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にんじんの落書きとヒトラーの写真──強制収容所跡地で考えたこと。

少し時間が空いてしまったが、ヨーロッパ旅行記の続き。

ロンドン、ベルリンと来て次はポーランドについて書くと予告していたが、その前にドイツにある強制収容所について書きたい。


今回僕が行ったのは「ザクセンハウゼン強制収容所」。

この強制収容所はベルリンから北へおよそ35km、オラニエンブルクという街にある。1936年にナチスが建設したもので、ユダヤ人や障害者、同性愛者などおよそ20万人を収容、そのうち数万人が死亡したとされている。規模の大きさに加えて、ベルリンに近いことから強制収容所システム全体を管理する「本部」的な機能を持つ収容所だった。

正三角形に近い敷地は、ナチスが理想とする合理性の象徴だったとも言われる。

赤い部分が収容所の敷地

朝、ベルリン市内のホテルを出て列車に乗り込む。30分ほど乗ったところで列車が止まり、乗客全員が降ろされた。ザクセンハウゼン強制収容所の最寄り駅は終点にある。ここが終点かと思ったら、どうやら違うらしい。状況が把握できないまま次の列車を待つが、いくら待っても来る気配はない。

電光掲示板にメッセージが流れていたので写真に撮ってAIに読ませてみると、なんと不発弾が見つかったため鉄道が止まっているとのこと。仕方なく駅を出たら、振替のバスを待つ人であふれかえっている。

スマホで調べたところ、ベルリンから北の地域ではしばしば不発弾が見つかるらしく、鉄道がストップするのは珍しいことではないらしい。

30分くらい待ち、とりあえず来たバスに乗る。ぎゅうぎゅう詰めである。途中高速道路っぽいところを走り出してどこに行ってしまうのかめっちゃ不安になったが、なんとか目的の駅までたどりついた。ここからさらにバスに乗り、ザクセンハウゼン強制収容所に到着。

ガイドセンター

来場者は多い。社会見学らしき高校生くらいの集団もいる。入場は無料で、ガイドを予約することもできる。

「ARBEIT MACHT FREI」。「働けば自由になる」という悪名高いスローガンが象られた門を抜けて、中へ。

とにかく広い。特に順路は指定されていないので、目についた場所から回っていく。

入ってすぐ、塀の前に設置された看板。かすれて読みにくいが、ドイツ語で「NEUTRALE ZONE(中立地帯)」と書かれている。

たまたま近くにガイドツアーの集団がいたので、こっそり解説を聞いて驚いた。中立なんてとんでもない。この砂利のエリアに入ったら収容者を射殺していいという意味らしい。命を絶つためにみずからここに走り込んでいった収容者もいるという。まさかのインパクトに、すごいところに来てしまったと改めて思った。

収容施設の中にはトイレや寝床などがそのまま残されており、当時の生活が想像できる。天井はボロボロになってきていて、老朽化が激しい。ここザクセンハウゼンに限らず、収容所跡の保全活動は金銭的、労力的になかなか大変なようだ。

施設内には強制収容に関する書類や収容者の遺留品などが展示されている。

入口の正面、奥のほうにそびえ立っているのはコンクリートで作られた追悼モニュメント。高さは約40mだという。

これは第二次世界大戦後に東ドイツ政府が建設したもので、上部に刻まれた赤い逆三角形は、政治犯の識別マーク。ナチスは囚人をカテゴリー別に色分けしており、赤は政治犯を意味していた。政治犯だけを象徴的に追悼している点は批判の対象ともなっているという。

モニュメントの隣には金属の柱が4本立っている。これはなんなのか、Claudeに聞いてみた。

「絞首台の跡地を示すモニュメントです」……なるほど。

ここの収容者たちが課せられた労働のひとつに、靴底の耐久テストがある。収容者たちはドイツのメーカーが作った軍用靴などを履いてアスファルトや砂利の上を延々と歩かされ、靴底の耐久性を調査した。

敷地内に施設は点在しているため、僕ら来場者は広大な敷地内をとぼとぼと歩くことになる。

日差しの下を歩く来場者たちは耐久テストに駆り出された収容者のようだ。かつての光景を再現するために集められたエキストラとすら思える。


敷地を取り囲む塀の外、三角形の敷地からはみ出した部分に「Station Z」と呼ばれる施設がある。収容者を一斉に殺すためのガス室と焼却炉が置かれた場所で「Z」は終着点を意味する。

ガス室のすぐ近くには、収容者を射殺するための壁も設置されている。これら収容者を殺すための施設は、収容者に存在を悟られないよう敷地の外に置かれていた。三角形の敷地がナチスの合理性を象徴するものだとしたら、殺戮行為は合理性の外にあるのだろうか。これ以上皮肉な話もない。


およそ3時間ほど、敷地内を歩き回ってザクセンハウゼンを出た。正直かなり疲れたのだが、今回の訪問で僕が一番心に残ったものはまだ紹介していない施設にある。

敷地のほぼ中央にある「囚人厨房」。収容者たちが料理を作る場所で、その地下室はじゃがいもの皮をむくための部屋として使われていた。

この部屋には、強制収容所の雰囲気に似つかわしくないかわいらしいイラストがあちこちに描かれている。

この絵を描いたのは収容者たち。屋外での土木作業に比べると、皮むき作業はナチスの監視の目が緩む瞬間があり、わずかに絵を描く余裕があったと言われている。

にんじんたちはメガネをかけていたり、偉そうだったり、意地悪そうだったり個性がつけられている。これは収容者やナチスの誰かを模しているとされ、少しでも収容所生活の辛さを紛らわせるためのユーモアだったのではないかと言われている。

ユーモア!

死と隣り合わせの過酷な環境でも人はユーモアを求め、提供する。強制収容所でさえも、収容者の人間性を完全に奪うことはできなかった。その証が壁に描かれた野菜たちだった。この絵を描いた人が、生き延びたかどうかはわからない。でも僕は、このイラストこそが最も気高いナチスへの反抗だと思えた。

敷地内を歩き回り、Station Zを見たときには「人間って最悪だな」と思った。そして野菜のイラストを見たときは「人間って素晴らしい」と思った。

でもここで少し立ち止まってみる。わざわざ日本からドイツまで来て、人類史上まれに見る惨劇の現場に立って、こんなヒューマニズムに心を温めて満足していてよかったんだっけ?

視点を真逆に向けてみよう。

強制収容所を作ったナチスのトップはアドルフ・ヒトラーである。極悪非道の存在として語られる彼だが、そんなヒトラーにも僕たちは人間性を見つけようとしがちだ。

例えば、ヒトラーには仲良しのユダヤ人少女がいたという有名なエピソードがある。彼らの仲睦まじい様子は写真にも収められている。僕たちがこの写真を興味深く見るのは、ここにヒトラーの欺瞞が現れているだけでなく、人種を越えた優しさが映し出されているように思えるからだ。数年前のオークションでこの写真に付けられた約130万円の落札価格は、ヒトラーに人間性の証拠を求める願望の強さを示している。

映画『ヒトラー ~最期の12日間~』における、追い詰められたヒトラーが作戦会議で取り乱すシーンはネットミームとなって大量消費された。そのシーンを繰り返し見る僕たちは、ヒトラーはバカなやつだと思いながら、どこか親近感を覚えてはいなかったか。

ヒトラーは自殺する直前、恋人のエヴァと結婚式を挙げる。この場面が様々な小説、映画、マンガで何度も何度も描かれてきた理由は、いわずもがなだろう。

なんだ、絶対悪のヒトラーも結局は人間性を捨てられなかったんじゃないか。この考えは、僕が地下室で野菜のイラストを見たときに生まれた気持ちと表裏一体である。決して重ね合わせてはならない加害者と被害者を、僕は同じ視点で見て無責任に感動している。

もう一度、この強制収容所で見たことを思い出してみる。門を入ってすぐに目に入った「中立地帯」の看板。あの看板に向かって走った人は、人間であることをやめたのではない。最後まで人間であり続けたからこそ、この世界に耐えられなかったのではないか。この最悪な世界に絶望するだけの人間性を保っていたからこそ、殺されるために中立地帯へと走っていったのかもしれない。

強制収容所で見つけた人間性だけを見て安心してはいけない。本当に向き合うべきなのは、その人間性が何一つ救いにならなかった現実なのではないか。

人は人間性を保っていてもなお絶望する。人は人間性を保ったまま、他人をガス室へ送り込むこともできる。ザクセンハウゼンで見たのは、人間性の尊さだけではなかった。人間性というものが、必ずしも人を救ってくれるわけではないという現実だった。

そんなことを考えながらザクセンハウゼンを出るバスに乗った。不発弾の処理作業は終わっており、運行を再開した列車に乗ってベルリンへ戻った。



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