物語自動再生装置
この前の連休、国立民族学博物館に行ってきた。吹田の万博公園にあるよ。

民俗学博物館は初めて。噂に聞いていたように、かなり見ごたえのある展示だった。たっぷり2時間ほど広い館内を徘徊しているうちにへとへとになったが、体力があったら絶対に丸一日徘徊してたと思う。しかも、これだけ豊富な展示内容でたったの340円(放送大学でももちろんOK)。
展示物を見るのに夢中でほとんど写真を撮らなかったのだけれど、ふと我に返ったときにいくつか撮影したので振り返ってみよう。

というかどの髪型も区別がつかん


実際に見るととても美しい

これと「目の絵」は台湾の原住民の方の作品

バイラヴ(Bhairav)
シヴァ神が怒るとこうなるらしいがちっちゃな傘が可愛い

帽子が素敵

穴が開いているので、おむつなしに寝かせても大丈夫
とても乾燥している地域だからできるデザイン?

「エレクトロニカ」という名前がとてもいい

多分、私が着ても似合うはず
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見ている間、不思議なことが起こった。どうやら館内にある特定の展示物を見ると、心の中で物語が自動再生されるようなのである。
確か、地中海沿岸アフリカの婚礼用衣装を見ていたときだったと思う。赤系のとても美しい衣装だったのだが、見た瞬間、「これは母親から受け継いだもので、小さなころから憧れていて、心から大切に思っているし着るのもとても楽しみなのだけれど、結婚すること自体がとても嫌だ。なぜ結婚しなければならないのだろう(泣)」というストーリーが流れ始めた。そして、その波はどんどん強くなっていって、涙がぼろぼろこぼれそうになって慌ててそこから離れた。
物語の別の一つは、中央アジアのゆりかごを見ていたときだった(上の写真)。この辺りの地域は青色の表現がすごいなあと思っていると(多分乾燥しているので青色が美しく見えるのだと思う。日本だと湿気のせいでグレーがかった曖昧な色になりがちである)、「子どもを抱くことなく死んでしまった。元気に育つのを見たかったのに(泣)」というストーリーが流れ始めた。どうやらお産のときに無念にも亡くなってしまった母親の物語らしい。
館内の照明は抑えられているし、来館者もそれほど多くはない。展示物を見ながら泣いていてもとくに迷惑ではなく、何も問題ないのだけれど、特定の展示物を見ると悲しい物語が自動再生される理由が謎である。
パーツの中にどういうわけか似たような物語を抱えている者がいて、そのパーツが刺激されるのかとも思ったけれど(無意識の強い力が働いているらしいところがパーツっぽい)、そもそも、そのパーツが👆みたいな物語(私個人とは無関係であるはずの物語)を抱えることになった理由がよくわからない。どうしてなんだろう?
そういえば、過去にも似たようなことがあったのを思い出した。
確か、明治時代にできた学校を見学していたときのこと。2階に続く階段を下から見上げていると、「自分はこの学校に通うことはできなかったけれど、子どもたちが学ぶ場所ができたのはとてもよいことだ。このような場所がもっと早くできていればよかったのに。学校に通いたかったなあ」というストーリーが流れ始めた。どうやらこの学校で用務員として働いていた人の物語らしい。このときは、階段にその人の影が見えるような気もした。かなり前のことである。
物語の自動再生装置を自分が持っているらしいことに何の意味があるのかはよくわからない。多分、解離によるものだとは思うけれど、これだけ感情が波打つものに何も意味がないのはどこか寂しいので、一般的な人よりは少しは人に対する想像力を持つことができればいいなあ、と思っている。
ところで…
博物館に展示されているものは、もうみんな「魂」が抜けている(抜かれた)物たちなんですよね?!呪術に使う物とかもたくさんあったけど。
というのも、一つだけ、生きている気配があるとしか感じられないものがあったので。ある部屋の壁面の少し上の方に。場所は秘密。
