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いっそ無様でありたかった

去る者追わず。

これが私の基本スタンス。

なぜならば去ろうという気持ちになった人の心を取り戻せるような魅力が、私にあるとは思えないから。
また、私が逆に去ろうと決めたら、止めても無駄だという確信があるから。

ケンカもなるべくしたくない。

仕事に関することなら目標からブレイクダウンしてしっかり話し合えばいいし、価値観に関する部分はどちらかが正しいという問題ではないから、尊重し合うしかない。下手にぶつかっても心が消耗するだけだ。そして私はその消耗にめっぽう弱い。

でもそんなふうに生きてくると、それは「逃げてる」ということなのでは?と世間からとがめられている気持ちになることがあります。
特に恋愛方面。

「夫婦でい続けるということは徹底して相手と向き合うということだと思う。」
「離婚しないための前向きなケンカならしたほうがいいって話してる。」
「男は浮気するものだから、そんなことで夫婦は別れたらダメだよ。」

直接これらの言葉を私に言う人は少ない。けれど、中にはそういう人もいましたし、たとえば、仲睦まじい夫婦のインタビューや友人からそういった言葉が意図せず発せられることがあり、時々息が苦しくなってしまうことがあります。ああ、ごめんなさい、と何にかわからないけれど、謝りたくなります。

そう、私は数年前に「離婚」という決断をしました。

絶対に修復できなかったとは思いません。
けれど、ケンカもせずにふわふわと仲良く毎日を過ごし、向き合わなかった期間に少しずつ関係は壊れていき、なんで家に帰ってこないのか、どうして話し合ってくれないのか、私が必死で向き合おうとした頃には手遅れでした。

ある日、「もう別れたい。こんなに好きでいてくれてるのに気持ちにこたえられなくてごめん。」といったような内容を手紙で告げられました。

結婚相手と別れたいというときに、不実を隠した状態で、手紙で済ませようとする彼の弱さ、これはすなわち私たちの関係の弱さでもあり、一事が万事だったと今は思います。

そこから彼が隠していることの全貌を知り、奮起して彼の不誠実な証拠を疑いの余地のないほど詳らかに集めてしまったら、もう向き合いたいという気持ちもなくなっていました。
どちらかといえば、この裏切りのうえで、「こんなに好きでいてくれてる」なんて綴る彼の思い上がりを打ち砕きたい気持ちでいっぱいになっていました。
そしてこんな醜い気持ちに苛まれるくらいなら、むしろ「離婚する」ということに伴う苦しい行動の全てを受け入れる覚悟が決まっていました。

いっそ無様でありたかった。

別れたくないと追いすがるくらいに彼を愛し、そして関係を維持したいと願えたらよかったのに。こんなことになる前に泥沼のケンカを繰り返してでも関係の修復に努められたらよかったのに。

けれど、結局は、離婚したことについて、自分の人生に一つの「誤り」ができてしまったけれど、あの時は何をどうしても、その道しか選べなかったと今も思います。あの時別れずに我慢していたらどんな人生だったかと考えるとぞっとします。

そして、私の恋愛はたいてい、その前もその後も、結局は引き留める気持ちやつなぎとめる気持ちが行動になるほどにわかないまま、関係が終了してしまいます。

むしろ、初めからいつか失う前提で関係を捉えてしまっているところがあります。そして時が来たら静かに心の整理をします。

無様になれるくらいに、どうしても手放したくない何かが、いつか私にも訪れることがあるでしょうか?
本当に大切な時には、逃げずに向き合えるように、まずはこのうまく言葉にできない、向き合えなかったことで積み重ねられてきた心の傷としっかり向き合って、しっかり痛みを感じておかなければ、と思うのでした。

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