ヘビーノベル戦記第三話『成人編』
私はナニカになることはできなかった
さて、また少し昔話をしておこうと思う。まあ、あまり面白い話でもないから、流し読み程度で見て欲しい。
私の大学生活は当然の事だが孤独だった。知らない土地に一人で移住するわけで、親しい人間なんてのは居るわけがない。兎に角何もわからないまま大学生活を送り、講義を受けていく中で何となく人付き合いが始まり、思いきって大学祭運営委員会に参加したりした。
人付き合いが始まると、それなりに大学生活も楽しくなり、辛いこともあったが充実した日々を送ることができもしたが、当時の私は自分が何をしたいのか、何を目的として生きているのか、何も無かった。ちっぽけな復讐心と一人になりたい一心で大学へ進学し理工学部に居たわけだが、心は真っ白なままだった。
RPGのように道を指示してくれる人間なんぞ居るわけがなく、何がしたかったのかわからなかった。誰かに相談できればよかったが、生憎そんな人間に出会うこともなく、気づけば卒業して就職していた。
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生きることがよくわからなかった
何かに熱中することもなく気づけば都内でシステムエンジニアなんてものをやっていた。扱う言語は使ったことがないCOBOL。入社して仕事を始めた頃は全然理解できず、やたらめったら上司と先輩に怒られていた。当時の金融系のシステムエンジニアはCOBOLを扱うことが多かったらしい。わからないから本を買って勉強して、よくわからないソースコード作って上司に怒られて、ついでに教育係らしき先輩にも怒られてそんな四ヶ月を職場で過ごしていたら、プロジェクトが終了して開発チームが解散した。
解散するとどうなるか? 所属していた会社は自社待機になるらしい。自社で特にすることもなく、自習という罰ゲームの毎日の中、同じ開発チームにいた同期が先に仕事が決まり最終的にまた一人となった。振り返ると時間を無駄にしているなと思う。この時期に生きることについて気づくことが出来れば違った人生があっただろう。だが、私にはその機会が巡ってこなかった。
一人となってしばらくして次の職場が決まり一人で新しい職場に馴染もうと頑張っていた。仕事は相変わらずわからなかったが、新しい職場はプログラミングとは何かという理解を得るためには最適な環境だった。わからない人間でも仕事ができる環境で気づけばプログラミングをある程度理解できるようになっていた。相変わらずバグソース作って自分で修正する毎日だったが、どうにかできていた。そんな一人の時期がまた6カ月程度で終わり、次の職場に行く事になった。
次の職場は自社の人間が居て何となくコミュニケーションがとれる環境にあったが、気づいた時には他人とコミュケーションをとる事が出来ない人間になっていた。新しい職場では今度はプログラミングではなく職場のシステム環境を理解する必要があった。簡単に言い換えるならシステム保守だ。
COBOLとアセンブラとJCLとテーブルの世界で相変わらず訳が分からない中で仕事はしていたが、定期的にシステム更新が発生してシステム環境の更新が頻繁に実施されていた。なもんで、仕事自体には慣れるのは早かったしシステム環境の更新でミスが起きると実際に何が起きるのかも経験させてもらった。
笑えない話だが、私のやらかしでオンラインシステムを停止させたことがある。上長とかはちゃんといたが、全員私のやらかしをスルーしてしまって結果システムダウンが発生。罪悪感が私の胸を締め付けたのは今でも覚えている。因みに金融系のシステムでシステムダウンが発生すると普通に証券取引所が停止したりする。実際はバックアップシステムが稼働するのでそんな事はないが、そのレベルのやらかしである。
他にもここには書けない色んな事を経験した。その結果、気づけば鬱病を患ってしまい、薬を飲みながら元気に仕事をしていたが、体には無理がたたっていたのだろう。職場に行く事も難しくなり会社から辞することになった。就職していた会社は休職を認めてくれるような企業ではなく、首になった私は碌に物事を考えられないまま、時間だけが過ぎていった。
そうしているうちに仕事だけはしないとダメだろうと思い就職活動をやっていたが、当時はリーマンショックの影響で簡単には職は決まらなかった。
幸いな事なのか、新しい不運なのか知り合い伝手で仕事が決まり、雑踏警備の日々を過ごすことになった。
新しい仕事をこなす中でも、どうしたら良いか答えはでず時間がだけが過ぎ去り、気づけば実家に帰ることになっていた。
結局、これらの経験を経ても、私の中には何かが根付くことも道が出来る事もなかった。
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