ユングによるパウリの夢の分析を八項関係のマンダラ・モデルで読む(6)-パウリのマンダラ夢39〜51
はじめに
C.G.ユングの『心理学と錬金術1』に掲載された、ユングによるヴォルフガング・パウリの夢の分析を、深層意味論の観点から再読する。
ヴォルフガング・パウリは1945年にノーベル賞を受賞した物理学者である。パウリは科学者として極めて高い評価を得ていたが、同時に精神の不調に苦しんでいた。パウリは患者として精神科医であるユングに精神分析を受けたのである。
そしてユングが選んだ療法が夢の分析であった。
なぜ「夢」が心理療法の手がかりになるのか?
ユングは次のように書いている。
「無意識の心が完全な暗闇ではなく、未知の物事からなる形の定まらない領域であることをみなさんはご存知でしょう。間接的な方法で、私たちはそれ(無意識)についていくらか知ることができます。つまり、経験という目に映る世界ではなく、どこか別のところから引き出されてきた意識内の素材を通して、私たちはそれを知ることができるのです。その情報源となる主な素材を一つだけあげるなら、それは夢です。もちろん、他にも無意識が現れることはたくさんありますが、夢は私たちが最も直接的に気がつきやすい無意識の産物なのです。」
夢は「無意識」から「意識」の表層に伝達された情報である。
夢を分析することで、患者(夢見者)自身が自覚的に意識していない心の深層における対立や葛藤や固着の様子を知ることができる。
夢分析を通じてユングは、パウリの夢から、心の深層においていくつかの「心的機能」を象徴するような登場人物が、お互いに退けあったり結合しようとしたりすること、即ち、心的機能間の距離が伸び縮みするような動きが夢に出てくる登場人物のイメージに託されて、浮かび上がってくることに気づいた。
そしてこの伸び縮みする複数の心的機能間の関係が付かず離れずの状態に調和し安定した時、そこに正方形とそれに接する円との組み合わせからなるマンダラ状のパターンが浮かび上がる。

ユングは人間の意識の機能を「感覚」「思考」「感情」「直観」の四つに整理する。この四つの機能がバランスよく、つかづはなれずに連動すると、私たち人類の精神(心)は大いに安定した調和のとれた状態になる。そしてマンダラ状に、同一の円周上に等距離に並んで対峙する四人の人物たちは、この意識の四つの機能をそれぞれ象徴する。
「思考」:なにであるか/なにでないか、を分別
「感覚」:ある/ない、を分別
「感情」:好き/嫌い、を分別
「直観」:現れてくる/消えていく、を分別
私たちの心でこの四機能は、いつも常に、うまい具合に補い合って調和しているわけではない。むしろ、どちらかといえば四機能のうちのどれか一つだけが意識の表層に浮かび上がり、残りの機能は意識の深層に抑圧される傾向がある。例えばあらゆる経験について、「それがなにであるか/なにでないか(なにであるべきで、なにであるべきでないか)」といった「思考」の分別ばかりが強力に常に意識の表面を覆い尽くし、逆に「感情」における好き嫌いの分別や、「感覚」におけるあるかないか(どうあるか)の分別が等閑視されたり、無視されたりする場合がある。
「思考」の分別ばかりが意識の表層を覆い尽くし、逆に「感情」の分別は無視され、まるで好き嫌いの分別など存在しないかのようにあしらわれたとき、この「感情」が、感情をストレートに表現するなんらかの人物の姿で夢に現れ、夢見者を追いかけ回したり、詰ったり、不安にさせたりするということがある。
これまでのユングによるパウリの夢分析の再読は下記の記事に分けて掲載しているのでご参考にどうぞ。
四項関係の調和にむけて
さて、前回の記事で取り上げた夢たちに至って、パウリは、正方形や円形の構造物や物体を幻視するようになっている。
そして、その円や四角の構造物の中や物体の周囲において、二人、あるいは四人の人や動物のようなものたちが登場し、物体の周囲を巡るように回転運動したり、鬼ごっこをするように逃げるものと追うものに分かれたり、戦闘したり、対峙して言葉を投げかけあったりといった動き=述語的様相を呈する。

円でもマンダラ、四角でもマンダラである。
*
ここでいう述語的様相とは、次のようなことである。
タクシ―に乗ってを正方形街区をぐるぐると廻る。
右と左を巡る論争について、右も左もないだろう、と言った論評をする。
円の中で原始人たちが激しく戦う。
円形の空間の地下に貯水盤があり噴水が噴き出している。
夢見者と見知らぬ女性が円テーブルについている。
夢見社と不快な男が円テーブルについている。テーブルの上にはゼラチン状の塊 の入ったグラスが一つある。
これらは語られた状況を丁寧にイメージしていくと、円形や正方形(円は正方形に内接または外接しているので、両者は不離一体である)の空間や物体があり、その中やその周囲を対立関係にある二者が動き回ったり、対立する二つの様相の切り替えが起きたりする。
これらの夢は「マンダラ夢」であるとユングは書く。
マンダラ夢には、いわゆるマンダラ状のパターンのヴィジョンそのものを幻視する場合もある一方で、上述のように道路の配置や広場とか、丸テーブルとか、丸いグラスといった、経験的で感覚的な姿に託された正方形や円形あるいは球形があらわれる場合もある。
そしてその経験的な場面や状況のなかに、これまた経験的で感覚的な具体的な姿をとって夢見者(もっとも分化の進んだ「自我」)や、夢見者と対立する「劣等機能」が登場する。
マンダラ夢をマンダラ夢として分析しようと思うのであれば、夢に出てくる感覚的で経験的な見た目や姿形のあれこれが「何であるか」といったことにはこだわりすぎずに、それらの間で、どのような述語の様相で距離の伸縮が生じているのかに注目するとよさそうである。


夢において、夢見者をはじめとする登場人物や動物たちや乗り物や事物(例えば列車とか、タクシーとか、飛行機とか、流れる水とか、吹き出す噴水…)が、どのように動いているのか、その動きが登場人物や事物たちを過度に接近させたり、過度に引き離そうとしたり、あるいは付かず離れずの距離に調停しようとするとき、その動きの軌跡から、円形や正方形(たとえ部分的であっても)が浮かび上がってくる。これもマンダラ夢である。

人類の心の動き方のパターン
ユングは次のように書いている。
かくして今日の時点でわれわれがマンダラ象徴について言いうることは、それがある自律的な心的事実を表現しているということ、しかもこの心的事実の特徴は、それが時代を問わず常に繰返し現れ、場所を問わずいずこにおいても同一の現象形態をとって現れるということに尽きる。マンダラ象徴は、その最も内奥の構造と究極的な意味とに関して何一つ知られていない一種の原子核のごときものと考えられる。
マンダラ象徴は「自律的な心的事実」である。
この心的事実、人類の精神の動き方のパターンは、「時代を問わず」「場所を問わず」時代と場所を超えて、すべての人間において同じような具合で動く。
例えばパウリが夢において、走行中の市電から落ちそうになるとか、タクシーで街区を四角を描くように回った、と報告する時、この夢の外観、つまりタクシーや市電が出てくるところは、彼が現代のヨーロッパの都市住民であるからである。もしこれが1000年くらい前の人の夢の記録を紐解いてみると、タクシーが走っているシーンは出てこない。
1000年前にはタクシーは、というか自動車は走っていないのである。
しかし、この「タクシー」という表層意識の残響のような視覚的イメージを、夢の分析を通じてほどいていく時、例えば、”正方形の軌跡を残すように長い距離を高速で移動して回る”という抽象度の高い動き方のパターンと、その動きが残す波紋状のパターンとが、析出されてくる。
夜、星空。
ある声が「さあいよいよ始まるらしい」と言う。
夢見者が「何が始まるんですか」と尋ねると、「循環(Kreislauf)が始まりそうなのだ」という答が返される。
すると流星が一つ、一種独特の左旋回の曲線を描いて落下するのが見える。
*
場面が一変して、夢見者はいかがわしい(fragwürdig) ナイトクラブに居る。遠慮会釈なく人をこき使うといった風の主人と惨めな様子の女の子たちのいるナイトクラブである。
辺りで右と左という問題をめぐる口論が起る。
そこで夢見者は席を立ってその場を去り、タクシ―に乗ってある区域を正方形の格好にぐるぐると廻る。
[後略]
前回の記事で詳しく分析したパウリの「マンダラ夢26」のタクシーのくだりである。タクシーという主語的なものに注目するだけでなく、その主語の動き回り方、述語的様相に目をこらそう。するとなぜか、タクシーは「ある区域を正方形の格好にぐるぐると廻る」ように動き回る。
仮に1000年前の東洋人の夢であれば、この”正方形の軌跡を残すように長い距離を高速で移動して回る”は、例えば四角いお堂の周りをぐるぐると歩き回りながらお祈りする、といったビジョンで意識化された(表層意識に反響させられた)かもしれない。
以上を踏まえ、述語的様相が描くループを閉じる動きや上/下、左/右、遠/近などの両極の間を伸縮する動きに注目して、次の夢(ビジョン)をみてみよう。
穴に落ちる
円形あるいは四角形の空間に入り込む
「マンダラ夢 39 幻覚像」は、おむすびころりん、鼠浄土の神話を思わせる夢である。
マンダラ夢 39 幻覚像
夢見者は穴に落ちる。
下に熊が一頭いて、その眼は赤、黄、緑、青の四色に次々に変化しつつ輝く。
よく見るとこの熊には眼が四つあり、それが四つの光となって輝いているのである。
熊は消える。
夢見者は長い、暗い通路を歩いている。
一番奥の突当りのところに仄かに輝く光が見える。
そこには宝物らしきものがあって、その上にダイアモンドを取付けた例の指環が置かれている。
この指環について、夢見者がこれをはるかな東方へと運び行くであろうと言われるのを聞く。
いきなり「穴に落ちる」という動き、述語に注目しよう。
また、ビジョンの最後では、夢見者の穴の奥で宝物、ダイヤモンドをつけた指輪を見つけ、それを持っていいっていい、と言われる。ダイヤモンドの指輪はもともとは夢見者パウリのものではなかった。つまりパウリはこのダイヤの指輪とは遠く分離されていたのである。それがこの夢では夢見者パウリに授けられる。指輪を持っていっていい、と言われるのである。指輪はパウリと結合した状態になる。
分離から結合への転換。
この述語的様相は神話や夢において極めて重要な二極の間の転換である。
ちなみに、この夢、「おむすびころりん」にそっくりである。
天然の洞窟だったり人工の穴だったり、人が転げ落ちるような「穴」の内部空間にはいろいろな形があるだろうが、経験的にはたいがいの穴の中は正確な球形というわけではないだろうが、どちらかといえば球形に近い空間といったところであろう。
ここで主人公、ではなく夢見者が、円と四角を組み合わせたよなフィールドに入った、ということを念頭に置いておこう。そして夢見者は「四」に出会う。
四色の色違いの四つの目をもつ熊が、この穴の中にいる。
四つ目で色違いとは、なんともインパクトがあるが、しかしこの熊、特に夢見者に何かするわけでもなく、すぐに消えてしまう。

大切なのは「四」がワンセットになっている、ということである。
夢は経験的で感覚的な対立関係を用いてこの四即一のセットを表現しようとするのであるが、今回の場合はたまたまパウリに「人間が入り込めるような大きな洞穴といえば大概そこには熊もいるだろう」といった経験的な知識があったということだろうか。
意識の深層のマンダラ状の波紋を生じる脈動のパターンが、さざなみのように表層意識の一番底に振動を加える時、経験的な知識にストックされたあれこれの物事たちの対立関係が共鳴しあい、穴の中に熊、熊に目が四つ…といったビジョンとして意識化される。
*
伸び縮みするマンダラ
四つ目クマが消えたところで、夢見者は遠くでほのかに灯る光に導かれて歩く。一直線に長い通路を歩いて、出発地点から目的地に移動する。これは出発地と目的地を両極とする運動であり、夢見者がもともと自分と真逆に分離され、もっとも遠くに引き離されていたところと接近する、結合する、という述語的様相である。
分離 >>/>> 結合
そしてその光の先に辿り着くと、夢見者は宝物のダイヤの指輪を見つける。
この指輪はもともと夢見者のものではない。
しかし、何者かの声が聞こえ、この指輪は夢見者に授けられる。
そして、夢見者がこの指輪を身につけて、遠くへと運んでいくべきものである、と宣言される。
このダイヤの指輪は、夢見者から遠く分離されていながら、しかし夢見者とほんらいひとつに結合しているべきものである。

上記の図で、仮に夢見者が「自我」として「思考」のみを意識の表層に引っ張り出している人物であった場合、ほんらい彼自身のものでありながら彼と疎遠に遠ざかっていて、自我が再びそれを自分の宝物として取り戻すべきもの(ダイヤの指輪)とは、「自我の補助機能」「劣等機能」や「劣等機能の補助機能」になっていた心の機能のいずれかである。
夢見者は、まず指輪を身につけた上で、これを「はるかな東方へと」運んでいく、と宣言される。おそらく「はるかな東方」こそが「劣等機能」がいるところである。はるか彼方に分離された劣等機能へと近づいていくための歩みを、夢見者の自我は、宝物のダイヤの指輪という姿で象徴化された、「自我の補助機能」を携えて、歩むことになる。
もともと彼自身、かれの「自己」の大切な不可欠の一部でありながら、 ながらく「自我」がよって立つ心的機能から分離され、その存在に気づかれずにいた「宝物」は、彼の心の中で劣等機能の位置に追いやられていた心的機能のことなのである。
もし自我がこの意識の表層の真ん中から追いやられていた心的機能を携えていくことができるなら、彼はこの先の人生の旅を、さらにさらに、遠くまで遠くまで、歩みゆくことができるだろう。
さて、次の夢はこの旅の気配を醸し出す。
遠く分離した二地点を結合する「旅」
マンダラ夢 40
見知らぬ女の案内で夢見者は、 大変な生命の危険を冒して極地を発見しなければならない。
先ほどの夢では「はるかな東方」へと向かおうとしていたが、今回は「極地」へと向かう旅になる。東/西、南/北という方向の違いがあるが、ここはいずれにせよ、遠く隔たった距離を縮めるという述語的様相をあらわしたいのである。

この旅路には、夢見者はひとりではなく、自我単独ではなく、同行者たる「見知らぬ女」とともに、つまり自我が従来等閑視してきた心的機能と共に行くことになる。
しかしその旅は、大変な、命の危険がある、局地探検のような険しい道のりになりそうであると、夢見者は感じている。
自我と劣等機能、それぞれに該当する心的機能の調停はまだはじまったばかりか、ほとんどはじまっていない。
* * *
次の夢になると、対立する二極(自我と劣等機能)の調停を思わせるような、マンダラ状のパターンがはっきりと見えてくる。
いくつもの旋回
マンダラ夢41 幻覚
黄色の葉がいくつか左りの円環をなしてぐるぐる旋回している(「いくつか」は複数形の訳で、あるいは多数かも知れない)

ぐるぐる旋回するという、回転運動の述語的様相に注目しよう。
抽象化すると、ちょうど下記の図のような感じだろうか。

おもしろいのは、夢見者も見知らぬ女性も、ここには出てこないということである。
男/女であるとか、既知/未知であるといったことは、近づいたり離れたり伸び縮みする距離感の純粋述語的様相を、仮に経験的で感覚的な対立関係の記憶され意識的に想起できる事物の蓄えに照射して、その事物たちを主語に立てて、その主語の、主語に属する動きとして、言語化することになる。
とはいえこの距離感の純粋述語的様相を意識の表層で想起できるようなビジョンに変換するためには、何らかの経験的で感覚的な事物の配置に託す必要があり、この夢ではそれが「葉」によってなされる。
人間にとっては、よく似たパターンのものが大量に複製されているように見える「葉」たちは、経験的で感覚的な諸事物のなかでも、特に抽象度が高く、より端的に距離感の伸び縮みの純粋述語的様相を託すことに適しているといえよう。
ここで特に注意しておきたい。
マンダラは静止したものではなく、動的なこと、動いているコトである。
補助機能の人格化
次の夢では再び、表層意識における感覚的な様相が際立ちつつ、対立二極の調停、なにか大切で輝かしく価値のあるものが隠されている場所を発見する、といった過度な分離を適度な結合へと転換し調停する動きがみえてくる。
マンダラ夢42
ひとりの年老いたマイスター (Meister) が夢見者に、地面の赤く光っている箇所を指し示す(マイスターは、親分、主人、長、達人等を意味する語であるが、そのいずれかはこの文からははっきり判らない。いずれにしてもこの語は「奥義を体得し、人を教え導く者」を連想させる。
ひとりの年老いたマイスター (Meister) と、夢見者。
この二者が対峙し、同一の事柄「地面の赤く光る箇所」に注目している。

「地面の赤く光っている箇所」は、おそらくそこに、何か宝石的な価値のありそうなもの、しかし未だそれが何であるかはよくわからない、ことによると危険なものかもしれない、警戒感を抱かせる何かの存在を感じされる。
自我にとって、いまだそれが何であるかよくわからないが、しかし何かあるらしく、しかもそれが重要な価値を持っていそうな事柄である。そのような事柄の存在を「ひとりの年老いたマイスター」によって教えられる。
意識の四機能で言えば、「面の赤く光っている箇所」に埋まっているのが、そおらく「劣等機能」であり、その位置を指し示す「ひとりの年老いたマイスター」は、夢見者の自我の機能の補助機能といえるかもしれない。
もちろん、あまりがっちりと、どの登場人物や事物がどの機能とイコールであるのか、といったことを追求する必要はない。なんとなくこんな感じかな、と呼んでおけば良い。そうでないと、夢の伸縮自在な柔らかさを見落とすことになりかねないからである。
さて、次の夢にも、謎の光り輝く何かが登場するが、それが実に興味深い姿をしている。
八筋の光線
マンダラ夢43
霧の彼方に黄色に輝く太陽のようなものが見えるが、それはどんよりとしている。中心点から八筋の光線が迸り出る。
これは突破口だ、黄色の光はここを突破して輝き現れるのだ!
しかしそれはまだ完全には成就しないままに終る。

霧の彼方でどんよりしている。つまり、夢見者からみてはっきりせず、なんだかよくわからないものである。そこから光の線が「8筋」奔り出る。
この太陽のようなものが「マンダラ」の姿を予感させる。
それも八項関係のマンダラである。
ここで夢見者はマンダラの生成に立ち会っている。
しかし、いまだマンダラの姿ははっきりせず、つまり夢見者からは分離されたままである。
正方形の部屋の中を廻る人々
これが次の夢になると、はっきりとしたマンダラの形状が際立ってくる。
マンダラ夢44
正方形に囲われた空間。
夢見者はその中にじっと留まっていなくてはならない。
それは侏儒たち、あるいは子供たち(どちらかはっきりしない)の牢獄である。ひとりの邪悪な女が彼らを監視している。
子供たちは動き出し、空間の四角の辺に沿って廻り始める。
夢見者はその場から逃げたくなるが許されない。
ひとりの子供が一匹の動物に変身したかと思うと、夢見者のふくら脛に噛みつく。
この夢は非常におもしろい。
マンダラが起動する・動き始める瞬間をみごとに見せてくれている。

正方形の空間、そこから逃げ出すことのできない空間において、四角形を描く様に「邪悪な女」に監視された「子どもたち」が動き始める。
監視とは、見張る者と見張られる者とが物理的に分離しながら、しかし監視者の視線によって監視されるものを常に捉えているという意味では結合している状態である。分離しながらの結合である。分離しながらの結合は分離と結合という二項対立のどちらの極にも過度に寄りすぎない、調停された状況である。
この監視の視線のもとに分離しながら結合された複数の、多数の子どもたちは、四角形の空間のなかで円を描くように運動する。

円でもマンダラ、四角でもマンダラである。
そして子供たちのうちひとり、他から分離された「ひとり」が「動物」に変身する。
子供たち(多) →/分離/→ ひとりの子供(一)→[変身]→動物
人間と動物(あるいは人間的であることと人間的ではないこと)という経験的に対立する二極の間での変身。経験的にははっきりと分離された二極の間に移行の通路が開いた状態であり、変身している当人は人間でもなく動物でもないという、人間/動物の二項対立に対してそのどちらでもない不可得な状態に励起される。
こうして人間でありながら人間ではない動物になった者が、夢見者と過度に結合する(噛み付く)。
ひとりの子供(一)→[変身]→動物=[噛み付く・結合]=夢見者
ここで「動物に噛みつかれる者」である夢見者の存在は、このマンダラの中で、四角形を描く緊張みなぎる運動の中で、分離と結合の振動のなかから(動物という人間から分離した存在と、噛みつかれることによって過度に結合する)出現してくるものだということになる。
これが自我のほんとうの起源、夢見者の主体感のはじまり、自分は自分ではないものではないものである、という感じの分別のはじまりのことを、教えているようである。
自我はそれ自体として即自的な実体としてあらかじめ存在していたものではなく、あくまでもマンダラを描き出すような動き・脈動のの中で、”自我ではないもの”たちと分離されつつ過度に分離しすぎない程度に結合された状態にバランスしところに出てくる。感覚的で経験的な項としての自我は、両義的媒介項(β)が二つ重なり合ったところ(噛み付く)にその収まるべき位置・余地を区切り出される。
戦闘:過度な結合から過度な分離への急展開
次の夢である。
マンダラ夢 45
とある練兵場。
部隊の兵士たちが集っている。
しかし彼らはもはや戦争のための装備はつけずに、八芒の星の形に整列し左廻りに回転 (行進)する。
ここまで戦争の夢がいくつかあったが、ここに至り、軍隊は武装を解かれている。
戦争は、戦闘によって敵を亡き者にし、敵との分離を確定するために、一時的に接近あるいは過度に結合するという述語的様相である。
戦争の述語的様相とは、過度な結合から過度な分離への急展開である。

そのような戦争のための装備を、この夢の兵士たちは放棄している。つまり戦闘するつもりがない、過度な結合から過度な分離への急展開を演じるつもりはないのである。その代わり兵士たちは、八つの極を際立たせた形に整列し、回転運動をする。
分離と結合が見事に調和したマンダラの脈動、という感じがする。
この脈動状態から、改めて、夢見者の自我と、それと対立するもの、その対立を媒介する者たちが姿を現す。次の夢である。
四者の睨み合い
マンダラ夢46
夢見者は正方形の空間に閉じ込められている。
何頭かのライオンと邪悪な魔女が一人現れる。
マンダラにおいて、対立関係の対立関係が緊張感みなぎるものとして際立ってくる。
ライオン
夢見者 + 邪悪な魔女
ライオン
主要な対立は男性である夢見者と邪悪な魔女の二項間のものであろう。意識の四機能のうち、夢見者自身が「自我」であり、邪悪な魔女は抑圧された劣等機能ということになろうか。そこにうろついているライオンは、夢見者に従属するものでもなければ、おそらく魔女に従属するものでもない。夢見者も魔女も、下手に動くと、このライオンたちに目をつけられて噛み付かれるかもしれない、といった緊張感がある。
次の夢である。また別の人物が出てくる。
二つの心的機能が強調し、マンダラを目指す
マンダラ夢47
年老いた賢者が夢見者に、地面の上の特別にしるしのつけられている箇所を指し示す。
夢42とよく似たパターンである。老いた賢者は、夢見者とのあいだで先ほどの邪悪な魔女のような鋭い対立を感じさせるものではなく、むしろ夢見者を補助し、助言を与えるような関係にある。この老賢者は意識の四機能でいえば、自我の傍らに寄り添う、自我の補助機能となる意識の機能を象徴するといえようか。
この夢で、夢見者の表層意識の分別心は、その補助機能、あるいは劣等機能の補助機能の教えに耳を傾けている。
マンダラ夢48
ある知人が、(製陶用円形)轆轤盤を地中から発掘したということで表彰を受ける。
これは夢47とつながりそうな感じがする。
夢47では、地面に印がつけられており、その下に何か重要なものが埋められて隠されているような気配がある。
その埋められている宝物とは、自我がそのなかに自らの位置を獲得すべき、意識の四機能が調和した自己Selbstであろう。
そしてこの自己Selbstの象徴が「製陶用円形轆轤盤」の姿で意識化された=イメージ化されたマンダラである。

轆轤板ということは、可能性としてはそれは回転するものである。
ただし、いまの夢では埋まっている状態で発掘された古代轆轤板であり、回転せず止まっている。今は止まっているがかつて回転していたであろう、という感じである。
これが次の夢になると、回転し始める。
マンダラ夢 49
星形のものが回転している。
円周の四主要点には四季を表す図像が見られる。
スター形状のものが、回転して、円を描く。
その円周上には「四」つの極が際立つ。

ここに至り、はっきりとしたマンダラ状のパターンが見えてきている。
* *
・・・こうして夢見者は、対立する心的機能がバランスよく補い合う調和した自己Selbstを完成しました・・・という話になるのかといえば、そう簡単なことではない。
姿を現したマンダラは、すぐに消えてしまい、そしてまた意識の四機能間の対立、過度な結合から過度な分離への暴力的な転換が繰り広げられる。
マンダラ夢50 夢
見知らぬ男が夢見者に宝石を一個手渡す。
しかし夢見者は暴漢に襲われる。
彼は逃げる(不安夢)、そして危険を脱する。
そのあとで見知らぬ女が夢見者に向って、いつでもそういう風に事が運ぶというわけにはいかない、いずれは逃げることが許されず、踏みとどまって頑張らなければならない時も来るだろう、 と言う。
夢見者に、宝石を授ける、見知らぬ男。
おそらくこれは自我に対する補助機能、前の夢に現れて、宝物が埋められている場所を夢見者に示した老賢者の仲間であろう。
今回は、宝物のあり方を間接的に指し示すのではなく、もう直接、宝物を手渡してくる。
ところが、この宝物を手にした夢見者は、すぐさま暴漢に襲われる。
夢見者は暴漢から逃げることに成功する。
ああ、よかった、という感じであるが、どうもよかったとは言えないらしい。逃げるということは分離することである。もしこの暴漢が意識の四機能のうち、自我によって完全に無視され、無いものとされていた劣等機能だとすれば、夢見者はこの暴漢から逃げるのではなく、むしろそれと対峙し、対決し、付かず離れずの関係を保てるように、なんとかしなければならない。
このことを夢見者にアドバイスするのが「見知らぬ女」である。
この見知らぬ女は劣等機能の補助機能であるといえよう。この補助機能を介して、劣等機能は自我へと媒介されようとしている。

見知らぬ男(老賢者?):自我の補助機能
夢見者:自我
暴漢:劣等機能
見知らぬ女:劣等機能の補助機能
いまの夢では「自我」は「劣等機能」との遭遇を回避して逃げ出したのであるが、逃げている場合では無いのである。「いずれは逃げることが許されず、踏みとどまって頑張らなければならない」と。
gestörtes Mandala
そして次の夢である。これがとても興味深い。
マンダラ夢51 夢
非常な緊迫感が支配している。
沢山の人々が真中にある大きな長方形の周りと、この長方形の四辺の外側に附随している小さな四つの長方形の周りとを廻っている。
大きな長方形の方は左廻り、小さな長方形の方は右廻りである。
大きな長方形の中心には八芒の星がある。
小さな四つの長方形の中心には、それぞれ赤色、黄色、緑色の水、それに色のついていない水を入れた杯状の器が一つずつ置かれている。
水は左廻りに回転している。
水はこれで充分だろうかという疑問を感じて不安になる。
大きな長方形と小さな長方形四つの組み合わせについて、配置図は次のようである。

まず正方形ではないことに注意しよう。
つまり円が内接・外接することを可能にする正方形ではなく、まだ上の図でいえば横軸方向がながーく伸びて、分離が際立っている。
正方形の四つの辺が同じ長さになるように調停するところまでは至っていない。
正方形と円を組み合わせたマンダラになる一歩手前、という感じだろう。
これらの長方形の周囲を、中心では左回りに、周辺の小さい四つの長方形の周りでは右回りに、「たくさんの人々」がぐるぐると回っている。
動きのあるマンダラである。
中央には八項関係がある。
そして小さな長方形の中心に置かれた四つの色ちがいの水が入った器があり、この水も回転している。左回りに。
ぜんまい式の時計を思わせる精密さである。
夢見者は、この全体システムを俯瞰しつつ「水」が足りないのでは無いかという不安を覚えている。動的な四項関係を付かず離れずにバランスさせる見事なマンダラ機械がいままさに動きつつあるが、しかしまだ不安がある。

この夢について、ユングは次のように書いている。
真中の大きな長方形を廻る循環はまだ左方向、つまり意識から無意識への方向をとっている。従って真中はまだ充分には光をあてられていない。
四という数を示している小さな長方形の方は右廻り循環であるが、これは四機能の意識化を示唆しているように思われる。四という数は大抵の場合虹の四基本色〔赤、黄、緑、青)で表示される。奇異なことにここでは青色が欠けている。
同様に正方形という基本形が突然姿を消しているのも奇妙である。水平(横)の線が垂直(縦)の線の犠牲のもとに引き伸ばされている。すなわちこれは、いわゆる「乱されたマンダラ"gestörtes" Mandala」である。
このことから判断して、諸機能の相反的配置は、その独特の対立性が認識されるほどには意識されていないと評さねばなるまい。垂直に対する水平の優位は、高さ(Höhe)と深さ (Tiefe) とを失わしめる自我意識の優勢を暗示するものである。
左回りに円環を描く運動は、表層意識から無意識の方向へと降りていく方向の運動である。つまり意識がはっきりと優位に立った状態で、意識の側から無意識へと向かっていく。意識が無意識に挑む、といってもいいかもしれない。
右回りの循環は、無意識的なことが意識の表層へと立ち昇る動きである。
この夢の場合、四つの小さな長方形において、この深層から表層への動きが見られる。ユングはこれを「四機能の意識化を示唆しているように思われる」と書いている。
そして上に書いたように、正方形が潰れて長方形になっている様について、ユングはこれを「「乱されたマンダラ"gestörtes" Mandala」と呼ぶ。
同一円周上に等距離に均衡することが望まれる四つの意識の機能のうち、自我だけが際立ってしまっており、バランスを崩しているのである。
この状態では、意識の四機能のうち、いまだ自我意識(自我)が「優勢」であり、「諸機能の相反的配置」つまり四機能が付かず離れずに調和するということは「その独特の対立性が認識されるほどには意識されていない」のである。
まとめ
精神の調和した状態は、一度完成すればそのまま永久に固定して置けるようなものではない。夢心地で宇宙そのものとの相応を超感覚的に感覚した次の日に、訳のわからないことで我を張っては他者を貶める、自/他の分離に執着するような人と席を共にしなければならないということもまた、この現世ではよくある。そんなとき、「わたし」もまた「我」としてグッと固まって、自分を守ろうとするような反応が起きる。
かっちりと分別された二項対立関係のうちの一方の項として鋭く「我」を限定することも、また無分節に揺蕩うことも、どちらも精神の脈動が描くさまざまな様相のうちのあれこれなのである。
主語的な「私」が突出し、際立ち、固まった瞬間に、それを突出させてきた=引っ張り出してきた述語的な動きの様相を精密に観察する。そのような表層意識のあり方を目指したいところである。

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