アメリカで流行している「シェービングソープ」を日本では見ないわけ
以前の記事で、シェービングソープが生み出す「生クリームのような究極の泡」の魅力について書きました。カミソリが氷の上を滑るようなあの極上の体験を知ってしまうと、「なぜこの素晴らしい文化が、もっと日本で広まらないのだろう?」と疑問に思うかもしれません。
実は、世界に目を向けると、このシェービングソープを取り巻く環境は国によって全く異なります。
今回は少し視点を変えて、「なぜ日本でシェービングソープが普及しないのか」について、市場や科学、そして法律の観点から紐解いてみたいと思います。
アメリカで巻き起こった「アーティザンソープ」の熱狂
実はアメリカでは、2010年代初頭から「クラシックシェービング(伝統的ウェットシェービング)」への回帰とも呼ぶべき巨大なムーブメントが起きています。15年ほど前のことです。
高価な替刃やプラスチックごみへの不満から、昔ながらの両刃カミソリが見直されるようになりました。それに伴い、個人や小規模な工房が手作りする「アーティザン(職人製)シェービングソープ」の市場が爆発的に成長し、現在では100社近いブランドがひしめき合っています。
なぜ個人規模のブランドがこれほど乱立できたのでしょうか?
その最大の理由は、アメリカの柔軟な法規制にあります。
アメリカ食品医薬品局(FDA)には「True Soap Exemption(真の石鹸の適用除外)」という制度があります。一定の条件を満たせば、石鹸は化粧品の厳しい規制から外れ、単なる「日用品」として扱われます。これにより、愛好家が自宅のガレージで作ったこだわりのソープを、合法的に販売して起業することができたのです。

日本でシェービングソープが広まらない3つの壁
一方、ここ日本では、そのような手作りブランドの参入ラッシュは全く起きていません。そこには、日本ならではの強固な「3つの壁」が存在します。
1. 科学的な壁:アジア人の「毛髪」の特性
欧米人のひげは細く(平均65µm)密集しているため、刃から肌を守る「クッション性」と「滑り」が最重要になります。
対して、日本人のひげは密度こそ低いものの、一本一本が非常に太く(平均80〜120µm)、剛毛です。そのため日本では、豊かな泡で肌を守るよりも、「いかに水分で硬いひげを素早く膨潤させて柔らかくするか」が重視され、水分の多いシェービングジェルが支持されるという背景があります。
2. 文化的な壁:効率を極める「タイパ主義」
日本では男性の76.5%が電気シェーバーを所有しており、水や石鹸を必要としないドライシェービングが主流です。また、ウェットシェービング派であっても、約半数がシェービング剤を使わず「洗顔料」で代用してひげ剃りを済ませています。
ブラシをお湯で濡らし、時間をかけて石鹸を泡立てるという行為は、現代日本人の「タイムパフォーマンス(タイパ)」を重視するライフスタイルに逆行する行為となってしまっているのです。
3. 法律の壁:立ちはだかる「薬機法」
そして、日本にアーティザンブランドが生まれない最も決定的な理由が「薬機法(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律)」です。
日本では、人体を洗う目的の石鹸は例外なく「化粧品(または医薬部外品)」として厳格に規制されます。自社ブランドとして適法に製造・販売するには、専門家を責任者として配置し、厳しい基準の施設を用意して都道府県の許可を得る必要があります。
アメリカのように「自宅のキッチンで作ってネットで売る」という行為は、日本では無許可製造販売となり、犯罪行為に当たってしまうのです。
日本のウェットシェービング、これからの展望
では、日本の愛好家は諦めるしかないのでしょうか?
法規制がある以上、アメリカのような「個人の手作りブランドの乱立」は日本では起こり得ません。しかし、日本で高品質なシェービングソープを手にするための現実的な道筋は存在します。
海外からの輸入代理店を通じた展開
一つは、世界で評価されている海外のアーティザンブランドを正規輸入・流通させる代理店が増えることです。ただし、日本の厳しい成分チェックをクリアする必要があり、これにはかなりの労力がかかります。化粧品OEMを活用した国内製造
もう一つは、すでに化粧品製造の許可を持っている「OEMメーカー(受託製造業者)」に製造を委託し、合法的に自社ブランドを立ち上げる方法です。ただし、このルートには「最小ロット数」や「初期費用」という非常に大きな経済的ハードルが存在します。
おわりに
日本のシェービング市場は今、ただひげをなくす「タイパ重視の脱毛派」と、ひげを整えシェービングの時間に価値を見出す「自己投資としてのグルーミング派」に二極化しつつあります。
私は一人の愛好家として、この奥深い「ウェットシェービングの魅力」をもっと日本の皆様に知ってほしいと心から願っています。
この至福の時間を、日本に根付かせるために。
