精霊の機能獲得実験が「精霊による洗礼」となったルシフェラーゼの奇譚
ルシファー、ルシフェラーゼ、ルール、ループ、そして信用が燃え尽きるまで
ルシファー。
ルシフェラーゼ。
ルール。
ルーチン。
ループ。
ルールに従ってルーチンを回し、ループの果てにルシフェラーゼが光る。
なんだこれは。
ダジャレである。
しかし、ダジャレというものは侮れない。
そもそも人類文明など、かなりの部分が語呂合わせと連想ゲームと駄洒落で出来ている。
神話を見ろ。
名前と属性がくっつき、音と意味がくっつき、星と神がくっつき、王と太陽がくっつき、蛇と知恵がくっつき、女と月がくっつき、牛と豊穣がくっつき、しまいには「名前が似ているから何か関係があるんじゃないか」と古代人も現代人も勝手に想像する。
だから私もやる。
ルシファー、ルシフェラーゼ、明けの明星、発光、精霊、精神、スピリット、ガイスト。
こうして並べる。
すると、何やらインチキ臭い。
いい。
まずインチキ臭いところから始めよう。
どうせ最後は洒落にならなくなる。
ルシフェラーゼでピカーッ
1990年。
外来性mRNAをマウスの筋肉へ直接注射し、そこでタンパク質が発現することを確かめる実験が行われた。
そのとき使われたのが、ルシフェラーゼをコードするmRNAである。
ルシフェラーゼ。
光る。
ピカーッ。
実験としては単純だ。
目的の遺伝情報が細胞内で読まれ、目的のタンパク質が作られたかどうかを、光で確認する。
見えないものを、見えるようにする。
つまりレポーター。
内部で起きていることを外部から観察できるようにする。
便利である。
文明はこういう便利さの積み重ねで進歩する。
しかし私はここで、猛烈にくだらないことを思う。
ルシフェラーゼって、ルシファーっぽいよね。
以上。
学術的には何の意味もない。
全国の理系諸君、怒らないでいただきたい。
まだ前座である。
ルシファーは「光をもたらす者」。
明けの明星。
金星。
そして黙示録の末尾では、イエス自身が「輝く明けの明星」と名乗る。
そこで私は高らかに言うのである。
私は輝ける明けの明星であーる。
意味が分からない?
黙示録を読め。
「ルシファー!」と叫んで悪魔認定した?
もっと読め。
まだまだ洗礼が足りない。
ルシファーよりルールの方が怖い
ここでダジャレをもう一段進める。
ルシファー。
ルシフェラーゼ。
ルール。
ルーチン。
ループ。
これが現代文明である。
誰か一人の悪魔が世界を支配している必要などない。
そんなものは古い。
現代文明はもっとスマートだ。
ルールを書く。
手順を作る。
予算を付ける。
専門家会議を作る。
承認制度を作る。
ガイドラインを作る。
インセンティブを付ける。
コンプライアンスを課す。
あとは人間を置いておけば、勝手に回る。
ルールがルーチンを作り、ルーチンがループを作り、ループが結果を作る。
悪魔は要らない。
エンリルも要らない。
皇帝も要らない。
独裁者も要らない。
人間一人ひとりが、
「私は規則に従っただけです」
と言っていればいい。
すばらしい。
これが近代文明の到達点である。
誰も命令していないのに、全員が同じ方向へ動く。
これを私は、
精霊の機能獲得
と呼ぶ。
精霊とは何か
ここでいう「精霊」は、白い鳩でも半透明のお爺さんでもない。
見えない。
しかし作用する。
人を動かす。
ある考え方を社会に広げる。
ある判断を当然のものにする。
ある方向へ人間を同期させる。
つまり、
主体は見えないが、結果だけは見える。
これが精霊的である。
古代なら、何か大きなことが起きれば、
「エンリルが怒った」
「ゼウスの意思だ」
「ヤハウェの裁きだ」
と人格化した。
現代なら、
「社会的要請です」
「科学的コンセンサスです」
「専門家の総意です」
「市場の判断です」
「国際社会の要請です」
と言う。
表現は近代的になった。
しかしよく見ると、誰もその主体を直接つかめない。
社会的要請って誰だ?
国際社会って誰だ?
科学的コンセンサスって誰が一枚岩にした?
市場の意思って口が付いているのか?
聞いても答えない。
だが人間は動く。
だから「精霊」である。
エンリルがいなくてもエンリルは発生する
シュメール神話、あるいはシッチン小説では、洪水には人格的な意思決定者がいる。
エンリルである。
人間世界が乱れた。
イギギは人間の女と交わる。
混血の巨人が増える。
世界は混乱する。
エンリルは見る。
そして、
「もう全部流せ」
となる。
乱暴である。
だが分かりやすい。
責任者がいる。
一方、現代社会はもっと高度だ。
誰も、
「人類を選別しよう」
とは言わない。
むしろ逆だ。
「人命を守りましょう」
「社会を守りましょう」
「医療を守りましょう」
「高齢者を守りましょう」
「弱い人を守りましょう」
善しかない。
善。
善。
善。
善の大売り出しである。
スーパー善の日。
ポイント五倍。
しかし、その善が、
国家予算、
医薬品承認、
製薬企業の売上、
専門家の権威、
大学研究費、
テレビ広告、
職場規則、
医療制度、
政治家の支持率、
SNS上の評価、
責任回避、
と接続すると、どうなるか。
誰も悪意を持たなくても、一つの巨大な運動が自動的に立ち上がる。
これが恐ろしい。
エンリル不在のエンリル現象。
神なき神意。
命令者なき命令。
主体なき主体。
つまり、
精霊の機能である。
精霊の機能獲得実験
私は、コロナワクチン推進劇を「ワクチンの善悪」というだけで見ると、あまりにも小さいと思う。
もっと大きな文明実験だった。
人類は初めてと言っていい規模で、
巨大な人口集団を、物理的な強制力を比較的小さくしたまま、情報・制度・善意・専門権威・予算・社会的圧力によって同期させる能力
を実演した。
昔なら軍隊が必要だった。
警察が必要だった。
戒厳令が必要だった。
秘密警察が必要だった。
ところが今回は違う。
テレビで十分。
スマホで十分。
会社のメールで十分。
病院のポスターで十分。
自治体の通知で十分。
ニュース速報で十分。
周囲の視線で十分。
「みんなやっています」
これで動く。
すごい。
人類はついに、
神も独裁者もいないまま、神託だけを走らせる技術
を身につけた。
これを精霊の機能獲得と言わずして何と言うのか。
そしてルシフェラーゼが光った
ここで最初のくだらない駄洒落が、妙な意味を帯び始める。
ルシフェラーゼは、細胞内部で何が起きたかを発光させるレポーターだった。
そしてコロナワクチン推進劇は、社会内部にどんな権威回路が存在していたかを発光させるレポーターになった。
政府が光る。
厚労行政が光る。
専門家会議が光る。
医学会が光る。
大学が光る。
テレビ局が光る。
広告代理店が光る。
製薬企業が光る。
勤務先が光る。
学校が光る。
自治体が光る。
家族が光る。
友人関係が光る。
SNSが光る。
ピカーッ。
全国一斉ライトアップ。
イルミネーション日本。
美しい。
いや、よく見ると怖い。
今まで「独立した存在」に見えていたものが、一本の回路として繋がっている。
ここから電流を流すと、
あそこも点灯。
ここも点灯。
そっちも点灯。
おお。
こんなところまで配線されていたのか。
これが造影である。
高きところ発光試験
聖書には「高きところ」がやたら出てくる。
私はこれを、単なる高台の祭壇ではなく、
正しさの解釈権が集中する場所
として読む。
現代ならどこか。
官庁。
大学。
専門家委員会。
司法。
メディア。
巨大プラットフォーム。
国際機関。
こういうところは普段、黒子である。
「われわれが支配しております」
とは言わない。
むしろ、
「客観的知見に基づき」
「総合的に勘案し」
「社会的影響を踏まえ」
「専門的見地から」
と語る。
つまり、
私は神ではありません。ただ神の言葉を翻訳しているだけです
という立場を取る。
これが最も強い。
なぜなら責任を負わずに解釈権だけ持てるからだ。
そしてコロナ期、その「高きところ」が一斉に発光した。
だから私は、あれを、
高きところ発光試験
と呼びたい。
研究室でルシフェラーゼが光る。
社会では権威が光る。
ルシフェラーゼならぬ、
ルールフェラーゼ。
ルールを入れると、権威が光る。
はい。
完全な駄洒落である。
だが笑っている場合ではない。
パウロ構文が精霊を自動運転させる
この現象を可能にしたものが、私のいうパウロ構文である。
パウロ構文とは何か。
簡単に言えば、
正しさを外部へ置き、その正しさを解釈する者を立て、それに従うことを善とする構造
である。
神が正しい。
聖典が正しい。
教会が正しく解釈する。
だから従え。
これが古典版。
近代版は、
科学が正しい。
専門家が解釈する。
行政が政策化する。
だから従え。
形は違う。
構造は同じ。
この構文に入ると、人間は思考停止する。
いや、本人は思考停止したと思わない。
むしろ、
「私は科学的に判断しています」
と思う。
だが実際には、
科学を直接読んでいるのではなく、科学を解釈する者を信じている。
ここに一段ズレがある。
この一段のズレが、巨大な文明を動かす。
善は燃料である
そして、この自動運転システムを動かす最高の燃料が、
善
である。
悪意は弱い。
「俺たちの利権のために協力してください」
では人は動かない。
「製薬会社の利益のために我慢してください」
では暴動になる。
だが、
「命を守るために」
なら動く。
善は強い。
非常に強い。
強すぎる。
だから恐ろしい。
善を燃料にしたシステムは、ブレーキを壊しやすい。
なぜなら反対者が自動的に、
「悪」
へ分類されるからだ。
疑問を持つ。
悪。
慎重論。
悪。
様子を見る。
悪。
違う論文を読む。
悪。
政策の費用対効果を聞く。
悪。
この時点で、議論は終わる。
善悪二元論へ入ったからだ。
火が出る
ここから話は笑えなくなる。
洗礼者ヨハネは言った。
自分は水で洗礼する。
後から来る者は、
聖霊と火
によって洗礼する。
火。
火は光る。
ルシフェラーゼも光る。
明けの明星も光る。
ここまでならまだダジャレだ。
しかし火には、別の機能がある。
焼く。
何を焼くのか。
信用である。
信用は木造建築である
文明は信用で出来ている。
医師を信用する。
役所を信用する。
銀行を信用する。
新聞を信用する。
大学を信用する。
科学者を信用する。
司法を信用する。
政治家を信用する。
会社を信用する。
通貨を信用する。
この信用があるから、人間は毎回ゼロから全部を確認せずに生きられる。
もし薬一錠飲むたびに、
原料工場を視察し、
治験データを再解析し、
統計手法を検証し、
製造ラインを監査し、
行政文書を全部読み、
担当官僚の利益相反まで洗ったら、
風邪薬一つ飲む前に寿命が尽きる。
だから信用は必要だ。
信用とは社会の圧縮技術である。
「全部確認しなくても、おそらく大丈夫だろう」
という省略装置だ。
だが省略装置には弱点がある。
一度燃えると、元に戻らない。
信用焼却炉
ここでコロナ期の本当の危険が出てくる。
仮に一つの政策判断が誤っていたとしても、普通なら修正すればいい。
しかし、
行政、
専門家、
医療、
企業、
メディア、
職場、
教育、
が同じ方向へ一斉に同期した場合、事情が変わる。
もし後から重大な疑念や齟齬が出れば、
焼けるのは一つの政策ではない。
全部の信用が連鎖的に燃える。
医療への信用が燃える。
すると行政も疑われる。
行政を疑えば報道も疑われる。
報道を疑えば大学も疑われる。
大学を疑えば研究費も疑われる。
研究費を疑えば企業との関係も疑われる。
企業を疑えば政治献金も疑われる。
政治を疑えば制度設計も疑われる。
制度を疑えば通貨や国家予算の配分まで疑われる。
これが、
信用焼却の火
である。
大洪水よりタチが悪い
第一の洗礼は水だった。
大洪水。
水は建物を流す。
人を流す。
文明を流す。
残酷だ。
しかし分かりやすい。
洪水が引けば、瓦礫は見える。
家が壊れた。
橋が流れた。
人が死んだ。
物理的だから、被害が可視化できる。
一方、信用焼却は違う。
見えない。
銀行の建物は残っている。
病院も残っている。
省庁も残っている。
大学も残っている。
テレビ局も放送している。
なのに、
人が信じなくなる。
これが怖い。
外形は残っているのに、中身だけが空洞化する。
つまり大洪水がハードウェア破壊なら、
信用焼却はOS破壊である。
精霊の機能獲得実験が洗礼へ変わる瞬間
ここが核心である。
最初、人類は精霊の機能を獲得した。
つまり、
見えない作用で大衆を同期させる能力
を獲得した。
これは統治技術として強力だ。
だが強力すぎた。
システムが過剰に作動したとき、何が起きるか。
信用が燃える。
そして信用が燃えると、人は外部権威を疑い始める。
「あれ?」
となる。
「専門家が言ったから、でいいのか?」
「政府が言ったから、でいいのか?」
「みんながやったから、でいいのか?」
「科学と言えば全部同じなのか?」
「利益相反は?」
「予算配分は?」
「承認制度は?」
「報道選択は?」
問い始める。
ここで初めて、
精霊の機能獲得実験が、精霊による洗礼へ反転する。
これがこの奇譚の最も美しく、最も不気味なところである。
精霊の第一形態と第二形態
第一形態。
精霊=群衆を動かす見えない力。
第二形態。
精霊=自分が見えない力に動かされていることを認識する力。
前者は統治技術。
後者は主権。
前者は同期。
後者は離脱。
前者は、
「みんな同じ方向を向け」
後者は、
「なぜ自分はこの方向を向いている?」
である。
だから精霊は、自分自身を裏切る。
精霊機能を高度化しすぎると、その機能自体が観察対象になる。
まるでルシフェラーゼだ。
内部で何が起きているかを光らせる。
最初は細胞を光らせた。
次に社会を光らせた。
最後に、
自分自身の思考回路を光らせる。
ピカーッ。
「あっ、俺、信じてただけだ」
これが洗礼である。
水ではなく、自分が沈む
洗礼者ヨハネの水洗礼を、大洪水の縮小再演と考える。
世界全部を沈める代わりに、一人を水へ入れる。
古い世界を一人の内部で殺す。
そしてイエス以後は、さらに水すら不要になる。
今度は、
思考が沈む。
自分が頼っていた常識。
肩書信仰。
専門家信仰。
行政信仰。
多数派信仰。
善人信仰。
これらが一度死ぬ。
水は要らない。
だから苛烈である。
水に沈めば身体は反応する。
だが思考が沈むと、自分が誰だったか分からなくなる。
「私は常識人です」
その常識が燃える。
「私は科学を信じています」
その“信じ方”が燃える。
「私は善良な市民です」
その善の定義が燃える。
「私は指示に従っただけです」
その免罪符が燃える。
これが火である。
精霊と火の組合せは最悪である
精霊だけなら、ただ考えればいい。
火だけなら、ただ壊れればいい。
しかし精霊と火が組み合わさると、
壊れている理由を自分で理解させられる。
これが最悪である。
洪水なら流されれば終わり。
火災なら逃げれば終わり。
だが認識は逃げられない。
一度見たものは、見なかったことにできない。
一度制度の配線を見た人間は、
「専門家がそう言っています」
だけでは戻れない。
一度利害構造を見た人間は、
「科学です」
だけでは戻れない。
一度国家予算と企業収益と行政権限が同じ方向へ並ぶ姿を見た人間は、
「善意でした」
だけでは戻れない。
善意だったかもしれない。
それでも構造は残る。
ここが怖い。
悪人がいない地獄
昔の物語は楽だった。
悪い王がいる。
悪い神がいる。
悪い司祭がいる。
悪い商人がいる。
そいつを倒せば終わる。
だが現代は違う。
担当者は善人。
医師も善人。
官僚も本人なりに善人。
記者も善人。
研究者も善人。
会社員も善人。
みんな、
「正しいことをしている」
と思っている。
そして全員が善意で同じ機械を回す。
これを止めるのは、悪意の陰謀より難しい。
なぜなら、
誰も自分を加害者だと思っていないからだ。
これが現代的な黙示録である。
悪魔は角を生やして出てこない。
スーツを着て会議に出る。
いや、それすら違う。
誰も悪魔ではない。
会議そのものが悪魔的作用を持つ。
これが主体なき主体。
精霊機能の暴走。
ルシフェラーゼの本当の奇譚
ここまで来ると、最初の語呂合わせが笑えなくなる。
ルシフェラーゼは、見えないものを光らせるために使われた。
そして約三十年後、その技術系譜の先に登場したmRNAワクチンをめぐる社会現象は、
見えなかった文明構造を光らせた。
ルシフェラーゼそのものが何かを企んだわけではない。
もちろんそんな話ではない。
だからこそ面白い。
誰も企んでいない。
なのに、
「発光」というモチーフだけが文明規模で再演された。
研究室では細胞が発光する。
社会では権威が発光する。
最後には、個人の思考が発光する。
これを私は、
ルシフェラーゼの奇譚
と呼ぶ。
私は輝ける明けの明星であーる
そして最後に、もう一度悪ふざけへ戻ろう。
私は輝ける明けの明星であーる。
ピカーッ。
ルシファー。
ルシフェラーゼ。
ルール。
ルーチン。
ループ。
そして、
ルールのループを見破るルーラーは誰か。
Ruler。
支配者。
主権者。
それは誰だ?
大統領か?
首相か?
官僚か?
医師か?
教授か?
AIか?
違う。
最後に決める者。
結果を引き受ける者。
自分である。
ここへ戻ってくる。
方舟はもう来ない
第一の洗礼では、エンキがジウスドラへ警告した。
方舟を作れ。
洪水が来る。
選ばれた一族は生き残った。
しかし現代にエンキはいない。
エンリルもいない。
方舟の設計図を持ってきてくれる神もいない。
だから第二の洗礼は厳しい。
自分で情報を集める。
自分で比較する。
自分で疑う。
自分で選ぶ。
自分で責任を負う。
これが方舟になる。
木で作らない。
認識で作る。
だから精霊による洗礼なのである。
精霊は答えを教えない
「誰を信じればいいですか?」
知らん。
「どの専門家が正しいですか?」
知らん。
「政府の言うことを聞けば安全ですか?」
知らん。
「反対派を信じればいいですか?」
知らん。
「AIなら正解を教えてくれますか?」
知らん。
精霊は不親切だ。
なぜなら、
答えを教えた瞬間、また新しい“高きところ”になるからだ。
だから精霊は答えをくれない。
問いだけを返す。
「お前はどう考える?」
これだけだ。
大洪水よりも厳しい第二の洗礼
第一の洗礼では、
水が選別した。
第二の洗礼では、
自分の認識が自分を選別する。
第一の洗礼では、
沈んだ者は終わり。
第二の洗礼では、
考えなかった者も生きている。
だが信用が壊れた世界の中で、
何を信じるかを自分で決めなければならない。
場合によってはこちらの方が厳しい。
生きたまま洪水後の世界を歩くからだ。
そして、
政府も、
医療も、
学術も、
メディアも、
通貨も、
法律も、
AIも、
すべてについて、
「どこまで信用するか」
を自分で決める。
これは大変である。
人類は長いこと、
「誰かが正解を決めてくれる文明」
で生きてきた。
そこから突然、
「お前が神だ。勝手に決めろ。ただし結果も受け取れ」
と言われる。
ひどい。
これが自由である。
精霊の機能獲得実験は、人類自身を洗礼した
だから私は、こう結論する。
コロナワクチン推進劇は、単なる医療政策ではなかった。
少なくとも構造論として見れば、
人類が「精霊の機能」を獲得したことを実証する巨大な社会実験
だった。
人間を、物理的命令者なしに同期させる。
制度、情報、善意、予算、利益、権威、恐怖を組み合わせ、
見えない力で社会全体を動かす。
その実験は成功した。
成功しすぎた。
だから信用が燃えた。
そして信用が燃えたことで、
人間は初めて、
自分を動かしていた見えない力
を見始めた。
精霊を利用しようとしたら、
精霊に洗礼された。
これである。
最後に
ルシフェラーゼは光った。
権威も光った。
利害も光った。
善意も光った。
恐怖も光った。
そして火がついた。
信用が燃えた。
高きところが燃えた。
最後に残ったのは、
一人の人間である。
水の前でも、
火の前でも、
専門家の前でも、
国家の前でも、
AIの前でも、
最後に決める者。
主権者個人。
だから「精霊による洗礼」とは、優しい宗教儀式ではない。
自分の外に置いていた神を、
自分の内側へ強制送還することだ。
そして言われる。
「今日からお前が決めろ」
「え?」
「結果もお前が受け取れ」
「ちょっと待て」
待たない。
洗礼である。
ルシファー。
ルシフェラーゼ。
ルール。
ルーチン。
ループ。
そして最後に、
ループを抜けた者だけが、自分の光で周囲を見る。
私は輝ける明けの明星であーる。
……などという奴も信用するな。
黙示録を読め。
論文を読め。
制度を読め。
歴史を読め。
そして最後は、
自分で考えろ。
それが、この悪趣味なルシフェラーゼ奇譚のオチである。
資料
新型コロナウイルスワクチンの国内導入にあたって―mRNAワクチンとウイルスベクターワクチンの基本(IASR Vol. 42 p36-37: 2021年2月号)
シュメールの宇宙から飛来した神々6 THE LOST BOOK OF ENKI アヌンナキ種族の地球展開の壮大な歴史
