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普通と異質の狭間で(言葉と文化)

偶然、海外在住の兄と国民性の話になる。
その会話にインスピレーションを受けて書こうとおもう。

言葉とは、時に残酷な境界線を引く。
日本で「アナと雪の女王」として大ヒットしたあの映画のタイトルだ。

原作は英語の”Frozen “

フランス語版のタイトルは、至ってシンプルだ。
La Reine des Neiges(雪の女王)

そこには、ただ一人の女性の、あまりに孤独で壮絶な魂の軌跡だけが刻まれている。

主役はどこまでもエルサであり、物語が照らすのは、他者と違う己の宿命に引き裂かれる彼女の内なる苦悩そのものだ。

アナはその苦悩を現実世界へと繋ぎ止めるための、美しき狂言回し、いわば、大きな脇役に過ぎない。

しかし、日本の地を踏んだ瞬間、物語の骨格は歪められる。

わざわざ「アナ」という人間の名を冠し、「アナと雪の女王」という並列の檻に閉じ込めたのだ。

一見、姉妹の絆を謳った美しいタイトルのように思えるかもしれない。
しかし、その構造を分解すると、残酷な差別的メタファーが浮かび上がる。

「アナ」という固有の人間名を与える一方で、エルサからは名前を剥奪し、「雪の女王」という記号に貶めること。

これは、無意識のうちにエルサを「人間性の枠外」へと放逐する行為に他ならない。

アナを「正常な、または「普通」の人間」の代表として中央に据えることで、エルサは「異常ななにか」として隔離され、 見せ物のようにまなざされる。

邦題の冷酷さは、エルサを人間として生きることを許さない。彼女の持つ圧倒的な力と、それゆえの孤独を、人間としてのトラウマではなく、「怪物的な異形のもの」としてフレーミングしてしまっている。

私たちは、いつまで彼女を「雪の女王」という非人間の檻に閉じ込めておくのだろう。

彼女の名は、エルサ。
彼女の苦悩は、私たちと同じ、紛れもなく血の通った人間んのものだ。

私はこの映画を思い出す時、いつも心の中で、フランス語のあの響きに立ち還る。これは一人の気高き人間が、自らの尊厳を取り戻すための、痛切な闘いの記録なのだ、と。

このような想いで孤独に戦う同士へ。

※「アナと雪の女王」という邦題は、マーケティング上の判断(当時の日本市場でアニメ映画は主人公の名前をタイトルに入れる慣習があった)という側面が強く、必ずしも意図的な差別的フレーミングとは言い切れない部分もあります。
AI Claudeご指摘引用

だとしても、Claudeもやらかしたもんだ。
思いっきり解説に「主人公」って書いちゃってるじゃん。主人公はエルサではなく、「アナ」なの?

「ちっとも賢くないわ〜♪」

おまけ
フランス語の独特な響きや言葉のチョイスが原曲の歌詞より美しい。(主観です、悪しからず🙇‍♀️)

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