私とストーカーの明るい共同生活の可能性についての妄想
よく妄想することがあります。
私は郵便受けが苦手。
無遠慮に差し込まれるいろいろな広告とか、郵送してるんだから確実に開封せよと言わんばかりの公共料金の請求書とか、そういうのがひしめいて、中を見るのがなんだか億劫で、つい放置してしまって。
大したものが入っているイメージもないので、よくロックするのも忘れます。もしこの郵便受けを誰かが漁って、こっそり持ち出していてもわからないだろうな、と思います。
そして、気付くのに時間がかかるんです。
実際に誰かに開封されていたということに。
というところから始まるストーカーとの共生についての物語を、よく妄想することがあります。
その最初の違和感は見て見ぬふりをして終わります。
次におかしいと思うのは鍵を失くした時。
いつも使っているバッグのポケットに入っていなくて、あれ、走ってる時に落としたのかなぁと思う。でも、予備にもうひとつ鍵があるので、これで何とかなるか、と考えるのをやめる。
そこからのパターンはいろいろです。
たとえば小さいころに離れ離れになって以来、長いこと会ってない父親が、私の居場所をつきとめて、こっそり見守っているケース。
もともと母と出会った頃もよく帰宅時間にすっと現れてアプローチしてきたっていう話だし、ありえない話ではないかもしれません。
たとえばもし私が接客業をしていたら、そこにきているお客さんとかっていうのもあり得るかもしれません。店内では話しかけてくることはなく、ただ常連さんとしてまたきてるな、と日々思う程度。
ただ、ちょっと仲良くなりたいな、くらいの気持ちだったのに、私があまりに気付かないのと、人と話すのがあまり得意でないその彼は、この気配だけを感じ合う関係がちょうどよくなってきてしまったのでしょう。
たとえば、同じ階に住んでいる、5つくらい年下に見えるあの女性だったらどうでしょう。私には大した知名度はないけれど、もしもYoutubeで数十万人のフォロワーがいて、ファンとしてこっそり私の居場所を突き止めて、同じ階の物件に住み始めていたとしたら。
最初は知らない人同士だったのに、あたかも偶然同じフロアで、あたかも帰宅時間が重なってしまったことを装って、少しずつ距離が近付いていくようなことがあるかもしれません。
もし実害がないのであれば、そういう関係っていっそ尊いものに昇華できたりしないでしょうか。ストーカーとの明るい共同生活、みたいなものが築けないものでしょうか。
私が払わないといけない公共料金を実はこっそりと払ってくれたり、消し忘れたエアコンを消してくれたり、飲んだと思ったそこに置いてあったペットボトルが補充されてたり。
私が普段、小人さんの仕業かなぁとかブラックホールに吸い込まれたのかなぁとか思っていることのいくつかがそのストーカーさんの手によるものだとしたら。
ある意味、孤独じゃないというか、私にもし何かあったら、その人が助けを呼んでくれる可能性だってあります。
現実にはおそらくそうした執着の裏に潜む狂気はそんなに生易しいものではないとは思います。しっかりと防犯意識を持たないと、何かがあってからでは遅い、とも思います。
けれど、手紙のたくさん詰まった郵便受けを開けるたびに、そういった妄想が頭の中でむくむくと広がってしまうことをやめられないのでした。
