴隷船に積み込まれ、北米など各地で人身売買された光景が脳裏に浮かぶのではないでしょうか? 少なくとも、私にはそのイメージが付きまといました。

長野県における外国人強制労働の特徴として、1937年(昭和12年)に日中戦争が始まり、広大な中国大陸を舞台に終結の見通しがつかない長期戦に移行するなかで、戦場へ兵士を投入する一方、国内では深刻な労働者不足が生じました。それを解消するために、朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜の使役が始まったのです。朝鮮人については名簿が残されておらず、「自由渡航」「募集」「官斡旋」「徴用」などの動員の経緯がさまざまであることから、推計の域にとどまっています。しかし、「募集」は、移入を希望する日本企業が募集人を派遣して募集にあたり、「官斡旋」は、募集の目標数を郡や村などの行政区に割り当て、農民の個人情報に詳しい現地の役人が人選や狩り出しに協力する体制でした。また、「徴用」は、国民徴用令に基づき、徴用令書を交付して、文字通り強制的に動員するものでした。

『本土決戦と外国人強制労働』より引用

松代大本営工事にかんしていえば、朝鮮人の出身地に偏りがみられます。確か、日本企業の募集要項にも「地域」が特定されていたものを私は見たことがあります。つまり、私たちは朝鮮半島全土から日本へ「強制連行」「強制労働」されていると思いがちですが、実際には異なります。だからこそ、冒頭で触れたとおり、各国内の「民族」を見ることがとても重要になるわけです。それは、現在の在日韓国・朝鮮人数や出身地と照合するとき、どのような結果を導き出すのかといった問題もはらんでいます。しかし、それが真実でもあります。

慶尚とはかつての中心都市であった慶州(新羅の古都)、尚州を組み合わせた合成地名であり、この周辺地域を慶尚道と呼びます。行政区画としては李氏朝鮮の時代に東西に分けられたりなど試行錯誤が行われ、1896年勅令第36号で朝鮮八道における慶尚道の北半分を慶尚北道と定めた歴史に由来します。朝鮮半島の地域対立は古く、初の統一国家高麗の初代国王、王建にまで遡る必要があります。特筆すべきは、古代朝鮮の「高句麗」と、そこから日本へ移住した人々(高麗人)や、彼らが居住した地域(高麗郡)を指す言葉は他に「狛」「駒」「巨摩」などの漢字があてられ、日本各地にも複数見られること。また、高麗郡に祀られている高麗王若光や、高麗神社も関連しますが、現存する世界最古の本格的な天文図はキトラ古墳(奈良県明日香村)の天井に描かれた北斗七星は日本からではなく、高句麗から見た天体であることはご存じでしょうか?

余談ですが、吉田茂(旧姓:竹内/旧福井藩士で横浜の貿易商(元ジャーディン・マセソン商会・横浜支店長)・吉田健三の養子)は日本の外交官、総理大臣として有名ですが、実母の身元は今でも不明とされています。ちなみに、旧吉田邸は神奈川県大磯にあり、戦後の本部として使用されていましたが、高麗山が近くにあることは偶然なのでしょうか?




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