展示「国宝 松林図屏風」(東京国立博物館)その2:前記事の約束を後悔、しかし日本美術の新たな視界が広がった(専門家の意見)
(長文になります)
本記事は、昨年2月23日に投稿した、下記の記事の続きです。
なぜ、1年近くも本記事の投稿が遅れたのか、その理由は今年の正月に再度《松林図屏風》を見に東京国立博物館を訪れた下記の記事で書きました。本記事を読む前にお読みいただければ幸いです。
はじめに
2月23日に投稿した、長谷川等伯の《松林図屏風》についての記事の末尾で、次のように約束しました。
この名作《松林図屏風》を専門の人々や他の分野の著名人はどのように鑑賞しているのか知りたくなってきました。
次回、その2では人々のこの絵の鑑賞法について探ってみたいと思います。
知識、経験が変われば見方も変わる。実物鑑賞変遷記」

出典:東京国立博物館展示(2024) 筆者撮影
しかし、この「専門家」や「他の分野の著名人」が《松林図屏風》についてどのような鑑賞をしているのかを次回、記事にするという約束をしたのですが、作業に取り掛かってすぐに後悔することになりました。
それは、各界の人々の《松林図屏風》についての文章を探すことが難しかったのではありません。むしろその逆です。あまりにも広範囲の分野の人々が発言していて、彼らの言説のもととなる思想背景を読み解くのにかなり手こずったからです。
実際、本棚の私の蔵書に手を伸ばせば、いくらでも《松林図屏風》についての記述が出てきますし、普段利用している図書館でも、わざわざ検索せずとも、美術書のコーナーに行けばすぐに見つかります。
そして書いているのは日本美術の専門家(学芸員、大学教員、骨董商、鑑定家、日本美術評論家、収集家)だけでなく、西洋美術の専門家(西洋美術史)アート全体の専門家(哲学・美学者、デザイン学者、文学者)、そして創作をする人(画家、版画家、イラストレーター)、はたまた一般の評論家、小説家、など専門外の人々まで驚くほど広範囲に亘るのです
私は思いました。この状況って凄いことではないだろうかと。
考えても見てください。ある特定の傑出した画家ならまだしも、たった一枚の絵に対してこれだけの人々が発言している例は日本の絵画でほかにあるでしょうか?
もちろん、すぐに反論が出てくるでしょう。葛飾北斎の、世界に冠たる”GREAT WAVE”(神奈川沖浪裏)があるではないかと。

出典:浮世絵検索
確かに《神奈川沖浪裏》は、全世界の人々の発言を加えれば、圧倒的に多いと思います。
最近の記憶でも2017年に大英博物館で開催された「Hokusai: beyond the Great Wave」展のテレビニュースでその熱狂的な人々の人気ぶりが映し出されていたのを思い出します。ですから、北斎がヨーロッパに知られた19世紀以来、この作品についての発言は膨大なものになるでしょう。
一方《松林図屏風》は私の知る限り、作品どころか作者の長谷川等伯の名前も海外ではほぼ無名といってよいのではないでしょうか。
今回私が当惑したのは、日本人作家の特定の一作品について、これほど多くの人たち、しかも専門家から専門外の人たちによって語られているとは予想もしなかったのです。
有名な作品だというからの評価ではありません、海外の評価ではなく日本人自ら評価した点が大きく異なる点だと思うのです。
もしかすると《松林図屏風》に、海外の人には伝わらない、日本美術の独自性を本能的に感じているからこそ、これほどまでに幅広い階層の専門家が発言しているのではないでしょうか。
この記事では、《松林図屏風》に対する日本人の高評価がどの辺にあるのか、専門家、識者の意見を概観して探ってみたいと思います。
なおお断りしますが、この記事で紹介する専門家、識者の発言は、検索を使ったり、研究手法に従って網羅的に集めたものではありません。私の手持ちの書籍と普段出入りしている図書館の書棚で直接見て集めたものばかりです。言い換えれば、ごく簡単に目に触れるほど《松林図屏風》について多くの人々が発言しているかを示しています。
概観:《松林図屏風》の各界の専門家、識者の意見(表1、表2)
表1および表2に今回私が目にした《松林図屏風》に対する各界の人々の意見の要点、キーワードをまとめたものを示します。
ここで最初にお断りします。表に示しておきながら以下のお願いするのは大変心苦しいのですが、この二つの表の「解説・評論・感想要点」の欄を最初に読み込む必要はありません。
当初この表に要約を書いていたところ大きくなりすぎたので、どんどんそぎおとして小さくすることにしました。しかしある程度の大きさになったのはよいのですが、文章ともキーワードともつかぬ文になり分かりにくくなってしまいました。
次章では個々に説明いたしますので、ここでは、左端のどのような分野と著者がいるのかを見るだけにして、次章を読むときに必要に応じて見ていただければと思います。


もともと私が《松林図屏風》を見た動機は以下の観点でした。
2)日本の水墨画は中国と何が違うのか? 単なる物まねではないのか? 雪舟はどこがすごいのか? 桃山期以降の水墨画をやまと絵との対比や視点でどのように鑑賞するか? 禅画はどう位置付けたらよいのか? 日本の文人画(南画)は中国の文人画に対してどのように考えたらよいのか・・・
https://note.com/wataei172/n/nd8174222c96d?magazine_key=m1d12ff3866d1
はたして私以外の人は以上の観点をどのように考えているのか、あるいは私とは違う見方があるのか、以下概観してみたいと思います。
冒頭には、私が東京国立博物館で撮影した《松林図屏風》の写真を載せましたが、細部を見ることが出来る図を示します。

出典:Colbase(https://colbase.nich.go.jp/)

出典:Colbase(https://colbase.nich.go.jp/)
(1)日本美術専門家
ひとことで日本美術専門家といっても範囲が広すぎます。私が選んだのは手元にある蔵書および図書館の美術書コーナーの本になります、ですから学術論文を読んだわけではありません。
一般美術書やムック本、美術全集の解説記事が中心で、日本美術の中でも室町、安土桃山時代の日本美術史の専門家が結果的に集まりました。
表1には著者の名前と記事を書いた時点での所属を記しました。また表の右側の欄には出典と出版年を、古い順から並べています。
これらの美術史家は、記述した時点までの学術研究の成果をもとに一般読者向けを意識して書いているので全体的に似た内容になるのは仕方がありません。以下その内容のポイントを順不同に記します。
1)「日本的水墨画の最高傑作」(辻)「日本の水墨画が到達しえたもっとも高い頂点の一つ」(鈴木廣之)「日本の水墨画の最高傑作」(島尾新)「日本水墨画の最高到達点」(秋元雄史)「日本でもっとも人気のある水墨画のひとつ」(島尾新)という最高位の褒め言葉が並んでいることから分かるように、人文科学としての立場から逸脱し,学者としてはめずらしく「価値」について言及している。他の専門家も口にしないまでも同じ前提で解説文を書いていることが分かる。
2)美術史の研究者として、「主題」、「様式」、「画家の人生と作品変遷、作品発見、真贋同定と分析」、「画家自身の画論」、「画法、画材、筆遣いなど技法」「作品の使用形態」など論文の課題とその時の最新の研究成果(仮説と論証)をもとに解説文を書いている。
3)主題が「松」のみからなるのは、中国の水墨山水では例がなく、やまと絵の「主題」から来ているとする。
4)「様式」については牧谿の作品の研究から来ているとし、藁筆の使用、空白の取り方など、等伯独自の様式に達していると指摘、しかも他の等伯作品には類似作品が全く無く「突然変異」のような作品とまで言う専門家もいる。この部分が、日本的な水墨とは何か、すなわち中国と異なる部分について記述が、学術的な重要な観点の一つとなっている。
5)もう一つの重要な観点は、構図の問題で、《松林図屏風》は、もともと襖絵か何か障壁画だったものを何者かがトリミング、屏風に仕立て直したことが学術的に明らかにされたことで、それについての記述が多い。
5)美術史家らしくほぼ全員が、等伯の「生涯」「作品とその変遷」「新発見作品と真贋同定、分析」に基づき「松林図屏風」を位置付ける。
以上のようにポイントをまとめましたが、冒頭で述べた様に、表1にまとめた意見のキーワードではその根拠がわかりません。そこで主なポイントである「筆法」、「余白」と「屏風への仕立て直し」に関する部分についてそれぞれ元の文章の要約を以下に示します。それぞれ読んでいただければ、日本美術の専門家がどのような根拠を基に各ポイントについて考えているのかが分かると思います。
少し長くなりますが、上記まとめの根拠を確認されたいかたは、お読みください。日本美術専門家の記述リストの後に私自身の鑑賞結果に基ずくコメントも加えています。
「筆法」についての各専門家の記述(要約)
牧谿風の行草体の筆法、水墨の暈染(ぼかし)を加えた大胆な様式、ひと叢ごとに沈静、大気の静謐な緊張と重みを受け止める、極度に受動的な、清浄な感性に満つ。
牧谿から学んだ筆法を自由に活用、明るくすがすがしい画面の調子は松を四つの叢に分け、間を持たせながら律動的に配置した構図の妙によるもの。
朝霧にけむる松林、夕刻の一瞬、驟雨を感じるのも鑑賞者の自由にゆだねられる。いずれにせよ、湿り気をおびた大気のなかを光と影が交錯するうつろいの時間。江南系山水画表現、牧谿画を存立基盤と考えるべき。
藁筆様での表現は牧谿画による、光への興味は玉澗画に拠るか、やまと絵伝統のモチーフ、松林を水墨画で描く点は等伯水墨画の清新さが凝縮。
筆の動きも鋭利かつ巧妙だ、基本は没骨描、溌墨と渇僕の技法が目立つ、荒々しい筆致、速度も尋常ではない。すべての形象が偶然性に依存、これほど大きな画面を破綻なく仕上げるには、偶然性に賭ける大胆さと、筆の動きを巧みにコントロールする繊細さを併せ持つ、高度の技法と熟練が求められる。草稿といえども、本番さながらの気迫を持って描き切らなければ、完成することができない描法。
背景の濃淡を計算して描いているから霧が立ち込めた空間を作りあげられた。牧谿や玉澗以外にもいろんな要素が流れ込んでいる。等伯は絶対あの風景を見ている。でも実景が即<松林図>ではなく、図像的な淵源(やまと絵)もある。地面の上に踊るような根は、<日月山水画屏風>と似ている。水墨画のスタイルで描かれながら、大和絵のエッセンスを取り込んでいるため中国臭がしない、それが現代人に愛される理由。
水墨画の世界で等伯が確立しようとした世界を代表するものは「枯木猿猴図」、牧谿筆「観音猿鶴図」を学び答えを出した。牧谿の猿図は、枯木が画面左上の虚空間につきぬけ、枝、樹幹は没骨の柔和なトーンで空間に溶け込むのに対し、等伯の猿図は、樹幹の輪郭は淡墨線を使い、枝は濃墨の勢いのある線、強弱をつけて各枝の存在を主張する、淡墨の樹幹と濃墨の枝がせめぎあい戦っている。墨の濃淡を極端にしたのが「波濤図襖」である。濃淡による直線的な岩皺が、岩の余白の白地のように輝き始めている。岩の間を鉄線描に近い波が奔放に走る。等伯は一方で、線に見えないような線を工夫し、濃淡で対比させることを試みた。「松林図屏風」がそれである。右隻右端の二本の松に注目、右の松は濃墨で幹、枝、葉叢が描かれ、左の松は淡墨で描かれる、没骨描に見えるが樹や枝にはしっかりした線、濃墨の松では枝の輪郭に細い線、淡墨の末にも淡い線が引かれる。三本目も没骨風でありながら細線も施される、ここでは濃淡の線を競わせながら、パッと見には線に見えず、牧谿の没骨描に近い表現に達している。これが等伯流の牧谿理解だ。
日本的水墨?ざざっとシンプルに描かれる松は水墨山水のルール違反、それが等伯の新しい発想。梁楷の「農人の冷えたる躰すきなり」(等伯画説)、世阿弥の「さびさびとしたる」「冷えたる曲」、心敬の「冷え寂たる方を悟り知れ」、朱光も「冷え枯るる」「冷えやせる」を使う、千利休とのつきあいもあった。晩年の等伯のベースに「冷えたる」があり「松林図」がそうだったとしても不思議ではない。
「余白」についての各専門家の記述(要約)
純粋で単一の余白は宋元画や日本の中世水墨画と違い日本人の感情に密着した親しさあり、作者も意図しなかった日本的な風土化した空間、狩野派とは別の和漢の融合、初めて日本人なりの水墨画の創生、日本的な題材と日本人の感性に密着した題材解釈、そして湿潤で、豊かな、日本人の体質によく合致した生命感情にあふれた空間の造成だった、「等伯画説」でいう「冷えたる体」「静かな絵」
それ(南宋絵画の余白の効果)を自らのものにして見事な芸術表現を達成した、日本的水墨画の最高傑作とされる。牧谿から学んだ筆法を自由に活用、明るくすがすがしい画面の調子は松を四つの叢に分け、間を持たせながら律動的に配置した構図の妙によるもの、それを支える余白の働きが重要。
豊かな諧調を求めることによって、何も描かぬはずの余白が意味を持ちうることを熟知、「松林図」の余白は探幽の時代の余白と質的に異なる。湿潤な大気と拡散する光の粒を描写、描くことによって表現できぬものが、描かぬことによって表現しうるという水墨のパラドックスを意識している。
日本美術特有の空白の美:人は松林に漂う霧を見る、霧の湿度や冷たさを感じる人もいる。しかし霧は描かれておらず、紙の色そのままの膨大な余白があるのみ。しかし日本美術の余白はただのしろではない。描かない部分は空間の「遠さ」や「広がり」を表現したり、描かれたものと相対的に現れる、何かを表現する場にもなる。見事な余白の美は等伯の感情とないまぜになった霧や湿潤な大気の表現。この私的で情緒的扱いこそ、日本の水墨表現の特徴の一つである。
松とともに画の主役になっているのは「余白」。「どこからどこまでが霧で、どこからが空?」の問いはむなしい、境界がはっきりするわけではなく、淡墨と紙の白のトーンで光と霧のイメージを創り出す、「手前」「奥」もあいまい、「余白」と淡い墨とは、前にありながら後ろにも繋がり、不思議な空間を作り幻想的な雰囲気を醸し出す。近づくと松の葉の描き方は荒々しくアクションペインティングを連想、離れると静かな風景に変化、これも「余白」のなせるわざ、濃淡の落差と連続が、ブラッシュワークを際立たせつつ包み込む。大切なのは「墨」と「紙」の織りなす関係。
「屏風への仕立て直し」についての各専門家の記述(要約)
もともとが屏風ではない、襖絵しかない、完成品ではなく下絵らしい、もとの絵を描いた画師とアレンジした「誰か」がいる。松の描き方はやや遠いところにある松の描き方、それは新しい発想、屏風を作り上げた「誰か」も見事なアレンジ、この最高傑作はクリエーターとアレンジャーの見事な共同作業の結果として生まれた。
もともとは、襖絵のための下絵、ハンコは偽物、仕立て直した人が後から押した。とんでもない趣味のいい奴がいて、たまたま残っていた絵を屏風に仕立て直した。とびきりツボにはまっているな、下絵だから。この人は俗人の極みみたいな、等伯のイメージがあまりにも上品な松林図に代表され過ぎている。この精神性、余白の美、禅の心、茶の心、これこそ等伯だと。ある面、松林図一つが孤立している、あれだけで等伯は語れない。
襖絵や壁貼付けなど障壁画の下絵を仕立て直したもの。弟子が描いた《月夜松林図》が描かれた時には屏風に改装されていた。等伯自身非常に手応えを感じたのではないか、それで屏風に仕立て直した。今後も異なる《松林図》が出てくる可能性がある、近年見つかった《檜原図屏風》がそれで弟子ではなく等伯自身の作とする方が自然。
<松林図>を見直す:両隻の画面が、直行していたと考えると、全体の構図も見えてくる。中心は雪の遠山だ、稜線を両方向に延長すると、雪山を頂点にして左右にスカートの裾を広げたような構図が荒われる。障壁画独特の手法、<松林図。のリズミカルな絵の配置が、屏風に改装した時の絶🄱妙なトリミングの結果だとわかる。本来の画面は、障壁画の常道を踏まえた、重厚ささえ感じさせるものだったろう、この屏風絵の印象批評にありがちな、センチメンタルな抒情性とは無縁のものだった。
以上の内容を、昨年1月および今年1月時点の《松林図屏風》の私の鑑賞結果を上に述べた日本美術専門家の意見と見比べると、次のようになります。
まず、昨年の私の鑑賞結果です。
模写して感じるのは、筆(藁?)さばきの思い切りの良さ、スピード感、枝の位置にお構いなく葉の位置を決めていることで、それは素描の感覚に似ている。以上から「下絵」説に私も賛同する。
松の模写を通じて、《松林図屏風》の叢松周りおよび余白は「霧という実体である」ことを感じた
すなわち、手前の松の上部の葉は濃く、下半分の葉はかなりの部分薄墨で描き分けられている。その背後の松、さらにその背後の松が薄く描かれて、単なる奥行きの差ではなく、霧が松の下半分の手前にも流れて視線を遮っている描写と判断できる。その霧は松の左右の広大な空間に続いており、単なる余白ではなく霧という実態であることを示す。
次に、今年の鑑賞結果です。
昨年の時点では、《松林図屏風》の題名が示す通り、等伯は「松林」を描いたもの、主題は松林だと思っていた。ところが今回全体を下から横から様々な角度と距離から眺めてみると、画家が描きたかったのは、松林を借りて、実は「空気」、「霧」そのものだったのではないかと思う。
左右から斜めに観ると、各叢松自身だけでなく、叢松の間の空間に霧が充満している様子が明確に感じられる。
私は、この絵(モネ展の《ジヴェルニー近くのセーヌ河支流、日の出》)を見た途端に《松林図屏風》の霧と同質のものを感じた。両者の手法は全く違うにもかかわらず・・・。
モネのチャリング・クロス橋を借りてロンドンの霧を描こうとした三十数枚に及ぶ連作を見ると、等伯と同質のものを感じる。
すなわち、長谷川等伯は松林を借りて霧(空気)を描きたかったのだ、それはモネが連作を通じて霧を描こうとした共通の画家魂がなせるわざではなかったか
以上の《松林図屏風》の実物を見て、模写も行って感じ取った内容は、ほぼすでに各専門家が述べている意見に含まれており、何も新しい見方はありません。
しかし、私にとっては、水墨画を見る力、特に中国に比べてどのような特徴があるのかを自分の眼で、実物を直接見て、専門家の意見と同じことを感じ取ることが出来たということが分かり大きな成長があったと考えます。
さらに私にとって、最近の大きな変化は以下にまとめることが出来ます。
1)1年前に、各界の《松林図屏風》の意見を集めて表(1および2)を作成した時は、字面だけを集めていて、意見の背後にある知識や理由を深く理解していなかった。
2)私自身のその後の絵画鑑賞において、西洋絵画における空気(青い空と白い雲)の描写と日本絵画における空気の描写に関心を持つことによって、西洋、中国、日本という横断的な見方から《松林図屏風》を見るようになった。
以上の変化に関連して、その典型的な事例を以下に紹介します。
それは、表1の中では字数も多くなくて目立たない辻惟雄氏(現東京大学名誉教授、多摩美術大学名誉教授)の「日本美術の見方」岩波書店(1991)からの《松林図屏風》対する見方です。
表1を作成した時は、本の中で《松林図屏風》の図が出ている部分を探して、この絵に関する記述の部分を字面だけ読んでまとめたに過ぎないのです。
ところが、その後この本を読み返して全貌を知るにいたり大変な本ではないかと思ったのです。しかも世上名高い「奇想の系譜」よりも内容的には重要ではないかと。
《松林図屏風》の部分だけを取り出して記述するのは著者に対して失礼だったと思うようになりました。
いずれ、この本については別の記事で紹介しますが、ここでは以下の点を指摘するだけにとどめます。
1.日本の美についてほとんど誰もが指摘する「余白」について、はじめて納得する記述に出会った。
2.著者は、「余白」という語は中国には無いが、「書論」、「画論」では余白の概念(何も(書)描いてい剰ない虚の空間)が述べられていること、南宋の水墨画において「残山剰水」という構図法や、梁楷の「減筆体」や玉澗の「潑墨」でも余白が大きな意味を持っていたとする。
3.等伯はこの余白の効果を自らのものにして芸術的表現を達成した。
辻氏が著書の中で例示している玉澗の《瀟湘八景図(山市晴嵐)》を下に示します。

中国 南宋時代末期 - 元時代初期 13世紀 紙本墨画(出光美術館)
出典:出光コレクション https://idemitsu-museum.or.jp/collection/painting/chinese/02.php
さらに、国内には玉澗の水墨画が存在しており参考までに以下に紹介します
確かに上で紹介した玉澗の「潑墨」の運筆と「余白」の取り方は、等伯が影響を受けたとしても不思議ではありません。
しかし《松林図屏風》の余白の鑑賞者に与える威力は、上記中国の水墨画とは異質のものを感じます。
辻氏は、それを「芸術的表現の達成」と云っているのですが、「余白」については、1960年の米沢嘉圃氏の《松林図屏風》についての論文の文章を引用し、その米沢氏の余白の議論をもとに論を展開しています。
引用文としては異例に長文ですので、よほど辻氏は米沢氏の余白についての見方に共感したのだと思います。
私も、米沢氏の「余白」の見方に納得したので、孫引きになりますが、辻氏の引用をそのまま引用いたします。
余白とは、画面における筆墨のあらわす意気(いきおいといってもよい)が、その周囲に影響を及ぼす範囲の場所であり、いい換えると、その意気と質量とに応じて、筆墨が画面の上に占める勢力圏をいうが、その勢力圏が空白となるのは、筆墨が意気の表現を完結するために、それの妨げになるような余物の介在を許さず、すべて排除してしまうからである。また、余白が意気の質と量によるというのは、筆力俊抜、墨気秀潤ならば、その余白は広く、薄弱低劣なら狭いという意味であり、たとえていえば、磁気の強弱に寄って磁場に広狭の生ずるのと同様である。だから、必要以上に広い画面に下手な雀を1羽描いて、無の芸術だと気取ってみたところで、それはナンセンスというよりほかはない。(中略)余白は作るというよりは、できるものである(米沢、1960)
引用元の米沢氏の論文:「長谷川等筆松林図屏風の画風について」『国華』814、国華社, 1960
(中略)を挟んだあとに、「余白は作るというよりは、できるものである」という言葉で引用を終えているところは、辻氏が米沢氏の「余白」についての考え方に深く同意していることを感じます。
私は絵画鑑賞に関しては、これまで絵画の実作者、あるいは創作者(例えば小説家も含む)の文章が、その言葉選び、表現方法においては、専門家(研究者、学芸員)や美術評論家の文章よりも魅力を感じてきましたが、専門家である米沢氏の上記文章の場合は、逆に専門家だからこそ作品に深く向き合って得られた、絵画の実作者、創作者では書くことが出来ない表現だと思いました。
(続く)
前回の記事は、下記をご覧ください。
