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芥川龍之介「蜘蛛の糸」の出典について[占領下の抵抗(注xxxix)]

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』(1918年)と類似した物語で、その出典として論じられてきたものは複数ある。
私の論考でも取り上げたドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(原作1879〜1880年)中の "一本の葱"、ポール・ケーラスの『因果の小車』(原作1903年)所収の「蜘蛛の糸」の2つと、ラーゲル・レーヴの『キリスト伝説集』(原作1904年)の中の「わが主とペトロ聖者」である。

芥川の『蜘蛛の糸』の主たる出典については、1960年代以降、山口静一・片野達郎・安田保雄らの詳細な検討をへて、ポール・ケーラスの「Karma: A Story of Early Buddhism」の鈴木大拙による翻訳『因果の小車』所収の「蜘蛛の糸」である事は、もはや疑いようがないものと思われる。

これらを踏まえた上で、門前真一は

いくつかの作品からとらえた異なったヒントをつなぎ合わせて、一つの作品にまとめるのは、芥川の常用の手法である。芥川は、ねぎ、ペトロの母、カンダタ物語からえた材料を、同じ俎板の上に並べながら、適当に包丁で調理して、一皿に盛ったのであろう。

『「蜘蛛の糸」論始末記ー出典と主題についてー 』
門前真一(✳︎1)

と論じ、あくまでも他の物語の関与を否定しなかった。(1971年)

しかし宮坂覺は、丹念に資料を比較検討し、芥川龍之介が『カラマーゾフの兄弟』を読んだのは『蜘蛛の糸』執筆の前であるが、ラーゲルレーヴの『CHRIST LEGENDS』(キリスト伝説集」)を読んだのは執筆の後である事、そして「OUR LORD AND SAINT PETER」(わが主とペトロ聖者)を読んだ感想として、芥川龍之介が

自分ノ書イタ「蜘蛛の糸」ト云フ御伽話ト甚ヨク似テヰルノデ変ナ気ガシタ 東西デ恐シクヨク似タ話ガアルモノダト思フ

「『蜘蛛の糸』出典考ノートーCHRIST LEGENDSへのメモを手懸りとして」宮坂覺 (✳︎2)

とメモを残していることから、

『カラマーゾフの兄弟』中の"一本の葱"について

印象深い、それも非常に単純なプロットを持った寓話が芥川の印象に残ったのではないかと十分考えられる。しかし、『蜘蛛の糸』執筆中には、想起されていなかったことはCHRIST LEGENDSによって明白である。すなわち、「東西デ恐シクヨク似タ話ガアルトノダト思フ」という書き込みから考えれば、〈西〉に〈似タ話ガアル〉ことに驚いているのである。多少なりとも、プロットが記憶にあったとしたならば、『因果の小車』を繙いた時、一つの共鳴があったはずである。むしろ、その記憶によって、"The Spider Web"は、より強烈になったであろうことは容易に想像できる。しかし、メモによって、『因果の小車』という〈東〉の材によってのみ創作されたことは明らかである。

「『蜘蛛の糸』出典考ノートーCHRIST LEGENDSへのメモを手懸りとして」宮坂覺 (✳︎2)

として、『因果の小車』以外の2作の『蜘蛛の糸』への関与を否定している。(初出1979年)

優れた論考であるが、私はこの見解には検討すべき点が2つあると思う。

1つは、芥川がメモで

似テヰル

「『蜘蛛の糸』出典考ノートーCHRIST LEGENDSへのメモを手懸りとして」宮坂覺(✳︎2)

と書いたその類似とはどういったものなのかと云うことである。

『因果の小車』の中の「蜘蛛の糸」は、話の中で僧が語る説話であり、『カラマーゾフの兄弟』に出て来る "一本の葱" は小説の登場人物が語る民話である。
これらは芥川龍之介にとって小説の素材になるものではあってもそれ自体は近代的な小説ではなかった。
しかしラーゲルレーヴの「OUR LORD AND SAINT PETER」(わが主とペトロ聖者)は民話を元にした小説である。
東西で同じような内容を持つ、民話を元にしたよく似た小説があることに、芥川は驚いたのではないかと思う。

メモの中までも作家らしく

御伽話

『蜘蛛の糸』出典考ノートーCHRIST LEGENDSへのメモを手懸りとして」宮坂覺 (✳︎2)

似た話

『蜘蛛の糸』出典考ノートーCHRIST LEGENDSへのメモを手懸りとして」宮坂覺 (✳︎2)

と茶化しているが、芥川やラーゲル・レーヴが書いているものが、単なる民話や昔話ではなく、近代的な小説である事を、芥川はよく分かっていたはずである。
ラーゲル・レーヴが民話を元にして小説を書く、芥川と資質の似た作家であることを、芥川はよく知っていたであろうが、それでも不思議な感じがしたのだろう。
そういった感じを『カラマーゾフの兄弟』の "一本の葱"からは受けなかったのだはないだろうか?そうであれば、"一本の葱'を『蜘蛛の糸』の素材の一つとして使っていたとしても、不思議はないものとおもわれる。

もう1つの点は、東とは何を意味するかということである。

1920年代前半頃に書かれたと思しき「露譯短篇集の序」の中で芥川は

近代の外國文藝中、ロシア文藝ほど日本の作家に、──と云ふよりも寧ろ日本の讀書階級に影響を與へたものはありません。日本の古典を知らない青年さへトルストイやドストエフスキイやトゥルゲネフやチェホフの作品は知つてゐるのです。我々日本人がロシアに親しいことはこれだけでも明らかになることでせう。

「露譯短篇集の序」芥川龍之介 (✳︎3)

と述べた後でこう書いている。

ロシアが生んだ近代の政治的天才、レニンのことを考へても、所謂 Europe がレニンを理解しなかつたのは餘りにレニンが東洋的な政治的天才だつた爲かも知れません。最も理想に燃え上つたと共に最も現實を知つてゐたレニンは日本が生んだ政治的天才たち、源頼朝や徳川家康に可なり近い天才です。言はば東洋の草花の馨りに滿ちた、大きい一臺の電氣機關車です。

「露譯短篇集の序」芥川龍之介 (✳︎3)

芥川龍之介はロシアを東洋として、Europeの理解の及ばぬ地としてとらえているのである。

この文章は、芥川の作品がロシア語に訳されるにあたっての作品集への序文だから、ロシア人読者へのリップサービスという側面はあったであろうが、全くのデタラメを言っているわけではないと思う。

こうした芥川の言葉は

もっぱら武力で他者を圧迫する文化を、わが中国の古い言葉では「覇道を行なう」と言うので、ヨーロッパの文化とは覇道の文化であります。しかしわが東洋は従来、覇道の文化を軽視してきました。またもう一つの文化があって、覇道の文化より優れているのでますが、この文化の本質は仁義・道徳です。この仁義・道徳を用いる文化は、他者に〔自己の〕威勢を恐れさせるのではありません。この他者に徳を慕わせる文化を、わが中国の古い言葉では「王道を行なう」と言うので、アジアの文化は王道の文化であります。

『孫文・講演「大アジア主義」資料集II: 1924年11月 日本と中国の岐路 (孫中山記念会研究叢書)』 (✳︎4)

と述べた後段で

現在、ヨーロッパに一つの新しい国があって、その国はヨーロッパの全白人が排斥しており、これをヨーロッパ人はみな猛獣・毒蛇であって、人類でないかのように見なし、これに近づこうとはしないのですが、わがアジアにも同じ見方をする者が多数います、その国とは、どこでしょう。それはロシアです。現在ロシアは、ヨーロッパの白人と袂を分とうとしています。何故そのようにするのでしょう。それはこの国が王道を主張して覇道を主張せず、仁義・道徳を唱えようとして、功利・強権を唱えることを望まず、公道を極力主張して、少数が多数を圧迫することに賛成しないからです。そうすると、ロシアの最近の新文化は、わが東方の旧文化に極めて合致するので、この国は東方と手を携えて、西方と袂を分とうとするのであります。


『孫文・講演「大アジア主義」資料集II: 1924年11月 日本と中国の岐路 (孫中山記念会研究叢書)』 (✳︎4)

と語った孫文(孫中山)の神戸高等女子学校の講堂で行われた講演「大アジア主義」(1924年)を想起させる。

もしかしたら芥川はこの演説の内容を間接的にでも聞いていたのかもしれない。
もしそうなら、孫文の言葉が先の文章を書いた時の芥川の念頭にあった可能性はある。

しかし例えそうであったとしても、芥川龍之介のような日本の歴史・文化への造詣ぞうけいのある作家が

レニンは日本が生んだ政治的天才たち、源頼朝や徳川家康に可なり近い天才です。言はば東洋の草花の馨りに滿ちた、大きい一臺の電氣機關車です。

「露譯短篇集の序」芥川龍之介(✳︎3)

というような表現へと導かれていったのは、ロシア文学を通じて、既にそこに東洋に通じるものを感じていたからこそであろう。

そしてロシアをアジアに近づけて捉える見方は、芥川龍之介と孫文に見られるようなロシアの十月革命を肯定的に評価した発言に限られたものではない。

例えば東洋的専制主義を水力(水利)社会という独特の概念を使って分析したウィットフォーゲルは、ロシアの西洋的要素を認めつつも、東洋的専制主義に近い国家として捉えている。(1957年)

ロシアはタタールのくびきと呼ばれるモンゴル帝国の支配を受けた時期(13〜15世紀)があり、そこから脱した後も、現在に至るまで、広大な領地の多くをアジア諸国と接しているのだから、当然とも云える。
ロシアは西をヨーロッパと接しつつ、東は日本と接する、日本の隣国でもあるという事を忘れてはならないだろう。

それに対してスウェーデン(北欧)は、西洋科学の基礎を築いた分類学の父リンネ(1707〜1778年)を産んだ地であるり、芥川にとって明白にEurope(西洋)だったのではないだろうか?
それは西ヨーロッパとは異なった伝統から出てきたラーゲル・レーヴなような作家のことを知っていても、なおぬぐえぬ感覚だったのではないかと思う。

こうした事を踏まえるならば

東西デ恐シクヨク似タ話ガアルトノダト思フ

「『蜘蛛の糸』出典考ノートーCHRIST LEGENDSへのメモを手懸りとして」宮坂覺 (✳︎2)

というメモの東西が何を意味するかについては、慎重に検討しなくてはならない。

① 東(日本を含むアジア)/西(ロシア・スウェーデンを含むヨーロッパ)なのか
それとも
② 東洋Orient(日本・ロシアを含む)/西洋Europe(西ヨーロッパと北欧を含む)であるのか。

②であるなら、宮坂覺の論は成り立たない。

以上2つの点から

『OUR LORD AND SAINT PETER』(わが主とペトロ聖者)に対する芥川の

自分ノ書イタ「蜘蛛の糸」ト云フ御伽話ト甚ヨク似テヰルノデ変ナ気ガシタ 東西デ恐シクヨク似タ話ガアルモノダト思フ

「『蜘蛛の糸』出典考ノートーCHRIST LEGENDSへのメモを手懸りとして」宮坂覺 (✳︎2)

というメモの存在だけによって、『カラマーゾフの兄弟』の "一本の葱" が芥川の『蜘蛛の糸』の執筆にあたって何らの影響も与えなかったとするのは拙速せっそくに過ぎるのではないかと私は思う。

『蜘蛛の糸』執筆後に読まれたラーゲルレーヴの『OUR LORD AND SAINT PETER』(わが主とペトロ聖者)が素材の一つでない事は明らかだとしても

いくつかの作品からとらえた異なったヒントをつなぎ合わせて、一つの作品にまとめるのは、芥川の常用の手法である。

『「蜘蛛の糸」論始末記ー出典と主題についてー 』
門前真一(✳︎1)

という門前真一の言葉は芯を捉えているように思われる。まだ誰も気が付いていない思いがけない素材もあるのかもしれない。

清水康次は『「羅生門」の世界と芥川文学』(✳︎5)で、芥川龍之介の小説『羅生門』がいかに複雑な経緯を経て完成したかを描き出している。
『蜘蛛の糸』についても同様のことが云えるのではなかろうか?

同じ俎板の上に並べながら、適当に包丁で調理して、一皿に盛ったのであろう。

『「蜘蛛の糸」論始末記ー出典と主題についてー 』
門前真一(✳︎1)

といった表現ではおそらく単純すぎる。

芥川が物語を取り込むやり方は、もっとダイナミックなものであろう。
それは諫早勇一が「"The onion broke"ー『蜘蛛の糸』と『カラマーゾフの兄弟』をめぐる若干の考察」で指摘しているように"一本の葱"が実は葱というよりはタマネギなのだとしても、変わらない(✳︎6) 。柔軟に『蜘蛛の糸』の中に織り込まれていったと思えてならない。

自分ノ書イタ「蜘蛛の糸」ト云フ御伽話ト甚ヨク似テヰルノデ変ナ気ガシタ 東西デ恐シクヨク似タ話ガアルモノダト思フ

「『蜘蛛の糸』出典考ノートーCHRIST LEGENDSへのメモを手懸りとして」宮坂覺(✳︎2)

というメモは、原典をもとにして小説を作り上げることの動的な難しさを知っているからゆえの驚きであり、西の作家ラーゲル・レーヴへの共感でもあったのだろうと思う。


✳︎引用文献:

  1. 門前真一「『蜘蛛の糸』論始末記」『天理大学学報』72号、1971年。

  2. 宮坂覺「『蜘蛛の糸』出典考ノート――CHRIST LEGENDSへのメモを手懸りとして」
    関口安義編『芥川龍之介作品論修正 第5巻 蜘蛛の糸 児童文学の世界』、1999年、26〜39頁。

  3. 芥川龍之介「露譯短篇集の序」
    『芥川龍之介全集 第九巻』岩波書店、1978年。(青空文庫所収テキストによる)

  4. 孫文「大アジア主義」(1924年、兵庫県立神戸高等女学校講堂での講演)
    『孫文・講演「大アジア主義」資料集II: 1924年11月 日本と中国の岐路 (孫中山記念会研究叢書)』愛新翼・西村成雄編 248〜258頁

  5. 清水康次『「羅生門」の世界と芥川文学』
    大阪大学出版社 2019.1.25

  6. 諫早勇一「“The onion broke”――『蜘蛛の糸』と『カラマーゾフの兄弟』をめぐる若干の考察」
    『人文科学論集』第19号、1985年、107–114頁。

参考文献:

  1. 山口静一「『蜘蛛の糸』とその材源に関する覚書」『成城文藝』32号、1963年。

  2. 山口静一「芥川龍之介とポールケーラスー『蜘蛛の糸』とその材源に関する覚書き再論ー」
    関口安義編『芥川龍之介作品論修正 第5巻 蜘蛛の糸 児童文学の世界』、1999年、7〜25頁
    (初出1978年)

  3. 片野達郎「芥川龍之介『蜘蛛の糸』出典考」『東北大学教養部紀要』7号、1968年。

  4. 安田保雄「『蜘蛛の糸』の原典とその著者について」『比較文学』13号、1970年。

  5. 芥川龍之介『蜘蛛の糸』(原作1918年)
    『芥川龍之介全集2』ちくま文庫、1996年。
    (青空文庫掲載テキストによる)

  6. ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(中)
    新潮社(kindle版)
    発行 2016年7月26日
    訳者 原 卓也
    (原作1879〜1880年)

  7. 『因果の小車』
    ポール・ケラス 著
    鈴木貞太郎 訳
    出版: 東京 : 長谷川商店
    出版年: 1898(明治31年)
    (Kindle版テキストを参照した)

  8. セルマ・ラーゲルレーヴ「わが主とペトロ聖者」
    キリスト伝説集(原著1904年)、岩波書店、1955年、203–218頁。
    (イシガ・オサム訳)
    ※岩波書店版『キリスト伝説集』第36刷(1990年)を参照した。

  9. カール・A・ウィットフォーゲル『東洋的専制主義』論争社 
    昭和36(1961)年9月5日(原著1957年)
    訳者: アジア経済研究所


この記事は志賀直哉の「国語問題」についての論考に付した注です。↓

志賀直哉「国語問題」についての論考

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