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スターウォーズ論~古代神話に於けるダースベーダー

キャンベル、エヌマ構造、そして「英雄の旅」の終焉

「英雄の旅」という言葉は、いかにも美しい。

平凡な若者が日常を離れ、師に導かれ、試練を受け、闇と戦い、宝を得て、共同体へ帰還する。ジョーゼフ・キャンベルは、この神話的冒険の核を「分離・イニシエーション・帰還」と整理した。英雄は日常から引き剥がされ、異界で変容し、最後に何らかの恩寵、霊薬、知恵、力を持ち帰る。

なるほど。よくできている。

だが、ここで問わなければならない。

それは本当に人間の成長物語なのか。
それとも、王権を正当化するための古代的装置なのか。

この問いを立てた瞬間、『スター・ウォーズ』はただのハリウッド神話ではなくなる。
それは、古代メソポタミアから続く、英雄・王・怪物・秩序・暴力・救済の物語に接続される。

そして結論から言えば、こうなる。

英雄の旅とは、かなりの部分でエヌマ構造である。
ならば、もう英雄など要らない。

一 キャンベルは物語を発見した。だがハリウッドはそれを脚本装置にした

ジョージ・ルーカスがキャンベルの影響を強く受け、『スター・ウォーズ』創作の直接的参照として『千の顔をもつ英雄』を用いたことは、スター・ウォーズ公式側でも説明されている。ルーカスは、脚本が膨れ上がって迷走していた時期にキャンベルを読み、そこに物語の骨格を見出した。

つまり、『スター・ウォーズ』とは、近代映画の皮を被った古代神話である。

田舎の少年ルーク・スカイウォーカーが、砂漠の惑星タトゥイーンから呼び出される。師オビ=ワンに出会う。フォースを知る。家族を失う。日常に戻れなくなる。仲間と出会う。帝国と戦う。父の謎に接近する。闇と対峙する。父を救い、銀河を救う。

きれいである。
よくできている。
だからこそ危険である。

なぜなら、よくできた物語ほど、人間に「これが現実の読み方だ」と思わせるからだ。

悪の帝国がある。
黒い騎士がいる。
正しい反乱軍がいる。
選ばれた若者がいる。
師がいる。
試練がある。
最後に父と子が和解する。
世界は救われる。

これがハリウッド的脚本である。

だが、現実はそんなに甘くない。
古代神話も、聖書も、そんなに甘くない。

二 エヌマ構造とは何か

『エヌマ・エリシュ』では、若き神マルドゥクが混沌の女神ティアマトを倒し、その死体から天地を作り、王権を獲得する。World History Encyclopediaの要約でも、マルドゥクはティアマトを倒し、その身体から天地を形成し、運命の書板を得て、自らの支配を正当化する構図が説明されている。

ここに、英雄神話の恐ろしい骨格がある。

まず、混沌が設定される。
次に、敵が名指される。
凡庸な者たちは対処できない。
そこで英雄が召喚される。
英雄は条件を出す。
「私が敵を倒したら、私を王と認めよ」
英雄は怪物を倒す。
怪物の死体から秩序が作られる。
その秩序の中心に、英雄が座る。

これがエヌマ構造である。

つまり、英雄の旅とは、単に「一人の若者の成長」ではない。
文明論的には、危機を用いて例外者を正統化し、王権を発生させる装置である。

怪物が必要なのだ。
混沌が必要なのだ。
恐怖が必要なのだ。
なぜなら、それがなければ英雄は王になれないからだ。

マルドゥクはティアマトを倒したから王になった。
英雄は怪物を倒したから称賛される。
救世主は危機を救ったから拝まれる。
改革者は腐敗を倒したから権限を得る。
軍事国家は敵を設定したから総動員できる。
官僚制は問題を複雑化したから解釈権を握る。

これである。

三 ダース・ベーダーとは、古代神話におけるマルドゥクの影である

ダース・ベーダーは、単なる悪役ではない。
彼は、英雄の旅が失敗した姿である。

アナキン・スカイウォーカーは、選ばれし者だった。
だが、ジェダイ評議会から完全には承認されなかった。
圧倒的な資質がある。
しかし、正統な椅子は与えられない。
力はある。
だが、解釈権はない。

これは、シッチン小説的に読んだマルドゥクと重なる。

マルドゥクもまた、王権に近い場所にいながら、血統と序列の問題によって中心から外される。神々の秩序の中で、完全な承認を得られない。しかも彼は、短命な人原女性を妻に選ぶ。神々の時間から、人間の時間へ降りてしまう。

ここで悲劇が生まれる。

承認されなかった者は、内なるPowerを育てる代わりに、外なるForceを求める。

アナキンは帝国へ向かう。
マルドゥクは王権神話へ向かう。
ベーダーは黒い鎧を着る。
マルドゥクは宇宙秩序の創造者になる。

両者に共通するのは、こういう構造である。

自分を王と認めなかった世界に対し、世界そのものを書き換えることで復讐する。

これがダース・ベーダーの古代神話的正体である。

彼は黒い仮面の悪役ではない。
彼は、承認されなかった英雄が、王権装置へ転落した姿である。

四 ジェダイもまた、フォースを制度化した者たちである

ここで多くの人は、帝国が悪で、ジェダイが善だと思いたがる。

だが、それも甘い。

ジェダイは、フォースを語る。
調和を語る。
平和を語る。
感情の制御を語る。
執着からの解放を語る。

だが、彼らは評議会を作る。
階級を作る。
弟子を選別する。
訓練体系を作る。
掟を作る。
正統と異端を分ける。

つまり、内なる感応だったはずのフォースは、ジェダイの手で制度化されている。

ここが最大の問題である。

Power と Force は違う。

Power は、内から出る力である。
主体性、創造力、判断、自己責任、内なる主権である。

Force は、外から作用する力である。
命令、制度、規格、軍事、法、官僚制、教義、評議会である。

「フォースがあなたと共にあらんことを」は、美しい祝福に聞こえる。
だが、それを外部化した瞬間、祝福は呪文になる。

神が共にある。
法が共にある。
正義が共にある。
国家が共にある。
科学が共にある。
エビデンスが共にある。
国際標準が共にある。

そう言い出した瞬間、人間は自分の内なるPowerを外部のForceへ売り渡す。

ジェダイとは、その中間にいる。
シスほど露骨ではない。
帝国ほど残酷ではない。
だが、内なる力を制度化している点では、彼らもまたエヌマ構造の住人である。

だから、問題は帝国軍だけではない。
問題は、ジェダイ的正義の制度化そのものにある。

五 ハリウッド的脚本は、もう終わった方がよい

ハリウッド的脚本は、長く人類を慰めてきた。

悪がいる。
英雄が立つ。
仲間が集まる。
師が導く。
父との葛藤がある。
最後に和解する。
世界が救われる。

これは、気持ちいい。
だから売れる。
だから量産される。
だから観客は何度でも泣く。

しかし、もうこの脚本は終わった方がよい。

なぜなら、この脚本は人間を観客のままにするからだ。

観客は、また英雄を待つ。
また救世主を待つ。
また正しいリーダーを待つ。
また善良なジェダイを待つ。
また新しいルークを待つ。
また改革者を待つ。
また「今度こそ正しい王」を待つ。

だが、それが駄目なのだ。

英雄を待つ者は、必ず王を作る。
王を作る者は、必ず法を作る。
法を作る者は、必ず異端を作る。
異端を作る者は、必ず討伐を始める。
討伐が始まれば、またマルドゥクが戴冠する。

これがエヌマ構造である。

だから、英雄の旅を素直に受け取ってはいけない。
むしろ、英雄の旅を解体しなければならない。

「英雄になれ」ではない。
「英雄を待つな」である。

「父を救え」ではない。
「父を必要とする自分を見よ」である。

「フォースを信じろ」ではない。
「そのフォースはPowerか、Forceかを問え」である。

六 スター・ウォーズの本当の読み方

スター・ウォーズの本当の価値は、ルークが勝ったことではない。
ベーダーが救われたことでもない。
帝国が倒れたことでもない。

本当の価値は、あの物語を見た個人が、何を自分の内側に見るかである。

ベーダーとは、自分の中の承認されなかった怒りである。
マルドゥクとは、自分の中の王権欲望である。
ジェダイとは、自分の中の正義の制度化である。
皇帝とは、自分の中の恐怖を利用する知性である。
ルークとは、自分の中の、まだ父を人間として見ようとする最後の視線である。

だが、それでも足りない。

スター・ウォーズは、異端の父と正統な息子が和解するハッピーエンド物語である。
現実も神話も、そうではない。

マルドゥクはルークに救われない。
王権神話は父子和解では終わらない。
制度化されたForceは、感動的な親子劇では消えない。

だから、スター・ウォーズを卒業しなければならない。

これは、作品を否定することではない。
むしろ逆である。

スター・ウォーズを本当に読むとは、スター・ウォーズ的脚本から出ることである。

七 もう英雄など要らない

英雄の旅とは、古代には必要だったのかもしれない。

共同体が未熟だった時代。
個人が自分で考える力を持てなかった時代。
自然が恐ろしく、災害が恐ろしく、敵が恐ろしく、王が必要だった時代。
その時代には、英雄は必要だったのかもしれない。

だが、現代に英雄を持ち込むと、ろくなことにならない。

英雄はすぐに広告になる。
政治家になる。
インフルエンサーになる。
軍需の顔になる。
改革の旗になる。
解釈権の中心になる。
新しいマルドゥクになる。

だから、もう英雄はいらない。

必要なのは、英雄ではない。
必要なのは、英雄を必要としない個人である。

必要なのは、正しいリーダーではない。
リーダーを待たずに考える主権者である。

必要なのは、善良なジェダイ評議会ではない。
評議会に正しさを預けない人間である。

必要なのは、フォースの祝福ではない。
外部のForceに従わず、内なるPowerを引き受けることである。

結語 英雄の旅を終わらせよ

キャンベルは、人類の神話に共通する英雄の構造を見抜いた。
ルーカスは、それを現代映画の巨大な神話にした。
ハリウッドは、それを脚本工学にした。

だが、ここから先は違う。

もう、英雄の旅を消費する時代ではない。
英雄の旅を解体する時代である。

マルドゥクがティアマトを倒して王になる。
アナキンがベーダーになり、ルークが父を救う。
ジェダイがフォースを管理し、帝国が銀河を管理する。
その構図を見て、まだ泣くだけなら、また同じ円環に戻る。

問うべきは一つである。

それはPowerか。
それともForceか。

内から出る力か。
外から従わせる力か。

主権者の力か。
制度の圧力か。

創造か。
管理か。

自由か。
服従か。

英雄の旅とは、エヌマ構造である。
そしてエヌマ構造を見抜いた者に、もう英雄はいらない。

ハリウッド的脚本は終わった方がよい。
なぜなら、あの脚本は人間をいつまでも観客にするからだ。

もう観客席を立て。
もう英雄を待つな。
もうベーダーに泣くな。
もうジェダイを拝むな。
もうマルドゥクを戴冠させるな。

神話を終わらせるとは、神話を捨てることではない。
神話を、自分の内側で読み切ることである。
そのとき初めて、英雄の旅は終わる。

そして、英雄がいなくなった場所に、ようやく個人が立つ。


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