『最高の普通』が今の私にちょうどいい― 定年後に再発見したGS9Fクオーツ ―
今年3月、37年間勤めた会社を定年退職した。
2ヶ月間、この先どうしようかと考えていたが、
心機一転、6月に再就職した。
マンション管理人だ。
新しい職場は、あるマンションの管理人室。
もう何十年も昔になるけれど、大学を卒業して就職した時のことをふっと思い出した。
そういえば、就職活動するからといって、5万円くらいのクオーツ時計を買った。
その時計をして、その時計とは違う、時計メーカーに面接に行って、
『いい時計しているね』と言われたな。
当時は何も考えていなかった。
後で後悔したものだ。
そりゃそうだろ、時計メーカーなんだから、まずは時計に注目するだろう。
どこの時計をしているのか、興味があるよな・・
自分自身、精神的には当時と変わっていないと思うのだか、鏡を見た自分は、もう若くない。
マンション管理人の面接をしていただいた方は、自分の子供と同じくらいだった。
その面接官の方からも『いい時計されてますね』と言われて、当時をフラッシュバックした。
面接に着けていったのは、グランドセイコー9Fクオーツだ。
あくまで偏見だが、メカニカル、特に舶来を着けていると高級外車に乗っているようなイメージを与えてしまうと思っている。
そういう意味では、このグランドセイコー9Fクオーツは嫌みが無く、“まじめなおじさん” というイメージになっているのではないか。
定年退職した会社では、メカニカルを中心に着けていたけど、今度のマンション管理人の仕事では、心機一転、このグランドセイコー9Fクオーツを着けていこうと思う。
この時計は、月に2〜3回しか着けてこなかったので、キズも少ない。
精度の高いクオーツは、昔から欲しかったのだが、購入しても4年間あまり出番がなかった。
たまには、日差の精度のことを考えずに着けれるかと思って、精度の高いクオーツを購入したのだが、当時はメカニカルが面白くて、やっぱりそちらを中心に使っていた。
9Fクオーツを購入して、4年目。
昨年の3月に電池交換をしたので、1年ほど経っている。
3年電池なのだ。
通常2年電池が多い中、やや長めの寿命だ。
定年退職するまでは、毎朝、メカニカルの精度を合わせていたけど、今後は精度のいい9Fクオーツにしたので、もう合わせる必要もない。
当分、メカニカルは休み休みの出番になりそうだ。
担当のマンションに出勤する為、毎朝、自宅近く、8時ちょうど当駅発の電車に乗っている。
7時59分30秒、ピッタリに、ホームのランプが点灯し
『3番線、各駅停車〇〇行き、ただいま発車いたします。』
とアナウンスされ、
8時の10秒前にドアが閉まり、
8時ピッタリに電車がホームを出ていくのだ。
今まで、メカニカルでは確かめたこともなかったけれど、
改めて、正確な精度の時計をすることになって意識するようになった。
なんか、時計がピッタリ合ってるとうれしくてワクワクする。
また、このグランドセイコーの着け心地感も満点だ。
肌にあたる角の部分を削ってあるのでピタっと肌に吸い付いても違和感が無いのだ。
時間が見やすい多面カットの時分針、
ケースは、面がツルツルピカピカ、角もシャッキリしている。
歪みのない超鏡面、ハッキリ現れる稜線。
これは、世に言う、ザラツ研磨だ。
ザラツ研磨は、仕上げ磨きの水準を引き上げるために、面を整える「一歩手前の研磨」と言われている。
グランドセイコーのザラツ研磨は熟練度の高い職人だけが許される特殊作業だと聞く。
一回の研磨で削られる量はわずか数ミクロン、仕上がりをイメージできる能力が問われる匠技なのだそうだ。
これから、これを中心につけていくにあたり、
早速、スペックなども確認しなければならない。
どうしても追求したくなる性分なのでお許しいただきたい。
まず、時・分・秒針が、メカニカル並みに太く長いので時間がよくわかる。
もともと、外装、内装含めて、
「9Fはよくできている」とは思っていたが、
今回、電池交換後、1年使って改めて精度を確認してみたら、驚いた。
昨年の、2025年3月19日に電池交換。
その際に、ピッタリ時間を合わせてくれた。
ちなみに、メーカーに出すと電池交換だけではなく、いろいろなチェックやパッキン交換、洗浄までしっかりやってくれるのだ。

1年後の今年、2026年4月、あの時から6秒進んでいた。
カタログスペックでは年差±10秒。
おお、精度範囲内に収まっていた。
つまり実際の使用環境でも、ほぼ公称値どおりの精度を維持していたことになる。
なんと月差に直すと、+0.5秒だ。
通常のクオーツだと、月差は±15秒くらい。
普段使いなら、電波時計が必要ないと思えてしまうほどの精度だ。
着け心地感はもちろん、
時間の見やすさ、精度、
ケチのつけどころが無いような気がする。
精度+6秒という結果を見て、どうしても理由が知りたくなった。
そこで、9Fの構造を改めて調べてみた。
電池交換で驚く9Fの構造
一般的なクオーツ時計は裏ぶたを開けると、
回路、コイル、歯車が丸見えなんだけど、
9Fクオーツは違う。
裏ぶたを開けると内部に金色のカバーがあり、
機械部分が守られている。
人呼んで、『スーパーシ-ルドキャビン』
電池交換をしても、
内部の油の劣化やホコリの侵入を極力抑える構造になっている。
そこまでする?
ちなみに、グランドセイコー9Fクオーツは、
『最高の普通』を目指しているらしい。
『最高の普通』ってなんだ?
時計の普通を考えてみる。
① 今何時かがすぐわかる、見やすい
② 時間が合う
③ 腕にぴったり合う
④ 秒針が震えない
といったところか・・・
今何時かがすぐわかる・・・とは?
インデックス(時間・分・秒の印部分)がはっきりしている。
時・分・秒針がちゃんとインデックスを指しているということ。
それには、それだけの長い針が必要だということだ。
まさしく9Fクオーツはそんな時計だ。
定年まで着けていたメカニカルとそんなに変わらないほどの
時間の見やすさだ。
しかし、クオーツにしては、
針が長すぎるんじゃないだろうか?
普通のクオーツの針は、薄くて短い。
こんな針、メカニカルにしか見えない。
クオーツでこんな長い針を回すのは難しいはずだ。
メカニカルのように、トルク、いわゆる
針を回すためにはパワーが無いといけない。
クオーツのような、磁力線で回るローターの力では、こんな長い針が回せるはずがない。
ムズムズする。調べてみないと。
グランドセイコー9Fモデルのエンジンは、
『ツインパルス』というエンジンらしい。
珍しい。
普通のクオーツは1秒に電気信号は1回だけ。
しかし9Fは1秒間に2回信号を送っているとのこと。
そのおかげで、重く長い針を動かすことができるようだ。
なるほど、だから、秒針の動き方が、他のクオーツとなんとなく違うように感じるのか。
イメージ的には、スッスッと秒針が進む感じだ。
ただ、長い針を回すために考えられた、
ツインパルスエンジン。
ほとんどの9Fクオーツユーザーが知らないであろう事実だ。
『三軸独立ガイド』という機構も導入しているらしい。
三軸独立ガイド?、なんだ、それは???
3本の時針・分針・秒針は、同じ軸から出て文字板を回っているが、
これを図面上、軸同士が全く接触しないようにしたらしい。
昔、腕時計の営業をしていた頃、技術者に聞いたことがある。
『同じ軸穴から出ている針同士の干渉は完全には無くせない。どうしても接触する』
と言っていた。
私はずっとそういうものだと思っていた。
三軸独立ガイドはそれを解決したのか・・・
長い針が時間を見やすく示し、
クオーツの高精度が正しい時間を刻む。
この2つが両立しているということで、
すでに、すごい時計になっている。
しかし、精度に関しては、もう1点確めなければならないことがある。
クオーツというものは、そもそも温度、季節によって
進んだり、遅れたりするものなのだ。
それはどうしているのか?
9Fクオーツはそれを解決するために、
1日に540回の検温(160秒に1回)をして、
寒さ暑さを是正、速さ調整をしているらしい。
暑いも寒いも関係なく、1年のうち、どこを切り取っても
同じ速さで秒を刻むということだ。
難しい話だが、つまるところ、
精度に関しては、温度を気にしなくていいレベルだということだ。
そもそも、水晶振動子も試験を繰り返して
エリート中のエリートのみを採用しているらしいが、こんなことまでやっているのか。
もうこれ以上、他のクオーツ時計と違うところはないかと思いきや・・・
文字板をじっくり見ていると、
普通のクオーツ時計とは、全く違うところに気が付いた。
普通、秒針とインデックスには、僅かでもズレがあるはずなのだ。
しかし、秒針がインデックスにぴったりと合っている。
針が長いので、ズレていないのが余計にわかる。
気持ち良すぎるではないか。
何か仕掛けがあるはずだ。
普通は、秒針の位置がどこかでインデックス(文字板にある印)から少しズレてくる。
また、秒針が微妙に震える。
歯車には ”あそび” があり、回るたびに小さな衝撃が起きているから、軽い秒針は震えるし、針と目盛りのズレも出てくるのだ。
仕方ないことだと思っていたが、
なんと、輪列(二番車)に、メカニカルに使っている “ひげぜんまい” 搭載のブレーキ車を噛ませ、それぞれの歯車の ”あそび” にテンションをかけ、 ”あそび” が無いような仕組みを作ることで針の震えを抑え、ピタリとインデックスを指すようにする『バックラッシュ・オートアジャスト機構』を搭載しているそうな。
ここまで見やすさを追求するのか・・・
ほぼ、メカニカルじゃないか。
しかも
カレンダーもメカニカル機構を採用しているんだと。
『瞬間日送り機構』だと・・・
普通のクオーツだと12時ちょうどに変わる永久カレンダー、パーペチュアルを持ってくるところだが、わざわざ、どこも取り入れていないメカニカルの機構をクオーツに持ってくるなんて渋すぎるじゃないか。
この日付を瞬間的に切り替わるカレンダーは、トルクの強い機械式時計でいくつか例があったけど、クオーツでは前例がないはず。
まあ、わざわざ取り入れないでしょうけれども。
12:00~12:05の間に、1/2000秒の速さで切り替わるらしい。
バネの力を応用したもので、12時から5分以内にカレンダーを切り替えるなんて、むちゃくちゃ難しいのではないか。
おそらく何百メートルも先の的に矢を当てるようなものだと思う。
そもそも日付が変わる前に切り替わるのもダメなのだが・・
この切り替わる瞬間を肌で感じてみたいと思った。
夜中の12時過ぎ。
耳を澄ますと、
『カシャン』
小さな音がした。
普通の人なら気付かないかもしれない。
しかし、私は思わず笑ってしまった。
この小さな音の中に、
長い針を動かす技術、
年差±10秒を実現する工夫、
そして『最高の普通』を目指した技術者たちの執念も詰まっている気がしたからだ。
定年退職後の相棒として選んだグランドセイコー9Fクオーツ。
調べれば調べるほど、
この時計は単なるクオーツではなかった。
定年前まではメカニカルの面白さばかり追いかけていた。
しかし定年退職し、第2の人生を歩き始めた今になって、
この時計の良さが少し分かった気がする。
見た目、派手さはない。
しかし、中身を知れば知るほどすごいものが詰まっている。
グランドセイコー9Fクオーツ。
『最高の普通』
という言葉が、今の自分には妙にしっくりくる。
毎朝、8時発の電車は今日も定刻で発車する。
腕を見ると、9Fクオーツも同じ秒を刻んでいる。
以前の私なら気にも留めなかったが、今はそれが妙に心地よい。
2カ月間、外に出ない生活のせいで、少し歩いただけで息切れしてしまい、このまま年老いてしまうのかと思っていたが、マンション管理人の仕事を始めたおかげで、少しずつ体が慣れてきた。
朝の巡回は、空気がまだひんやりしていて気持ちがいい。
エントランスの自動ドアが開くとき、反射的に腕を見る。
長い針がインデックスを正確に指している。
ただそれだけのことなのに、不思議と気持ちが落ち着く。
ゴミ置き場の確認、掲示板の張り替え、エントランスの掃除。
どれも急ぐ仕事ではないが、時間の区切りは大切だ。
9Fの針は、まるで「次はこれだぞ」と静かに背中を押してくれるようだ。
住民の方に声をかけられることも増えた。
「いつもありがとうございます」
そう言われたとき、ふと時計を見る。
9Fの秒針が、今日も迷いなく進んでいる。
その正確さに、自分もちゃんと前に進めている気がしてくる。
昼休み、椅子に座って弁当を食べながら、時計を眺める。
メカニカルのような忙しい動きはない。
しかし、この静かな正確さが、今の自分にはちょうどいい。
37年間の会社員生活とは違う、ゆっくりとした時間の流れ。
そのリズムに、9Fはぴったり寄り添ってくれているようだ。
午後の巡回を終えて事務所に戻ると、また時計を見る。
針は、朝と同じように、迷いなくインデックスを指している。
「今日も一日、ちゃんと働けたな」
そんな気持ちにさせてくれる。
9Fクオーツは、ただ時間を教えてくれるだけの道具ではない。
第2の人生のリズムを整えてくれる、静かな相棒だ。
