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病の偶然性を受け止めるには~痛い病と感覚を失う病の話~

このnoteは、腸捻転(絞扼性イレウス)やメニエール病を体験した個人的な記録です。


当たり前に裏切られる~メニエール病~

2026年4月。在宅勤務をしていた夕方。オンラインミーティングの最中に、PCの画面に向かって座っていられないほどのふらつきと吐き気に襲われました。
何かやばい、と感じます。
ビニール袋を片手に横になりましたが、周囲がぐらぐら回るようなめまいが数十分続きます。
少し立ち上がろうとしたところで嘔吐。
「あ、これはまずいな」、「何とかして病院に行かないと」と考え始めます。
めまいは収まらず、体内のものをすべて吐き出したのではないかと思うくらいになって、ようやくぐらぐらした感覚が少しだけ落ち着きました。
1時間以上は苦しんでいたと思います。
その後、夜間救急診療へ向かいました。移動中や待っている間にも嘔吐がありました。
病院ではベッドで点滴と投薬を受け、吐き気やめまいはいったん落ち着きました。
ただ、救急診療には耳鼻科の医師がいないとのことで、その日は帰宅。
翌日、耳鼻科を受診しました。
診断は「メニエール病」もしくは「良性発作性頭位めまい症」。
聴力検査で低音域の聴力低下が見られたため、メニエール病の可能性が高いと言われました。
メニエール病は、内耳のリンパ液が影響する病気だそうです。
症状としては、耳閉感、耳鳴り、吐き気、めまい、低音聴力低下などがあります。
また、一度めまいが治まっても再発することがあるとのことでした。
再発を繰り返すと一時的ではなく聴力を失う可能性があるそうです。
思い返すと、救急診療に行く前日から、右耳が詰まったような感覚(耳閉感)や軽い耳鳴りがありました。
ただ、発熱などはなかったので、「そのうち治るかな」と思ってしまっていました。
耳鼻科で処方された薬を飲み続け、聴力は回復。
めまいや吐き気も1か月ほど起きていません。
ただ、耳鳴りや耳閉感、軽いふらつきについては、1か月経っても、30分くらい何か作業をしていると起こることがあります。
何時間も集中して当たり前に作業できていたことが、身体に負担に感じられるようになります。
当たり前だったことに突然裏切られます。

仕事は続けられるのか~IT職の場合~

この先も普通に仕事は続けられるのだろうか。

このような病気になると、10年前だったら、今のように仕事を続けることは難しかったかもしれません。
コロナ禍前。在宅勤務は一般的ではなく、会社に行き、長時間PCの前に座り続けるのが当たり前でした(特に私のようなIT・プログラマー系の職種の場合)。
しかも、文章もプログラムのコードも、基本的にはすべて自分で書く必要がありました。
今のように生成AIに指示を出して、ドキュメントやプログラムのコードを作ってもらい、それをレビューする、という働き方は存在していませんでした。
もし当時の環境のままだったら、今以上に長時間、椅子に座り続け、PCの前から離れられなかったと思います。

一方で、5年後だったら逆に「仕事を続けられるだろうか」と悩むこと自体が減っている気もしています。
私自身は、IT・プログラマー系のデータアナリストという職業をしているのもあり、PC作業そのものは好きです。
ただ、人類の歴史を考えると、もともとは狩猟をして生きてきた生き物です。
何時間も座ったまま、PC画面を見続けることに、人間の身体は本来的には向いていないのかもしれません。
長時間座る姿勢は身体に負担がかかります。
そしてPCには、画面のサイズが小さかったり、逆に大きいディスプレイであるほどちょっと移動させるには持ち運びが面倒だったりという物理的な制約があります。
ただ、最近は少しずつ状況が変わり始めています。
今でもClaude Codeのように、リモート環境へスマホから指示を出せる仕組みはあります。
生成AIがある程度、自律的に動作できる環境を作ることができれば、すでに人間は横になりながらでも仕事の指示ができるようになっています(休日の個人的な開発はすでにこのスタイルです)。

おそらく来年2027年には、より高度な生成AIに対して、口頭で自然に指示を出す働き方も現実的になっていると思います。
「PCがメインの業務デバイスである時代」も、少しずつ終わっていくと思います。
私は経験していませんが、1980年代にワープロが、1990年代にPCが普及し、紙からPCに業務のメインツールは移行しました。
それに匹敵する変化が数年のうちに起きると思います。
短期的には、PCのように画面サイズの制約のないメガネ型ウェアラブルとイヤホンマイクの組み合わせは出始めています。
PCを使う場合でも、椅子に座らなくともスマホから口頭や短いプロンプト入力で生成AIに指示を出し、それをPCでさっとレビューするスタイルは、今よりさらに普及していくはずです。
『シンギュラリティは近い』などの著者レイ・カーツワイルの未来予測を見ていると、これから十数年くらいのスパンではブレイン・マシン・インターフェイスまで視野に入ってくるのかもしれません。
もしそうなれば、今のような健康問題からは解放される可能性もあります。
その代わりに、新しい健康問題が生まれるのかもしれませんが。
また、仕事そのものがどうなっているのか、という別の議論もありますが。

痛みは考えることもうばう~腸捻転~

何か「やばい」と思うような体調不良は、これが初めてではありません。

2017年5月。仕事帰りに強い腹痛がありました。
もともと胃腸が弱く、腹痛を起こすことはこれまでもあったので、最初はいつものやつかと思っていました。
ただ、吐き気がして、「いつもよりひどいかもしれない」と感じ始めます。
その後も痛みはどんどん強くなり、嘔吐。
深夜、夜間救急診療へ。
経験したことのないほどの激しい痛みでした。
汗や涙など、体中から水分が絞り出ていくような感覚。
ほんの少しでも痛みが和らぐ身体の位置を探して、何度も姿勢を変える。
体をよじったり、手や足をつねったりして、別の痛みで紛らわせられないか試す。
痛い以外のことが考えられない状態でした。
鎮痛剤を打って多少緩和されても、それでも痛い。
診断は、腸捻転(絞扼性イレウス)でした。

腸捻転は、腸閉塞(イレウス)の中でも特に重症で、腸がねじれ、腸が詰まるだけでなく血流も止まってしまう病気です。
放置すると腸が壊死し、命に関わることもあるそうです。
「すぐに緊急手術しないと死ぬ危険性がある」と説明されました。
痛みが出てから10時間ほど激痛に苦しみ、翌朝、全身麻酔で開腹手術。
手術によって一命は取り留めましたが、全身麻酔が切れてからも痛みは続きました。
切開した腹部の傷の痛み。お腹の張りの苦しさ。腸の捻じれを戻したり癒着をはがしたりした手術の刺激による痛み。絞扼で傷んだ腸の血流が回復する過程でむくみや炎症による痛み。いろんな要因があるようですが、感じる側にとってはとにかく痛く苦しい。
痛み止めにも使用限度があるようで、手術後も3日間ほど、眠れないほどの痛みが続きました。
手術後しばらくは「経鼻胃管」という管を鼻から通していましたが、つばを飲み込むたびに喉が軽く痛み違和感をおぼえます。
痛み止めが不要になってからも、2週間ほど入院。
はじめの1週間ほどは点滴のみで過ごし、ようやくおもゆ(おかゆより水分の多いもの)を食べられるようになりました。

後から「腸捻転はどのくらい痛い」と検索してみたところ、個人差はあるものの、出産とイレウスの両方を経験した人たちの感覚では、「腸捻転> 陣痛 > 腸閉塞」くらいの痛みらしいです。
頭木弘樹著『痛いところから見えるもの』には以下の引用のようにあります。

「三大激痛」とされる病気は、心筋梗塞、尿路結石、群発頭痛だが、他にもいろいろ候補があり、腸閉塞を四つ目に選ぶ人もいるそうだ。もちろん、腸閉塞にもいろいろ程度があり、それによって痛みもちがう。ひどくなると手術ということになるが、私はそこまではいっていない。(中略)私は最高度に痛い腸閉塞は経験していないと思う。それでも、そうとう痛い。入院するレベルのときは、痛み止めの注射をしてもらわないと、とても耐えられない。

頭木弘樹『痛いところから見えるもの』

最高度に痛い腸閉塞が腸捻転(絞扼性イレウス)だと思います。『痛いところから見えるもの』の著者も腸閉塞を経験されています。この本では、文学や哲学で痛みがどのように扱われたかも多く引用されています。

激痛とはひとを今ここの一点に閉じ込めてしまうものです。時間で言うと、一分先のことも考えられないし、10数えるのが精一杯で、思い出に耽ることも、痛みが消える先のことを考えることもできない。(鷲田清一)

熊谷晋一郎 著,大澤真幸, 上野千鶴子, 鷲田清一, 信田さよ子『ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」』

『痛いところから見えるもの』では、『ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」』を引用し、「哲学者という、いわば考えることの専門家」でさえ、「一分先のことも考えられないし、10数えるのが精一杯」と紹介しています。

終わりの見えない、あれほどの激痛は他の病気でも経験していません。
内臓が捻れるような痛みという比喩を私は身をもって使えるようになったわけですが、使う機会はおそらく来ないと思います。
もし他の人が内臓が捻れるくらいつらいと言ったなら、そう言葉を発することができる時点でそれ程の痛みではないと思うことでしょう。
意味のある言葉を発することも考えることもままならないほどの痛みなのですから。

『急に具合が悪くなる』~偶然性の話~

痛みは突如としてやってきます。
急に具合が悪くなります。
少し話が逸れますが、2019年に読んだ『急に具合が悪くなる』は特に好きな本です。

2026年6月にこの本を原作とした映画が公開されるとのことです(このnoteは特に宣伝の意図はありません)。
原作と内容が変わっているようですが、原作をそのまま映画化しても原作を越えることは到底できないと思うので、違う作品として楽しめるのはむしろ良さそうと思います。
3時間越えのかなりの長編のようで、メニエール発症後に映画館で長編観るのはつらいので、配信されてから観ることになりそうです(具合の悪い人にはハードルが高い)。

『急に具合が悪くなる』はがんになった哲学者と医療分野の人類学者の往復書簡です。

この本で、私が磯野さんと語り合ってみようと往復書簡を提案したときに考えていたのは、もちろん自分が身体にガンを飼っているということをいかに捉えるのかという問題はありましたが、もっと広く、そうした病を抱えて生きることの不確定性やリスクの問題を、磯野さんと専門的に深めてみようという学問的な野心がありました。(中略)いつからこんなふうに「ほんとうに具合が悪くなって」、磯野さんが私との「出会いと別れの急降下」を味わいながら、書簡を紡ぐことになってしまったのか。いつからこんなふうになるように導かれていたのか。それは単なる偶然の集積なのか必然なのか。そのことも含め、この書簡のテーマです。

宮野真生子、磯野真穂『急に具合が悪くなる』

具合が悪いという状況にありながら、その状況を自身の専門知識にもとづいて客観的に捉える哲学者の哲学者たる姿勢は本当に尊敬します。

印字された一つひとつの言葉が重く、ページをめくるのに力が入ります。一つの書簡を読み終える度、こわばっていた息がふっとほどけます。

本書のテーマにあるのが偶然性です。

偶然というと、さいころを振ったら何パーセントの割合で1の目が出るというような確率の話と思われがちですが、確率はあくまでも客観的な可能性の話です。それに対し、偶然性はその可能性が「この私」に降りかかってきたという「遭遇/邂逅/出会い」、「今その時」の衝撃を表す概念です。

宮野真生子、磯野真穂『急に具合が悪くなる』

病気は不幸な出会いです。
私自身、腸捻転やメニエール病になり、人よりは健康意識が高くて体調管理も気を付けていたほうなはずなのにどうして自分が、という気持ちもあったりします。(世の中には、『急に具合が悪くなる』の著者でお亡くなりになった宮野さんのように、もっとつらい病気を抱えている方も多くいらっしゃると思いますが、自分より健康な人と比べてしまいます)

偶然性について、『急に具合が悪くなる』では、ハイデガーや九鬼周造を頻繁に引用しています。偶然性は形而上学や実存主義からも捉えられるテーマと思います。
病気のリスクと偶然性に関しては、これまで書いたような個人的な経験から関心の高まったテーマで、また続きのnoteに書きたいと思います。

不安と同居して生きる~再発の予防~

開腹手術をすると麻痺性腸閉塞や癒着性腸閉塞を再発しやすくなります。
腸捻転ほどの強烈な激痛ではないですが、それでも腹痛や嘔吐はそれなりにつらい症状になります。
入院しての経鼻胃管と点滴で数日食事もままならないのも泣きっ面に蜂です。
私の場合、2022年から2025年の間に3回再発し、それぞれ4日から7日程度の入院をしています。退院後もおかゆなどかなり消化によいもの中心から普通の食事に戻すまで1か月くらいかかります。加えて、持病に過敏性腸症候群もあります。

メニエール病も繰り返す可能性がある病気で再発すると聴力も低下してゆくと聞いたので、それを思うと憂鬱です。
今回、メニエール病になってから、耳閉感(耳の詰まった感じ)やふらつきがほぼなくなるまで6週間くらいかかりました。耳鳴りはまだ残っており、夕方や天気の良くない日(気圧?)はまだ少し体調が悪化しやすいので気をつけています。

できるかぎりの予防はいろいろしています。
予防的治療としては、身体を温める漢方薬、温灸、瞑想(マインドフルネス)、腹筋・背筋の筋トレ、接骨院(姿勢と血流)などを試しています。
基本的な生活習慣として、早寝早起き(仕事が忙しかったり他のnoteで書いているような作業に夢中のときは崩れることもありますが)、湯船につかること(発症前はシャワーだけが多かった)、ウォーキング(在宅勤務だとスーパーの買い物ついでに遠回りとかしないとサボることもありますが)も意識しています。

再発防止に取り組めるのは前向きなことです。今のところありがたいことに仕事も辞めずに済んでいます。

偶然を引き受けるときに私たちは自分という存在を発見する

宮野真生子、磯野真穂『急に具合が悪くなる』

もちろん、もう腸閉塞やメニエール病の再発で痛みや苦しさを繰り返したくはありませんし、そうならないための予防です。
ただ、再発の可能性がある以上、不安が付きまといます。
出会いたくなかった偶然にどう意味を見出し、その偶然性を受け止めるか、心の持ちようも模索している最中です。(つづく)


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